音楽情報サイト『bmr』の編集長を務めながら音楽評論家/編集者/ラジオDJなど幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第5回です。コラムの過去回はこちら 第5回【その頃は「ネオ・ソウル」なんてなかった】 ディアンジェロの『Brown Sugar』がリリースされたのは1995年の7月。当時のディアンジェロは……えっ、21歳? 若い身空で成熟しすぎである。なんなんだ、この熟れ具合は。いま聴いても、この音楽的老け込み方は衝撃だが、当然ながらリアルタイムでのショックも相当なものだった。 だが、『Brown Sugar』がハッキリと大成功作品と見極められたのは、同1995年8月(タイトル曲がR&Bチャート5位まで上昇)から12月(「Cruisin’」が同10位)の間と思われる。 この成功は大きかった。その大きさは、他社の反応からわかる。つまり……この成功劇を見た