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ブックマーク / nightyqueer.hatenablog.com (4)

  • BL受け攻め文化結局なんなのか問題 - don't look back into the sun

    どーーしてBLオタクはこんなにも受け攻め固定非固定リバ等セックス・ポジションを重視するのか、人間性や関係性に対する解釈がなぜセックス・ポジションの話になるのか、BLオタク達にとってセックス・ポジションがなぜそこまで核心的なものであるのか? BL受け攻め文化結局なんなのか問題、まだ自分の中で納得できる答えが見つかってないんだけど、ひとまず整理しようかな〜と思って書きました。というわけで、以下はBL受け攻め文化結局なんなのか問題について。 ▼ BLカップリング論争 BLオタク(特に二次創作)をそれなりの期間やっていると、必ず一度はカップリング論争を目にしたことがあると思います。 A×Bなのか、それともB×Aなのか、はたまた総受けか総攻めかリバかモブはありか同一カップリング内でも「こういう受け/攻めは嫌」などなど。商業BLオタクだとまあ最初からカップリングも物語も提示されているのであまり

    BL受け攻め文化結局なんなのか問題 - don't look back into the sun
    miruna
    miruna 2019/02/24
    腐の人らが受け同士のBLを百合呼ばわりすることの話がまったくされていないのでこの話は終わりという感じ。
  • ディズニー映画とポリコレ、それはそれとして - don't look back into the sun

    ディズニーは呪いをかけるのと呪いを解くので二度稼いでる。 こう言ったからといって、別に呪いを解くことを否定しているのではないし、呪いを解かれて勇気付けられることの意義を大切に思っていないわけでもない。でも、別の角度から見たらやっぱり二度稼いではいるんだよね。という話。 (1)ディズニー映画ポリコレ 近年のディズニー映画がいわゆる「ポリコレ」で評価されているのは、おそらくそれなりに知られていることです。 ベイマックスの日の描写、ズートピアにおける差別の寓話、レリゴーと高らかに歌うアナ雪、ただ塔のてっぺんで王子様を待っているだけではない勇敢なラプンツェル、王子様を頼ることなく自ら大海原に飛び出して行ったモアナ、エトセトラ。 もちろん「ポリコレ」という言葉が膾炙したのが比較的最近だったというだけで、「ジェンダーや人種をステレオタイプに表現するのではない物語」という意味で言うなら、ディズニー

    ディズニー映画とポリコレ、それはそれとして - don't look back into the sun
    miruna
    miruna 2018/12/14
    踏み込みが甘すぎ。誰にとっての政治的に正しいものがカネになるのかという目線がないからそこからはみ出すマイノリティを平気で踏みにじれる(アナ雪で批判された北欧の少数民族のステロタイプな差別的描写がいい例
  • フィクションに対する政治的批判(雑感) - don't look back into the sun

    まあわたしの観測範囲の問題かもですが、オタクコンテンツはインターネット政治(ツイッター)で当に頻繁にガンガン燃えており、一体これは何なんだろう?と思います。 いわゆるいかにもオタク的なアニメや漫画といったコンテンツに限らず、洋画をはじめとしたフィクションに対しても現実的差別に基づいたあれこれの批判が寄せられる光景が多々あり、改めて「そもそも現実のあれこれではなくフィクションに対してその手の批判を向けること」そのものについて考え直したいなと最近よく思います。 そもそもフィクションを政治的に批判するとは一体どういうことなのか? ツイッターで断片的に思ったことを言うのではなく、腰を据えてそれなりに長々とした文章を書き、自分の考えを整理したい。というわけで以下個人的な雑感です。 *** (1)作者の属性に対する批判 フィクションに対する政治的批評において、最も単純(そうに見える)のは、たとえば作

    フィクションに対する政治的批判(雑感) - don't look back into the sun
    miruna
    miruna 2018/11/30
    "多様な個人をある属性で括って理解するのは本質的に暴力です。"
  • 『やがて君になる』あるいは異性愛主義/百合の可能性について - don't look back into the sun

    『やがて君になる』という作品は、「恋愛感情がわからない」ことに不安と孤独感を覚えている女の子(侑)と「恋愛感情は理解したけれども片想いだけしていたい」という女の子(燈子)のお話です。 やが君において、人を好きになる気持ちは「当たり前」でも「説明不要」でもありません。言うまでもなくそのことがこの物語の大きな魅力であり、人々に支持される理由のひとつです。 ただ、だからと言って「恋愛」にならないのではなく、むしろやが君の主眼は通常の恋愛漫画よりも「なぜそこに恋愛が生じるのか」を掘り下げて丁寧に描くことで、そのために「恋愛がわからない」「片想いだけしてたい」などの要素が登場するのであり、その意味で紛れもない「恋愛漫画」なんだと思います。 ところで、恋愛感情が「当たり前」でも「説明不要」でもない状況で「恋愛」する様を描くことは、百合をはじめ同性愛表現が支持される時の大きな理由のひとつでした。 (1)

    『やがて君になる』あるいは異性愛主義/百合の可能性について - don't look back into the sun
    miruna
    miruna 2018/11/12
    恋愛なんてヘテロホモ関係なく単に性欲の一部の言い換えだしその手の韜晦に基づく言葉遊びに何の意味があるのかまるでわからないしBLは権力萌え勢力が大きいので百合の執着萌えと一緒にすんな
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