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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (3)

  • 関西学院大学の闇 - jun-jun1965の日記

    李建志君は、私の後輩である。中央大学を出て東大比較に来た。在日である。ちょうど私が阪大へ赴任する時に修士課程を終えたのだが、私と、つくば国際大学に就職する加藤百合さんの歓送会が平川先生宅であって、その時李君が、「日文化なんてのはみんな朝鮮から来たんですよ」とべらべらしゃべっていて、みな「?」と思いつつ、黙っていたということがあった。 その後、京都ノートルダム女子大学へ赴任したが、いつもジーパンを履いていて、何だか駅前のバンドで演奏でもしているような風体で、もてないもてないと言っていた。 2005年3月、東大の大澤吉博教授が急死した葬儀の時で、帰りに延広先生と三人で事をして、李君が落語に詳しいことを知った。私はそのころ、川柳川柳が好きだったのだが、「ガーコン」といえば川柳で、しかし李君は、古今亭右朝もやる、と言った。へえと思って、しかし右朝が先にやったと聞き違えて、その頃『文學界』に連

    関西学院大学の闇 - jun-jun1965の日記
    bhikkhu
    bhikkhu 2016/05/20
  • 童貞と似たもの - jun-jun1965の日記

    童貞が、女体とかセックスというものに過大な幻想を抱いているということはよく言われる。むろん、その期待がたちまち裏切られる、というものではないが、やがて幻想は減退していく。 これとよく似ているのが、定職のない大学院修了者が、「専任」に対して抱く幻想である。これもまた、私のようにいきなり恫喝される場合を除けば、当初はある程度満たされる。そして、他の教員たちはみないい人で、などと言うのが普通であるが、たいてい、一年間は試用期間のようなもので、よく事情が分からないだけである。それが、二年、三年とたつうちに、雑用、会議、委員会などの仕事が押し付けられてくるのは言うまでもなく、いい人だと信じていた同僚が悪人であることが分かったりして、いったんこじれるととんでもなく面倒な世界に変わるのである。 - 前に書いたことの補強だが、丸谷才一の小説では、男が女に何か知的なことを教え、女が、へえそうだったの、という

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    bhikkhu
    bhikkhu 2008/12/14
  • 私は宮台真司に負けた - jun-jun1965の日記

    こないだ、いつの間にか週刊朝日に連載を始めていた中森明夫が「宮台真司の時代」があったと書いていた。中森は途中まで宮台の協力者だったが、自分が離れてから天皇がどうとか言い出しておかしくなった、と前から言っている。 私も宮台を批判していたが、宮台は答えなかった。私は売春必要悪論に転向したが、宮台の「援助交際は家父長制を解体する」などというのはもちろんでたらめ。その種の議論では私の勝ちである。あるいは中森や大月隆寛の勝ちである。 しかし、二十歳年下の東大名誉教授の娘と結婚して子供まで作ったという、人生上の幸福(少なくとも他からはそう見える)において、私は宮台に負けた。宮台の結婚は45の時だったが、私が45までに、二十歳年下のお嬢さんはおろか、結婚して子供をこしらえるなどということができる可能性は極めて低い。 そういう意味で、負けたのである。何も結婚して子供作るばかりが幸福じゃないだろうとか、そう

    私は宮台真司に負けた - jun-jun1965の日記
    bhikkhu
    bhikkhu 2007/01/01
    変なところで素直な猫猫先生
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