タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

blogと科学哲学に関するbhikkhuのブックマーク (2)

  • リヴァイアさん、日々のわざ: 構成論にもいろいろな立場があるものだなあ……

    なんかああだとうごするうちに、ちょっと展開がありメモしときます。 リンク: 酔狂人の異説 - トンデモという決め付け(2). リンク: 酔狂人の異説 - トンデモという決め付け(3). いずれも、先日の「理科教育と構成論」のからみからの流れ。 (2)の方は、コメント欄もよんでいただけるとよいか、と。 ぼくは、最初は、この方は強い非実在論の支持者だと思っていたわけですよ。 でも、(3)くらいになると、決してそうでもなくて、自然法則の実在性はアプリオリに認めてらっしゃる。 にもかかわらず、「構成」「創造物」という言葉にはとても愛着があるようで、 「重力に関する「逆二乗の法則」もケプラーの法則などをもとに「創造」されたものだと思うが……。科学理論は、それ以前の科学理論などをもとに「創造」されたものである。それは、新しい曲や新しい小説がそれまでに書かれた曲や小説から影響を受けているのと同様

    bhikkhu
    bhikkhu 2006/04/25
    意識してるかどうかはともかく、演繹のみを妥当な論証と見なす立場を取ってると善解すれば整合性はあるのではないかと。物理法則の実在は認めるような書き方でかなり混乱してるけど。
  • リヴァイアさん、日々のわざ: 理科教育と非実在論・相対主義についての「続き」

    件の「キーワードで探るこれからの理科教育」で感じたのは、議論の素朴さなのだけれど、それを簡単にいうとこんなふう。 まず、「実在と非実在」をめぐる世の議論として、こういうふうな流れがあったとします。 (1)仮説を立てて実験したりしているうちに、分子や原子や電子というものがあれば、いろいろなことが説明できることが分かりました。それで、分子や原子や電子といったものも、実在だと思うようになりました(素朴実在論)。 ↓ (2)でも、まてよ、当に実在するのだろうか。目に見えないんだし、原子や電子なんて、理論上の「構成物」なんじゃないだろうか(素朴非実在論) ↓ (3)とはいっても、それをいったら目に見えるものだって実在しているのか分からないわけで、まずいんじゃないの。我々の日常生活だって危うくなるし、なにもかもが「構成」なら科学がこうも「成功」していることも説明しにくい。やっぱり、実在と言

  • 1