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社会とコメントに関するNahooのブックマーク (2)

  • 曇り・小雨 - finalventの日記

    蒸し暑く、気分が悪い。 Twitterで「いじめ」問題をいろいろとつぶやく。まあ、通じないからやめとけと思ったけど、ちょっとタガが外れた感はあり反省。 「いじめ」が現れたのは1980年代という意味、またそれがメディアを通して「自殺」の文脈で考案されたこと、こうしたことはなかなか通じない。 「いじめ」は村社会にも戦前にも、人間社会ならどこにもある的な反論をいただくのだが、それは「暴力」の一般論や起源論の問題。 1990年の4版までの「広辞苑」に「いじめ」はなかったという意味への考慮も想像力も難しいものだろう。 それはつい実態があったが言葉はなかった程度にも理解される。 そうではないのだよ。 言葉が生まれるということは、それを社会が共有意識化した表れで、その共有意識化のなかで現象が理解され、一種の自己予言のように、「いじめ」による「自殺者」を誘導してしまうのだ。しかも、暢気に正義を語っている人

    曇り・小雨 - finalventの日記
  • 教養ということで - finalventの日記

    さっきツイッターで⇒Twitter / finalvent: 教養がないってい 教養がないっていうことは、こういうことなんだろうなという某著名ブロガーさんのエントリーを読んでしばし考えたが、ここでつぶやいてお終い。 とつぶやいて、多方面にご迷惑。すみません。 皮肉な意味ではなく、困ったなぁと思ったのがきっかけだった。 いやそこはそうじゃないんだよみたいな話を書いても通じないだろうなとも。 余談だけど、士農工商だが。 ウィキペディアを見ると、ごく基が最初に書かれていて、ほっとした。 ⇒士農工商 - Wikipedia 士農工商(しのうこうしょう)とは、儒教において社会の主要な構成要素(官吏・百姓・職人・商人)を指す概念である。「四民」ともいう。近世日では、遅くとも17世紀半ばまでに「士」が武士を意味するように意味が改変されて受け入れられた。ただし、実際の近世日で、儒教で意味されるような

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