・『岡山の内田百閒』(資料①)では、昭和17年11月に内田百間が岡山に帰郷した経緯を次のように紹介している。 「大正の中頃以降、あれこれ理由をつけて岡山に帰ろうとしなかった百閒も、 木畑先生が亡くなったと聞いて、岡山へとんぼ帰りする」 「百閒が岡山城の天守閣を見たのはこれが最後であった」 ・『新輯内田百閒全集 第23巻』(資料②)の「東京燒盡」(昭和19年11月~20年8月22日までの日録)では、 岡山空襲後の郷里・岡山に対する心情が語られている。 「些とも顧ない郷里ではあるが敵に燒き拂はれたと云ふ事になれば人竝以上の感慨もある。 しかしどうせしよつちゆう行つたり來たりする所でもないとすれば記憶の中の岡山は 亞米利加もB29も燒く事は出來ないのだから、自分の岡山は燒かれた後も前も同じ事 であるかも知れない」 ・『月刊をかやま』(資料③)の「京橋の霜」(昭和21年5月掲載)の中でも、「私が岡