加藤和彦が死んだことで、一週間近く、ずっと考えているのだけれども、うまく言葉に出来ない。ただ、最近、死に様というのは、その人がいかに生きたかというのを象徴していることなのだなと、よく思う。そのひとつとして、加藤和彦の自殺も、すとんと腑に落ちるようなものを私は感じた。 彼のスタイリッシュで貴族趣味的といってもいい音楽のその裏には、いつも群衆からはぐれたところでぽつねんと佇む孤独の気配がいつも漂っていた。「うたかたのオペラ」の「50年目の旋律」、「ベネツィア」の「水に投げた白い百合」などがそうだ。 さらに誤解を恐れずにいうならば、彼の音楽そのものが虚無であったようにも思える。 フォークを端緒にロック・テクノ・レゲエ・ジャズ・ボサノバ・クラシックなどなど、バンドごと、時代ごとにコンセプトごとに変幻する彼の音楽――それは常に時代の半歩先を読み、後の世代に様々な影響を与えた作品ではあったのだけれども