タグ

入団への道と野球に関するkhtno73のブックマーク (7)

  • 入団への道(終) - 広池浩司 オフィシャルサイト

    前回は、ドミニカ共和国から帰国し、達川監督の方針の下、厳しい練習が行われていたファームの秋季練習に合流したところまでお伝えしました。 9月29日。この日の朝、嬉しいことがありました。堂でスポーツ新聞を手に取り、広島版のページを開いて見るとそこには、「広池、指名OK」という見出しで私についての記事がありました。内容は、「テスト生としてドミニカに渡り、カープの施設で練習を続けて来た広池をドラフト指名することがルール上問題ないという見解を連盟が示した。」というものでした。球団側がそういった問い合わせを連盟にしていたことがとても嬉しく、ドラフト指名が少し現実味を帯びて来たように感じました。 大いなる希望を抱きながら取り組んだ翌日の由宇球場での練習。ブルペンでの立ち投げの捕手を務めたのはなんと達川監督でした。 「ほれっ!思いっ切りほうってみい。遠慮せんでええからの。」 一瞬、緊張を覚えまし

    khtno73
    khtno73 2008/10/15
    堂々完結
  • 入団への道(10) - 広池浩司 オフィシャルサイト

    今日は、明日からの6連戦に備えて、大野練習場で軽めの練習を行いました。私は、この連戦をとても大事なものと捉えています。自分のすべきことに集中して、結果、内容ともに納得のいく投球をしたいと思います。 それでは連戦を前に、ドミニカでの出来事を思い出して、気分を高めていきたいと思います。少し長いですが、お付き合い下さい。 前回は、カープアカデミーがセマナ・サンタの休暇中の為、実戦登板から遠ざかるのを心配した上之さんが、サンディエゴ・パドレスアカデミーの監督と交渉して、私の実戦登板(先発)を実現させるという裏技に出たところまでお伝えしました。 「無理を言って投げさせてもらっておいて、みっともないピッチングをするわけにはいかない。」 市民球場での入団テスト以来、何も考えずポジティブにやってきた私が、初めてプレッシャーを感じました。 「いきなり、見ず知らずの日人がやって来てピッチャーをやっ

    khtno73
    khtno73 2008/07/08
    日に日にうまくなる文章。今回は最後で次回への引きまでやっている。
  • 入団への道(5) - 広池浩司 オフィシャルサイト

    今日は、午前中に大野練習場で練習をした後、名古屋へ移動です。移動の時間があるので久しぶりに、入団への道の続きのお話をさせて下さい。前回は、4月17日の更新分で、ドミニカ(共和国)行きが決まり、選手契約の可能性が復活したところまでお伝えしました。 私は、12月を埼玉の実家で過ごしました。キャンプ参加により、動くようになった体をなまらせない為に、トレーニングは続けました。 最初は、突然の全日空退社、プロテスト受験という事態に戸惑っていた家族も、元々は野球に対する理解があるので、その頃には、心から応援してくれました。特に、小さい頃、私を野球に導いた父と、私の影響もあってか野球好きになった姉は、私のプロ挑戦を喜んでいるようでした。 ちょうど1年前、帰省客でごった返す羽田空港で接客に追われて大忙しだったのとは対象的な、静かな年末年始を過ごすと、いよいよ出発の日がやってきました。 1998年1

  • 入団への道(4) - 広池浩司 オフィシャルサイト

    今日の阪神戦は、雨の為中止になりました。選手は、16時前から、甲子園の室内練習場で約2時間汗を流して、明日以降に備えました。 私は、午前中のウエイトトレーニングに続き、午後の全体練習中も、ノックや強化運動などで少し強めに動きました。 昨年までの考えでは、試合の日は、登板に備えて軽めの調整に徹していたので、午前中にウエイトトレーニングに出掛けることなどありませんでしたが、今年は、ずっと下半身強化を重点課題にしているので、オープン戦中から、「試合で投げながらも鍛える」形を継続しています。この形で今のところ体調はいいので、結果に結び付くことを信じて取り組んでいきたいと思います。 さて、今日は雨天中止で、少し時間ができたので、入団への道の話の続きをします。 前回は、秋季キャンプ参加中に、スカウトから、その年(1997年)のドラフト指名の可能性が無くなったことを告げられたところまでお話しまし

    khtno73
    khtno73 2008/04/18
    広池浩司、その情熱
  • 入団への道(3) - 広池浩司 オフィシャルサイト

    今日は、移動日(市民球場で練習後、神戸へ移動)なので、「入団への道」の話しの続きをします。 前回は、ようやく秋季キャンプ(由宇)参加まで漕ぎつけたものの、キャンプ初日のブルペンで、横で投げるプロの投手の迫力に圧倒され、自身が1球も投げないうちに、萎縮ぎみになったところまでお話ししました。 「それにしても凄い。しかもここにいるのは、現在は2軍に在籍している選手のはず。やはりプロのレベルは高い。」 大学時代は、野手として川上憲伸(明治)や三澤興一(早稲田)といったプロレベルの投手と対戦を重ね、そのレベルの高さを体感しているつもりでした。しかし、それはあくまでも打者の視点であって、投手の視点ではありませんでした。いざ、今、私の横で投げている投手と同じようなボールを投げろと言われても、それは無理な注文でした。野手上がりの私とは、明らかに異質の、キャッチャーミットを突き抜けて、どこまでも伸びて

    khtno73
    khtno73 2008/04/15
    第四回。怪我することで見えたヒント。
  • 入団への道(2) - 広池浩司 オフィシャルサイト

    今日のヤクルト戦は、雨の為中止になりました。観戦を楽しみにされていたファンの方々同様、私も残念です。 チームは、16時前から神宮の室内で練習を行いました。一昨日、中止になっている為、主催者側が、「少々の雨なら試合をやる」と言っていたようですが、降りの雨は、降り止まず、アップ中に中止が決定しました。 その後、キャッチボールやノック、ランニング等で、明日以降の為に、しっかり体を動かして、引き上げました。 一昨日に続き、また時間ができましたので、「入団への道」の話をさせて頂きます。前回は、当時住んでいた全日空の寮の自室で、会社を辞める決意をしたところまでお話ししたと思います。それでは、続きを始めます。 会社を辞める決意をした私は、ここで初めて両親に一連の出来事を話しました。こんな大切なことなのだから、もっと早く相談すべきだと思われるでしょう。しかし、全く先を読めない状況にいた私は、余計

  • 市民球場の思い出(1) - 広池浩司 オフィシャルサイト

    今年は、市民球場のラストイヤーです。 私は、今年、プロ入り10年目です。拠地であるこの球場には、やはり様々な思い出があります。今後は、月に一度くらいのペースで(あくまで予定です)、それを振り返ってお話ししてみようと思います。 第1回目の今日は、市民球場との出会いです。 私が初めて市民球場に足を踏み入れたのは、1997年の9月、カープの入団テストの日でした。 立教大学時代、外野手として1年生の時から4番を任され、プロ入りを熱望していましたが、その夢は叶わず、私は野球を諦め、全日空に就職しました。 全日空では、羽田空港のカウンター業務に就き、充実した日々を送っていました。そもそも飛行機が好きでしたし、空港独特の華やかな雰囲気も大好きだったので、とても楽しかったです。 転機は、業務全般に少し慣れてきて、余裕が生まれた入社2年目に訪れました。大学時代、神宮で共に戦った同級生や先輩、後

    khtno73
    khtno73 2008/04/10
    フォーク投げて「奇跡だ・・・」から当然のように振舞うくだりが最高に面白い
  • 1