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あとで読むと歴史と東京に関するaceraceaeのブックマーク (7)

  • 御茶ノ水は人工の渓谷だった|太田記念美術館

    太田記念美術館では2020年10月10日~11月8日に「江戸の土木」展を開催しました。「土木」というキーワードで、江戸の成り立ちの様子を、浮世絵を通して眺めてみようという展覧会でしたが、その見どころをご紹介します。 今回は江戸時代に、人の手で造られた渓谷の話。御茶ノ水駅から秋葉原駅まで、神田川沿いを下ると、都心とは思えない谷状の地形が続いています。実は飯田橋付近から秋葉原付近までの神田川は、仙台濠とも呼ばれ、仙台伊達藩による大規模な土木工事で生み出された、人工の渓谷なのです。 神田山を分断する大土木工事 このあたりにはもともと神田山という台地がありました。現在の郷台地ですね。その神田山から隅田川へ向かって、神田川の原型となる流れが注いでいたのですが、そこに平川、小石川、石神井川3つの河川をまとめて接続し、隅田川へ放水するという、大規模な河川の架替えが計画されました。 その際に行われたのが

    御茶ノ水は人工の渓谷だった|太田記念美術館
  • 関東大震災映像デジタルアーカイブ

    『内務省検閲時報』によれば、1925年中に検閲を受けた作と思われるフィルムは、以下の6件である。 ・1925年8月21日/1344番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/297メートル/(製作者)東亞キネマ株式會社/(申請者)八千代生命保険株式會社/新 ・1925年8月21日/1345番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/297メートル/(製作者)東亞キネマ株式會社/(申請者)八千代生命保険株式會社/複一 ・1925年9月18日/2458番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/282メートル/(製作者)岩岡商會/(申請者)八千代生命保険株式會社/複二 ・1925年10月14日/3400番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/302メートル/(製作者)東亞キネマ株式会社/(申請者)八千代生命保険株式會社/複三 ・1925年10月14日/3401番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/

  • 海外「何だよこの清潔感は…」 終戦直後の東京を映した高画質動画に外国人が衝撃

    今回は1940年代、終戦まもない東京で撮影された白黒動画を、 復元処理させた貴重映像からです。 映像は前半に新橋と渋谷、後半に羽田空港へ続く通りが映されており、 カラー化(歴史的に正確ではない)、画像解像度をHDにアップ、 映像の鮮明さと明るさを向上、サウンドの追加など、 当時の雰囲気を出来るだけ体感出来る作りになっています。 今から少なくとも70年以上前の様子ですが、 歩道や道路が清潔で、人々の身だしなみが上品であるとして、 外国人に大きな驚きと感銘を与えていました。 寄せられていた反応をまとめましたので、ごらんください。 「日当に凄い国だ…」 日の奇跡的な戦後復興に衝撃を受けるアラブの人々 翻訳元 ■ 全てが清潔でちゃんとしてる事に驚いてる。 終戦直後だから建物は破壊されて、 料だって不足してただろうに。 戦後日の復興の速さは驚異的だね。 +216 台湾 ■ 1940年代で

    海外「何だよこの清潔感は…」 終戦直後の東京を映した高画質動画に外国人が衝撃
    aceraceae
    aceraceae 2022/10/23
    最後の方は焼け野原みたいな風景があるけど都市の復興が早かったのは事実だし逆に早すぎて無秩序な開発の原因にもなった感じだけど。
  • 『世界は五反田から始まった』足元から歴史が広がる - HONZ

    東京は広い。長いこと住んでいても、まだまだ知らない場所がたくさんある。 著者は東京品川区の戸越銀座で生まれ、現在もそこで暮らしている。著者の家は祖父の代からこの地で町工場を営んでいた。 戸越銀座は五反田から東急池上線なら二駅、都営浅草線なら一駅だ。戸越銀座も五反田もそれなりに知っているつもりでいたが、所詮それはピンポイントの知識に過ぎなかった。書を読むまで、このあたりを面としてとらえるイメージがまったくなかったのである。 戸越銀座と五反田は直線距離でわずか1・5キロほどしか離れていない。この界隈に住む人にとっては、戸越銀座商店街も五反田駅周辺も生活圏なのだ。五反田駅を中心とした半径約1・5キロの円を、著者は〈大五反田〉と呼ぶ。 書は〈大五反田〉の歴史を著者の個人史と結びつけて掘り下げた一冊だ。知らない街や他人様の歴史に興味はないと敬遠するのはあまりにもったいない。実は五反田は、日の近

    『世界は五反田から始まった』足元から歴史が広がる - HONZ
    aceraceae
    aceraceae 2022/08/31
    五反田って池田山や島津山がある山手線の内側こそが五反田的五反田だと思うんだけど内側が話題になるときって風俗街くらいで大抵外側しか話題にならないんだよなあ。
  • バビロンプロジェクトかネオ東京か…「東京湾を横断する海上都市」の建設計画が実在したという話

    Shichiro @pakuriman カメラ片手に旅するアカペラー a.k.a. Takkie ● UT都市工OB|ND61|NRC|LaVoce14th(デザ班C)|coiffeur|osco;picaro|どちゃえもん|天文部22ソフト|AJP|AWS ● #StandWithUkraine● 音楽&写真作品垢🔗 twitter.com/kanatoko_float Shichiro @pakuriman もう卒業したけど弊研究室で今までに聞いた中で一番強かったエピソード、研究室の大掃除をしてたら棚の上からでっかい図面が出てきて広げてみたら東京計画1960の原だったという話 (さすがに衝撃的すぎて真偽のほどは謎) pic.twitter.com/VDksIdi03Q 2021-05-21 23:27:55

    バビロンプロジェクトかネオ東京か…「東京湾を横断する海上都市」の建設計画が実在したという話
  • 【独自】「海の上を走る列車」の跡 高輪ゲートウェイ駅の再開発工事で出土:東京新聞 TOKYO Web

    JR高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発工事現場から見つかった高輪築堤跡=いずれも東京都港区で、社ヘリ「おおづる」から 1872(明治5)年の国内初の鉄道開業時、東京湾の浅瀬に線路を敷設するため造られた「高輪築堤(ちくてい)」の遺構が、東京都港区の再開発現場から出土した。かつて「列車が海の上を走る」と東京名所に数えられたが、一帯の埋め立てで姿を消していた。遺構は断続的に約1.3キロメートルにわたり確認。保存状態も良好で、開業時の鉄道の様子や土木技術を知る貴重な手掛かりになりそうだ。(梅野光春)

    【独自】「海の上を走る列車」の跡 高輪ゲートウェイ駅の再開発工事で出土:東京新聞 TOKYO Web
  • 硫化水素が発生し落ちたら死ぬドブ、しばしば轢殺される同級生...昭和30年代の東京芝浦エピソードは壮絶の塊だった

    キリュー @quiriu_pino 父親の語る昭和30年代の東京芝浦の様子は壮絶で、 ・ドブから硫化水素ガスが出ており、落ちたら死ぬと言われていた ・校庭でバタバタ生徒が倒れ、「毒ガス警報」のサイレンが鳴る ・夏休みは小学校で買わされた勾玉状の栄養ゼリー(⁇)を毎日摂取していた 2020-08-14 22:23:41 キリュー @quiriu_pino 中でも印象深かったのは ・「〇組の〇〇さんが車にひかれ亡くなりました」という校長先生のお話がしばしばある ・男の子が女の子の服を着ていたり、その逆も多かった(貧乏なので、事故などで亡くなったきょうだいの服をそのまま着させられている) 2020-08-14 22:27:15

    硫化水素が発生し落ちたら死ぬドブ、しばしば轢殺される同級生...昭和30年代の東京芝浦エピソードは壮絶の塊だった
    aceraceae
    aceraceae 2020/08/15
    30年代はさすがに知らないけど子供の頃まだ普通に蓋のない側溝がたくさんあった。冬にそこに張った氷を突いて遊んでいたら転落。たまたま通りかかった知らないおじさんに助けられたっけ。
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