G1初制覇・テンハッピーローズ レース後の「ファンサ」が話題 「かわいい」「愛嬌抜群」
焼香の順番を待つ大勢の参列者(カメラ・岩田 大補) 滋賀県の栗東トレーニングセンターで4月15日、10日に落馬事故で逝去した藤岡康太騎手(享年35)の日本中央競馬会と日本騎手クラブによる、合同葬が行われた。祭壇には笑顔の藤岡康騎手の写真が大きく飾られていた。 東西からたくさんの騎手、調教師、馬主ら関係者が集まり、故人に別れを告げた。 競馬学校23期の同期の浜中俊騎手(35)は涙を流しながらも、同期の絆を感じさせる熱い思いを空の上に届けた。 浜中俊騎手「康太。今日はこんなにたくさんの人が集まってくれて、よかったな。一般のファンの方も来てくれたみたい。本当によかったな。(同期の)丸田が食あたりになったらしくて、来られていないんだよね。ありえないと思って、説教してやろうと思ったけど…。あいつは昨日、福島のメインで康太が乗った馬に乗って、しっかり勝ってたよ。めちゃめちゃかっこいいレースをしていたよ
笑顔を絶やさなかった藤岡康太騎手 滋賀県の栗東トレーニングセンターで4月15日、10日に落馬事故で逝去した藤岡康太騎手(享年35)の日本中央競馬会と日本騎手クラブによる合同葬が行われた。祭壇には笑顔の藤岡康騎手の写真が大きく飾られていた。 東西からたくさんの騎手、調教師、馬主ら関係者が集まり、故人に別れを告げた。葬儀の最後に父で喪主を務めた藤岡健一調教師(63)は肩を落とし、涙ながらにあいさつをした。 藤岡健一調教師「皆さまご多忙のなか、藤岡康太の葬儀に、こんなにたくさんご参列いただき、誠にありがとうございました。日本中央競馬会、日本騎手クラブの皆さまには、合同葬をこんなに盛大に執り行っていただいたことに関しまして、誠にありがとうございます。康太は4月10日、35歳という短い生涯に別れを告げて、天国に旅立っていきました。思えば子どもの頃から、動物が大好きな子でした。小学校5年生の頃に、兄(
康太は昨日、天国に旅立ちました。 土曜日の落馬後からずっと意識のない状態で、何とか頑張ってほしいと願ってはいましたが、正直、いつ息を引き取ってもおかしくない状況でした。 そんななか、頑張って心臓を動かし続け、家族や友人たちが気持ちの整理をするため、そして、それぞれがお別れを言うための時間を作ってくれた康太。優しい康太らしい最期だったと思います。 明るくて、本当にいいヤツで、弟であると同時に大事な友達のような存在でした。もう笑って冗談を言い合えないこと、レースで競い合うことができないこと、とても寂しいです。 ですが、いつまでも悲しんでばかりはいられません。普段からよく話をしていたので、僕には康太の気持ちがよくわかります。 まだ35歳。これからも続くはずだった人生で、まだまだやりたいことがあったのは間違いないです。ただ、ここまでの人生にはまったく悔いがなかったと思いますし、大切な家族のために、
・セブンの🍩 これ以上だったものある? (追記) 思いのほかトラバブクマ集まったな。みんなサンキュー。 なんとかおもしろカテゴリに食い込めたわ。勝因は絵文字🍩か? コンビニ業界ウォッチャー的には確かに良いところ突いてると思うが、それでも7payには負けると思うぞ…(まあ7payは戦略的にも大物だったんで、カウンターFFよりも事前宣伝力入れてたのは当たり前と言えば当たり前だけど セブンウォッチャー的にはドーナツよりも「オムニセブン」。カリスマ鈴木会長の肝煎りだったが、出来上がったのは時代遅れのゴミみたいな通販サイトで、担当役員だった息子ともども失脚。カリスマ時代終焉の象徴。 セブンの鳴り物って独特よななんか。これぞ覇権コンビニの新しモノでござい感みたいの出してくるんだよな まあクドみはあるけどそういえばワイも7pay入れてしまったしちょいちょい引っかかる層がわりといそうだからある意味堅い
馬雑誌発見 本屋さんに行くと、女の子向けの馬雑誌が何種類も売っていた。 最初見たときはファンシーな競馬雑誌だと思った 馬シール、馬消しゴムなど、付録も全部馬!馬への愛が雑誌全体から溢れている どんな内容なのか気になるので、1冊買ってみることにした。値段は4.99ユーロ。日本円で750円ぐらいだ。高っ!!タウンワークぐらいの薄さなのにまぁまぁの値段である。 読んでみよう こちらの1冊を購入。表紙は白馬!アイドル的存在なのだろうか 付録ももちろん馬。夕日をバックに海辺を駆けている 形はPSPのゲーム機っぽいが、水圧で遊ぶわなげの古典的なおもちゃである。懐かしい〜!ドイツの子どもも、このおもちゃで遊ぶんだな〜。 当たり前だがドイツ語で書かれているので全く読めない。今回は、旅行先でも大活躍したGoogleレンズで、ふわっと何となく読んでいこうと思う。 いきなり馬のニュースから始まる。少女が興味ある
先週のジャパンCでG1・6連勝となったイクイノックス(牡4歳、美浦・木村哲也厩舎、父キタサンブラック)が現役を引退することが11月30日、分かった。馬主であるシルクホースクラブがホームページで発表した。ジャパンC後に疲労があり、万全の状態で有馬記念・G1(12月24日)へ向かうことが難しいと判断されたため。今後は北海道の社台スタリオンステーションで種牡馬になる予定。
洋上風力発電をめぐり、秋本真利衆議院議員が風力発電会社側からおよそ3000万円を受け取ったとされる事件で、秋本議員がこれとは別に、4年前、中央競馬の馬主になる登録を申請した際にも、風力発電会社の社長から一時的に、およそ3000万円の資金提供を受けていたことが関係者への取材で新たにわかりました。 東京地検特捜部は一連の資金提供の趣旨などについて調べを進めているものとみられます。 政府が導入拡大を目指している洋上風力発電をめぐり、秋本真利衆議院議員(48)が東京の風力発電会社「日本風力開発」の※塚脇正幸社長(64)からおよそ3000万円を受け取ったとされる事件で、東京地検特捜部は収賄の疑いで秋本議員の事務所などを捜索し、捜査を進めています。 秋本議員は4年前の2019年7月に、JRA=日本中央競馬会に個人馬主として登録されましたが、その登録を申請した際にも、塚脇社長から一時的におよそ3000万
GⅠ(Jpn1) GⅡ(Jpn2) GⅢ(Jpn3) リステッド オープン JGⅠ JGⅡ JGⅢ 重賞 一勝以上 未出走 未勝利
180年の歴史に幕が下ろされるにはわずか15分しかかからなかった。 6月のシンガポールターフクラブ(Singapore Turf Club: STC)のCEOとの短いミーティングにおいて、シンガポールの調教師たちは2024年10月にシンガポール競馬の2世紀にわたる歴史に終止符が打たれることを知らされたのだ。 競馬産業がもう長くは存続しないかもしれないとの噂は流れていた。それでも競馬産業で生計を立てる何千もの人々にとって、この計画的な競馬崩壊のスピードは衝撃だった。彼らの多くは"当局がこの計画を意図的に隠蔽していた"と信じている。 シンガポール唯一の競馬場であるクランジは、2024年10月5日に最後の開催を実施する予定となっている。国有地不足のために、競馬場と厩舎のある120ヘクタールの土地は2027年までに政府に返還されるのだ。STCの職員たちは引き渡しまでの"スムーズな移行"を約束してい
2023/07/12 21:37更新 【ジャパンダートダービー】(大井)ミックファイアがデビュー6連勝、史上2頭目の無敗の3冠馬に 7月12日(水)、大井競馬場(曇・良)で行われた第25回ジャパンダートダービー(JpnI・ダート2000m)は、地元大井の1番人気ミックファイアが勝利し、羽田盃、東京ダービーに続く南関東3冠を達成した。御神本訓史騎手とのコンビで、2001年のトーシンブリザードに続く史上2頭目の無敗での南関東3冠となった。現行の南関東3冠として実施するのは、今回が最後となった。 道中、中段の外目を進んだ1番人気のミックファイアは、最後の直線で先に抜けだして後続を一旦突き放したJRAのミトノオーを残り100m手前で交わし、末脚を伸ばして2着に2馬身1/2差をつけて無敗の3冠を達成した。勝ちタイムは2分4秒6。 2着は最後の直線外から追い込んだ6番人気のキリンジ(JRA)、逃げて直
競馬予想において「根幹距離」、「非根幹距離」という言葉が使われることがある。400mで割れる距離を「根幹距離」(1200m、1600m、2000m、2400m)という。なぜ根幹か。ビッグレースがその距離で行われることが多いからだ。一方で、1400m、1800m、2200mなどは「非根幹距離」と呼ばれ、そういった距離ばかり強いと言われる馬もいたりする。 が、それは本当なのか。そういう疑問を持つ人も少なくない。掲示板やコメント欄などで「根幹距離」とかいうと、「そんなのオカルトだ」、「亀谷信者だ」などと返されているのを見ることも少なくない。 おれはどう思っているのか。なんとなく、あるような気はする。切りのいいビッグレースが行われるコースはあまり紛れがなくて、たまたま根幹と非根幹と言われるのかもしれないが、ちょっとは気になる要素と思っている。あ、おれは亀谷敬正好きですが。 で、こないだ「競馬の天才
渡辺牧場さんから、ナイスネイチャの報告が届きました。渡辺はるみさんによる手記です。長きにわたりナイスネイチャを支え、献身的なケアを続けてこられたはるみさん、そして渡辺牧場のみなさまに、心より感謝申し上げます。 * * * ナイスネイチャは、5月30日12時40分、安らかに息を引き取りました。大変長い年月を、多くの皆様に深い愛情を持って支えていただきましたことを、心から感謝申し上げます。長文になりますが、ナイスネイチャの最後の闘病記録として残したいと思います。 【食欲が落ちてきた頃】 この春、青草が生えてきた頃から厩舎内で食べる飼い葉(粉末をぬるま湯で練って離乳食状にしたもの)の量が徐々に減って来ました。そのため、5月6日に血液検査をしたところ、異常はありませんでした。 5月上旬から特に偏食気味になり、切り草(乾草)やビートパルプは食べようとしていました。このような傾向は胃潰瘍の馬によく見ら
多くのファンから愛され続けた名馬ナイスネイチャが天国に旅立った。今回の「ケイバラプソディー」では、同馬のことが「一番大好き」というデビュー28年目のベテラン和田竜二騎手(45)を、マイクこと藤本真育記者が取材。少年時代の出会いを振り返ってもらい、同騎手が乗るディープボンド(牡6、大久保)とネイチャの不思議な縁にも注目した。 ◇ ◇ ◇ ナイスネイチャが5月30日に35歳でこの世を去った。重賞4勝を挙げた一方で、有馬記念で3年連続3着(91~93年)に入るなどG1は未勝利だった。それでも懸命に走り続けた姿がファンの心を打ち、当時から引退後まで絶大な人気を誇った。 デビュー28年目のベテラン和田竜騎手も、その魅力に引き込まれた1人だった。「ナイスネイチャは俺の“青春”だった。ヒーローだったし、大好きな馬だった」。騎手を目指したきっかけも同馬の存在が大きかったという。 運命の出会
南部地方でよく見られる母屋と馬屋が一つとなった曲り屋で、人と馬が抱き合うようにして暮らしている一家でした。寝藁をおくるみに、馬の吐息を子守歌代わりに聞いて育った澄子は、自然と「馬っこ」大好きな少女になりました。 妹スケによると、彼女はもう3歳の時には馬に乗っていたといいます。 そんな幼い子がどうやっていたかというと、澄子が「乗るよ」と声をかけると、馬の方から首を下げてきたのだそうです。小さな澄子は、鼻面からヨイショヨイショとよじ登り、それから、背中の方へ器用に「チャッ」と回るのでした。 大人が5人かかっても馴らせない暴れ馬も、澄子が乗ると嘘のようにおとなしくなりました。 「すみは馬の生まれ変わりだ、『馬がすみかすみが馬か』って言われてたんでがんす。まるで馬っこと話ができるみてえでした」 「年頃になって結婚」で自身の才能を終わらせなかった 細貝さやか『斉藤すみの孤独な戦い』には、妹スケが幼少
当協会の広報部長であるナイスネイチャ号(セン35歳)が本日亡くなりました。 同馬は体調を崩してから、放牧地ではもちろん馬房でも一度も寝ていませんでしたが、11時半頃に渡辺牧場の放牧地で自ら横たわり、そのまま立てなくなりました。 本日は朝から心拍数も上がり腸の動きも鈍化し、体力的にはもはや限界だったため、獣医師と相談の上、鎮静剤と麻酔剤を投与し苦しまないよう配慮の上、12時40分安らかに旅立たせていただきました。 相棒のメテオシャワーと渡辺牧場のみなさんに見守られ、眠るように亡くなりました。 同馬の余生を応援していただいた皆様、献身的に同馬をケアしていただいた渡辺牧場の皆様、獣医師の先生方に心より御礼申し上げます。
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