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scienceとcommunicationに関するwhaleboneのブックマーク (2)

  • ケプラー

    ケプラー ケプラー(Johannes Kepler 1571年~1630年) ケプラーは律儀な人であった。そしてすべてに調和を求めたが、ケプラーの生きた時代はそれを許さなかった。まじめすぎて、どこか哀しいケプラーの一生であった。 ケプラーは天文学・数学上の巨人である。だが、お墓の場所さえ明らかではない。伝記もによってかなり違う。ようするにその生涯はあまりよくわかっていない。私の世代では、カール・セーガンのTV番組「コスモス」(1980年秋)の中の「宇宙の調和」で描かれたケプラーの生涯が記憶に強く残っているだろう(「コスモス」は単行にもなっている)。 ケプラーは1571年12月27日に南ドイツのヴァイル・デア・シュタットで生まれた。未熟児だったという。当時、ヨーロッパでは宗教改革の嵐が吹き荒れていた。ヴァイル・デア・シュタットの住民の多くはカトリックであったが、ケプラー家はプロテスタント

  • 3:科学知識での不安解消に関する限界 - ando_ryokoの日記

    勉強会での具体例 具体的に書いてみます。 勉強会の中での講師の先生の説明で、原発からの放射性ヨウ素の飛散が、南方向(いわき市方面)でも高い比率を示していることがわかった、と言う解説がありました。 会場がざわついて、質問が出ました。 「いわき市は、ヨウ素剤が配布されていたのだけれど、それを飲んだ方がよかったということか。」 先生の回答をおおよそ書くとこんな感じでした。(私の記憶に基づく記述のため不正確な部分があるかもしれませんが、それは、私の理解能力に帰するものです。) ※後で文字起こしして差し替えるかもしれません。 ヨウ素の飛散については、絶対量ではなく、セシウムとの比率の問題。これまで考えられていたよりも多かったというだけで、現在、わかっている、甲状腺への最大被曝量は35mSvで、ヨウ素剤の服用は、結果的ではあるけれど、必要なかった。 日人は、そもそもヨウ素の摂取量は多く、ヨウ素剤の服

    3:科学知識での不安解消に関する限界 - ando_ryokoの日記
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