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ヱヴァ破に関するmirunaのブックマーク (8)

  • 鼎談:泉信行 x さやわか x 村上裕一 2010年代の批評に向けて 第一回 - WEBスナイパー

    『GUNSLINGER GIRL (1) 』 著者=相田裕 出版社=メディアワークス 発売=2002年 『魔人探偵 脳噛ネウロ 1 』DVD 発売=2007年12月21日 発売元=「魔人探偵脳噛ネウロ」製作委員会 販売元=バップ 定価=3,990円(税込) 泉:今日のために、村上さんが夏コミで参加されていたヱヴァ破のコピー誌を読んできたんですけど、佐藤心さんとの対談、面白かったですね。なんか佐藤さんは、キャラのシチュエーション妄想をする妙な才能があって(笑)。マリに関しても、一見トラウマなんかと無縁そうなキャラなわけですが、それは改造手術か何かで記憶を消去されてるんじゃないかと深読みした上で、「マリが死ぬ間際にKey作品 のオルゴール曲みたいなのが流れて、消去されたはずの記憶が甦ってきたらしっくりきそう」って妄想していて、それはなるほど、絵面は浮かぶよねと。佐藤さんはガンスリの義体に喩えて

    miruna
    miruna 2009/09/21
    さわやか氏ってなぜこう精密なツッコミが入れられるんだろう。
  • 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』論考 - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena

    7月頃、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 」に関する原稿を書いたのですが、諸事情につき刊行されない運びとなったとのことなので、せっかくなのでウェブサイト上にアップしたいと思います。約8,000字です。 ■ 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(以下、『新エヴァ』と略す)の総監督である庵野秀明は、いまから約三年前にあたる二〇〇六年の九月に、同作品を制作するにあたって「我々は再び、何を作ろうとしているのか?」と題された所信表明を公開している(注1)。そこでは次のように書かれていた。なぜいまエヴァの再映画化を手がけるのか。それは「疲弊しつつある日のアニメーションを、未来へとつなげたいという願い。蔓延する閉塞感を打破したいという願い」を実現するためである。もちろん、いまさら十年以上も前の作品を映画化するのか、という思いはある。事実、「エヴァはもう古い、とも感じ」る。しかし、庵野はこうも断言している。「この

    『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』論考 - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena
  • サマウォにも新エヴァにも足りないもの - まっつねのアニメとか作画とか

    tokigawaさんの http://d.hatena.ne.jp/tokigawa/20090822 からインスパイア つまりね、 >目的を成し遂げるためのプロセスに「痛み」や「代償」 って考え方がすでに『段取り』 なんだよ。 「痛み」とか「代償」があったから、成功したんですよ〜 みたいな。 でもさ、エヴァの原点に戻るとさ、 ナディアで、「痛み」も限界まで受けて「代償」も極限まで払って でも巧くいかなくて凹んで庵野なわけじゃん。 その凹んだ庵野が 『「痛み」とか「代償」とか有ってもダメなのが現実だよな。 しょうがないことなんだ。それでもいいんだ。』 ってなったのがエヴァの最後。 というのが、当時エヴァ厨だった俺の認識だった。 そこからすると 『「痛み」とか「代償」を払えば、成功するんだ!頑張れ!』 みたいな映画を作られても、もうそれは作り物なんだよね。 成功者の作品というかね 出崎が劇ク

    サマウォにも新エヴァにも足りないもの - まっつねのアニメとか作画とか
  • ばるぼら × 四日市 対談『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 : 破』【前篇】 - WEBスナイパー

    ■旧劇場版のラストについて ばるぼら 2009年の現在に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』という作品を語るには、色々な前提をクリアしていかなくてはいけないと思うんですよ。まず、この新劇場版はもちろん旧テレビ版(1995年〜1996年)と旧劇場版(1997年)を踏まえて作られているわけですけども……。 四日市 旧劇場版のラストってどう解釈してます? ばるぼら シンジがアスカの首を絞めて、最後にアスカが「気持ち悪い」と呟くシーンね。脚段階では「あんたなんかに殺されるのはまっぴらよ」という台詞だったそうだけど、台詞自体は重要ではないと思う。 四日市 みんなLCL(※1)になっちゃうじゃないですか。旧劇場版で生きることを望まなかったのは、シンジとアスカ以外の人間達なんじゃないかと思って。シンジは生きることを望んだけど、そのためには拒絶されなければいけなかった。それで死んだアスカを蘇らせて。 ばるぼ

  • http://yaplog.jp/simoun/archive/93

  • ヱヴァンゲリヲン劇場版:破 - hazumaのブログ

    東浩紀です。一週間ほど休暇を取り、日とネットから離れていました。ブログのほう、ご無沙汰してすみません。 さて、帰国後すぐに「ヱヴァンゲリヲン劇場版:破」を観てきました。この作品についてはおそらくあちこちで語ることになると思うので、短い感想だけ。 結論から言えば、ぼくの予想よりもはるかによかったです。まずは新しい使徒のデザインがすばらしい。このために劇場に足を運んでも後悔しません。批評家的には、たとえば新キャラ眼鏡っ子に注目でしょうか。彼女はゼロ年代的というか決断主義的というか、要は西尾維新キャラとして導入されており、90年代ひきこもり組(シンジ&レイ)と対照的な存在です。そこに、2009年にこの作品を問うことの意味は十分含まれていると言えなくもない。 ほか鑑賞中も、批評的な物語*1がいくつも思いつきました。おそらくぼくは、批評家としては、この作品を評価するべきでしょう。少なくとも「序」よ

    ヱヴァンゲリヲン劇場版:破 - hazumaのブログ
    miruna
    miruna 2009/07/19
    西尾維新キャラ(笑)ページ作者様の希望によりブックマークの一覧は非表示に設定されています(笑)
  • 破、三回目 - I Would Give You Anything イェイッ!

    三回劇場に足を運んでようやく?素晴らしいフィルムであるということに確信が持てた。新劇場版における認識論としての二次創作、といういささか平凡な肯定、あるいは否定の感覚の中で、死海文書の二次創作としての黙示録だなどと戯言めいた言葉が浮かびもした。 「序」の段階ではそれほど散見されなかった新劇場版に対する懐疑的な論調(俺も序はそれほど熱心に見ていなかったしネットで感想を漁ることもしなかった。)が目立つのは「破」は映画論的あるいは説話論的に観ると物語の構造それ自体が陥没しているからだろう。「エヴァは新劇場版しか観てません」とか「旧エヴァは興味ありません」といった人はおそらく置いていかれるだろうし、優越感ゲームのプレイヤーもその脱臼された構造ゆえにハマれないし語れない。 ヱヴァで描かれる(とりわけ破での)「世界からの陥没」はいささか捩れた感情を観るものに抱かせることになる。クライマックスでしゃべりす

    破、三回目 - I Would Give You Anything イェイッ!
  • 庵野秀明総監督『ヱヴァンゲリヲン新劇場版・破』 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    二回目。 あー、今まだ二回目かよって言っただろー! って某所でゆったんだけどダレも『シムーン』ネタかよってゆってくれなくって寂しかったです。二話冒頭のアーエルな。シムーン脳がまだ治りません。治しません。 川崎チネチッタ、最前列ど真ん中で。 普通に泣けました。 映像的な衝撃は前回ほどは勿論受けなかったのだけれど、その分脚の妙を楽しめた、というか。 一例を挙げればシンジの「エヴァに乗るのが嬉しい人もいるんだ」とマリの「エヴァに乗るか乗らないかとかそんなことで悩むやつもいるんだ」とか、細かいところの照応関係が積み重ねられた挙句、ミサトさんには届かせられなかった手をシンジが届かせる、という流れには普通に感情を持っていかれました。 使徒は単に次々やってくるので、作品全体の経糸を因果性で通すのが結構難しいがためにこういう呼応関係を大量投入しているのだろうけれど、なんか、榎戸洋司作品ぽいなあという印象

    庵野秀明総監督『ヱヴァンゲリヲン新劇場版・破』 - 帰ってきたへんじゃぱSS
    miruna
    miruna 2009/07/17
    榎戸っぽいというのにすごい同感
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