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調査・統計と土木・建設・建築に関するZeroFourのブックマーク (4)

  • 京都所司代屋敷跡で木製地下水路見つかる 「逆サイホン原理」で導水「作為は謎」|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

    江戸幕府が二条城北側に置いた京都支配の要・京都所司代の屋敷跡(京都市上京区)で、木製の水路「木樋(もくひ)」を備えた庭池の遺構が見つかったと、民間発掘調査会社が10日発表した。池底より深部の地下に、水面の高低差を生かして水を流す「逆サイホンの原理」で導水するよう埋め込まれており、全国的にも類例のない遺構としている。 江戸時代の京都所司代は関ケ原の戦い(1600年)後、実質的な初代に板倉勝重が任じられ、幕末の1867年に廃止された。朝廷の監視や上方の訴訟処理の役割も担い、幕府老中に次ぐ格式とされた。 庭池の遺構は政庁があった上屋敷跡にあり、17世紀後半以降にでき、明治時代に埋まったとみられる。木樋は「ロ」の字型をした木枠の一部など、全長9・5メートル分が見つかった。両端が池底の直下を通った一方、中央部は池底から1メートル以上深部にあった。池底からの深さに高低差が付けられ、深さ1・35メートル

    京都所司代屋敷跡で木製地下水路見つかる 「逆サイホン原理」で導水「作為は謎」|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
  • 平家一門の屋敷の一部か 堀の跡見つかる 京都 | NHKニュース

    平安時代後期に勢力を伸ばした平家一門の屋敷の一部とみられる堀の跡などが京都市内の発掘現場で見つかり、19日、一般向けの現地説明会が行われました。この付近に平家が拠点を築いたことは記録に残っていましたが、実際に遺構が見つかるのは初めてだということです。 ホテル建設に伴って、民間の発掘調査会社が去年12月から調査を進めていました。 堀の跡は東西に長さ15メートル、深さ1メートル40センチで、いちばん上の部分の幅は3メートルほどですが、深くなるほど狭くなっています。 南側に土塁が積まれた跡があることから南に屋敷が広がっていたとみられ、堀の中からは平安時代後期に当たる12世紀ごろの土器が多く出土したということです。 発掘調査会社によりますと「平家物語」には当時、この付近に平家一門の軍事的な拠点が築かれたとされていて、見つかった堀は、その一部と見られるということです。 この地域で、平家一門のものとみ

    平家一門の屋敷の一部か 堀の跡見つかる 京都 | NHKニュース
    ZeroFour
    ZeroFour 2019/05/20
    まだまだ出そうだ…。
  • 信濃毎日新聞[信毎web] 妻籠宿に構造物、許可 南木曽町、リニア・アセスで

    JR東海のリニア中央新幹線計画で、同社側が木曽郡南木曽町側に対し、環境影響評価(アセスメント)に関する調査の目的で、籠宿の重要伝統的建造物群保存地区内にコンクリート柱を立てる許可を申請し、町側が許可したことが26日、分かった。同計画で同保存地区内での現状変更行為の申請、許可は初めて。同社は4月以降、長野など沿線7都県で環境アセスの現地調査を格化させる。【連載「リニア時代」2面に】 同社環境保全事務所(飯田市)や町教育委員会などによると、調査は主に風向、風速、窒素酸化物(NOx)など気象や大気質を調べる目的。大籠にある県宝「藤原家住宅」近くに高さ10メートルのコンクリート柱を立てて頂部に風向風速計を取り付け、脇には小屋を設置。4月以降、四季ごとに1週間ずつ観測する。 町の籠宿保存地区保存条例に基づき、調査主体の日気象協会(東京)が19日に町教委に対して許可申請した。これを受け、

    ZeroFour
    ZeroFour 2012/03/27
    ふむ…。>"柱を茶色く塗るなど景観への配慮もされる。調査が終われば撤去されるため特に異論はなかった"
  • 「超コンクリート」:ピラミッドの石と、米軍の最新研究 | WIRED VISION

    前の記事 頭部穿孔や鉄の肺:外科医学博物館の画像ギャラリー 「超コンクリート」:ピラミッドの石と、米軍の最新研究 2009年11月 6日 David Hambling クフ王のピラミッド(ギザの大ピラミッド)。画像はWikimedia セメント製造技術は、歴史のなかで途絶えたり再発見されたりしてきた。古代ローマ人は、粉々にした岩(caementitium)を生石灰と水に混ぜて、さまざまな建物に使える物質を作り出す方法を知っていた。ローマにあるパンテオンは、無筋コンクリートでできた世界最大のドームといわれており、2000年経った今も強度を保っている。[古代ローマで使われたコンクリートは、セメントおよび火山灰を主成分としており、現代コンクリートの倍以上の強度があったとされている] だが、中世にはこういった技術は失われ、粗末な代替品として石灰モルタル(洋漆喰)が使われていた。また、1950年代ま

    ZeroFour
    ZeroFour 2009/11/10
    つくづく、古代ローマ崩壊後の欧州がいかに暗黒時代だったかが窺える。技術や文化を分析・継承するのではなく破壊・根絶するという選択肢を取った時点で、数百年単位で遅滞したことになるのか。
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