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歴史と建築に関するnakex1のブックマーク (5)

  • 歴史を知らない人は嘘と思うかもしれないが、中世には既に高層ビル街が存在した

    大西巷一:『星天のオルド タルク帝国後宮秘史』連載中 @kouichi_ohnishi 興味を引かれたのでちょっと調べてみた。以下の記事によると12~13世紀頃ボローニャには180基ほどの塔があったらしい。すごいな。富裕市民のステータスシンボルとして競って建てられたが現代では20基ほどが残るのみとのこと。amusingplanet.com/2017/08/the-to… pic.twitter.com/ygQUXpJB7K twitter.com/takasciello/st… 2020-12-10 14:41:22

    歴史を知らない人は嘘と思うかもしれないが、中世には既に高層ビル街が存在した
  • 漫画プロアシによる「玄関ドアの歴史」イラストまとめが興味深い 「昭和」「バブル」「現代」でこんなに違うのか!

    現実的な日が舞台の漫画であれば、必ず登場するであろう玄関のドア。そんなドアのデザインを「昭和」「バブル」「現代」、それぞれの年代の特徴で描き分けることができるというツイートに注目が集まっています。 「昭和」「バブル」「現代」の玄関ドア。見たことがあるドア、実家のドア、自宅のドアに当てはまる特徴があるのではないでしょうか 投稿したのはアシスタント背景美塾 MAEDAX派(@haikei_bijuku)さん。「キャラクター並みの個性」を持つという玄関の、年代ごとのちがいや変化を描いています。ライトの形、ドアの様式や装飾など世代ごとの特徴があり、一言で“玄関”と言っても、その世代ならではの個性があることがわかります。 また、「タンポポマット」と呼ばれるドアの前に置くマットや、模様や細工が入った「昭和ガラス」など、昭和特有の雰囲気を醸し出すアイテムも描かれています。MAEDAXさんが「玄関は家の

    漫画プロアシによる「玄関ドアの歴史」イラストまとめが興味深い 「昭和」「バブル」「現代」でこんなに違うのか!
    nakex1
    nakex1 2022/09/27
    昭和感な家から現代風の家に住み替えたんだけど,上の小窓はあったほうがよかった。採光とか換気とか。たまにヤモリが張り付いてたけど。減った理由はなんだろ?防犯?デザイン?格子付きとかダメかな?
  • 「日本最古じゃなかった」正直に言うべきか、どうしよう… | NHK | WEB特集

    その時計台の名は「辰鼓楼」(しんころう)といいます。 木造で高さはおよそ13メートル。 兵庫県北部の豊岡市出石町にあり、出石城跡の石垣の上から、長年、町の人たちを見守ってきました。 今のような大きな時計が掲げられた姿になったのは、明治14年。 現存する日最古の時計台として知られる、国の重要文化財、札幌市時計台が動き出したのと同じ年です。 市の教育委員会が建てた案内板には「札幌時計台とともに、日最古の時計台として親しまれている」の文字が刻まれています。

    「日本最古じゃなかった」正直に言うべきか、どうしよう… | NHK | WEB特集
  • コンクリートの平成史|E.Yasuda|note

    平成が終わろうとしています。 この、1989年から2019年にかけての30年ほどの間に、コンクリートには何が起きたのでしょうか。 平成が始まる100年前の1889(明治22)年、日初の近代港湾として横浜港の築港工事が開始されます。 その防波堤用の材料として、セメントという粉に石と砂と水を混ぜて作製するコンクリートという近代材料が使用され、日におけるコンクリートの歴史が幕を開けました。 (当時の言葉では摂綿篤・混凝土と書きました。) それからの殖産興業の時代、コンクリートという材料は土木・建築向けの建設材料として徐々に普及するようになります。 鉄筋との組み合わせによる鉄筋コンクリート構造は木材・石・煉瓦といった既存の材料による構造よりも強度に優れ、自由度の高い設計を可能にしました。 現存する国内最古の鉄筋コンクリート構造物は1903(明治36)年につくられた琵琶湖第一疎水路上の橋といわれ

    コンクリートの平成史|E.Yasuda|note
  • 「教室の黒板を夕日が照らす」のは「マンガの中だけの話」です!? | 雑学界の権威・平林純の考える科学

    「夕日が(今日の”日直”の名前が書かれた)教室の黒板を照らす」という風景は、マンガなどでよく描かれそうなノスタルジックな景色です。 …しかし、そんな「夕日に照らされた黒板」は、現実には(あまり)存在しない風景です。 なぜなら、学校の(多くの)教室は、黒板に夕日が当たることがない向きに作られていることが多いからです。 100年以上前の明治28年、当時の文部省が「学校建築図説明及設計大要」というものを発行しました。 これは、学校を作る際には「こういう風に作りなさい」という指導書です。 この「学校建築図説明及設計大要」では、(特殊な教室でない)普通教室について、次のように「教室・窓の向き」が決められています。 教室ノ形状ハ長方形トシ室ノ方法ハ南又ハ西南、東南トシ凡テ光線ヲ生徒ノ左側ヨリ採ルヲ要ス。 わかりやすく書けば、「教室は長方形で、おおよそ南(西南〜東南)に窓が向くようにし、生徒の左側から光

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