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歴史と北海道に関するaceraceaeのブックマーク (1)

  • 上川離宮 - Wikipedia

    上川離宮予定地(現上川神社敷地) 上川離宮(かみかわりきゅう)は、明治時代中期(19世紀末)に当時の北海道上川郡旭川村(現旭川市)への誘致が検討されていた離宮の名称。離宮だけでなく、西京=京都、南都=奈良、東都=東京などと同様に、上川郡に「北京」を建設するという構想もあった。どちらも実現には至らず構想にとどまった。 経緯[編集] 役職はいずれも当時のもの。 1869年(明治2年): 松浦武四郎(開拓判官)、蝦夷地を北海道に改称。 国・郡の行政区画が北海道にも設定され、現在の旭川一帯が上川郡(石狩国)となる。 1872年(明治5年):岩村通俊(開拓判官)、当時は未開の地であった上川地方を部下の高畑利宜に視察させる。 1882年(明治15年):岩村通俊(会計検査院長)、上川への北京設置を明治政府に建議。 1885年(明治18年):岩村通俊(司法大輔)、永山武四郎(屯田兵部長)らを引き連れ、近

    上川離宮 - Wikipedia
    aceraceae
    aceraceae 2022/08/13
    知らなかった。北京は「ほっけい」かな。でも作るんなら平野が広がって雨雪も少ない帯広のほうがよかったんじゃないかな。低地なんで洪水は多いけどそこは治水でなんとかするとして。
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