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OSSとFreeBSDに関するraimon49のブックマーク (11)

  • さよなら、愛しのFreeBSD|力武 健次 / りきたけ けんじ|note

    2019年1月末でFreeBSDに関連する開発活動を止めることにした。とても愛していたOSだけに身を切られるような思いは否めなかったが、別れが来るなら自分の自由になるうちにと思い、決断した。以下は個人的な想いを綴っている。 BSDの大元は、カリフォルニア大学バークレイ校で作られたオペレーティングシステム、今風に言えば基ソフトだ。Berkeley Software Distributionというのがもともとの名前だ。 1985年に自分がUNIXに触れたころから憧れていたのがこのBSDだった。当時のBSDはまだオープンソースではなかったAT&TのUNIXのライセンス制限の傘下にあり、自由にソースコードが読めなかった。でもAT&TのUNIXであるSystem V(システムファイヴ)よりはずっと自由だった。その後、DECのULTRIXやSunのSunOS 4など、多くの先進的なUNIXマシンがB

    さよなら、愛しのFreeBSD|力武 健次 / りきたけ けんじ|note
  • オープンソース活動がフルタイムの仕事になる仕組みの話|Rui Ueyama|note

    僕の仕事をひとに説明するときに、「Google仕事をしているけどオープンソースなのでGoogleのプロダクトを作っているわけではないし、むしろアップルとかソニーの人と一緒に仕事している」と言うと、「???」という反応になることが多いので、僕はこういう仕事をしているんだよということをここでちょっと説明してみようと思います。 (2016年の僕のFacebookの投稿の転載です。) 僕のいるチームはLanguage Platform Teamというところで、プログラミング言語や開発ツールの開発をしています。LPTの中にもいろいろ細かいチームが分かれているのですが、僕がいるのはC++チームで、Googleで主要開発言語になっているC++言語の開発環境を担当しています。 C++で開発をするときには、C++ツールチェインと呼ばれる一連のツールを使います。ツールチェインの一番大きなコンポーネントは、人

    オープンソース活動がフルタイムの仕事になる仕組みの話|Rui Ueyama|note
    raimon49
    raimon49 2018/11/01
    ソニーが自分たちのパッチを手元に置いておいてら本家の変更に追随できなくなった話、学びがある。
  • 【1990年代後半編】平成生まれのためのUNIX&IT歴史講座

    2018年6月16日(土)にOSC沖縄で講演したときの資料です。 https://www.jus.or.jp/blog/archives/951

    【1990年代後半編】平成生まれのためのUNIX&IT歴史講座
  • BSDは死につつある? 一部のセキュリティ研究者はそう考えている - YAMDAS現更新履歴

    Are the BSDs dying? Some security researchers think so | CSO Online 「目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない」というのがリーナスの法則として知られる経験則だが、BSD 系 Unix OS は、そのソースコードに目を光らせる開発者の目玉が足りてないらしい。 Ilja van Sprundel によると、BSD には容易に115個のカーネルのバグが見つかり(FreeBSD が30、OpenBSD が25、NetBSD が60)、しかもその多くは簡単に解決できる問題とのこと。彼はそのバグ全部をレポートしたのだが、それから半年経ち、その多くが残ったままだったそうだ。 Linux であれば、セキュリティ問題が長期間残ることは少ないのに、BSD はそれと比べて明らかに劣るというのだ。 BSD 系の中では、OpenBSD がセ

    BSDは死につつある? 一部のセキュリティ研究者はそう考えている - YAMDAS現更新履歴
  • セルフまとめ - Diary

    セルフまとめ 力武さんが FreeBSD の開発者コミュニティは衰退して ports がやばいみたいな話書いたら、日の利用者コミュニティの悪口みたいなエントリ上がってくるのまさに BSD 界隈のしょうもなさが象徴されていると思った — アラブ (@ssig33) January 11, 2017 力武さんが「FreeBSD は衰退しました」と言ったところ、佐藤先生がやってきて「俺はやっておるぞ、それはそうとして日人はダメ」って叫び始めたという光景であり、当に壮絶。 — アラブ (@ssig33) January 11, 2017 佐藤先生のエントリこの部分が一番やばくて、「老人ばっかだって力武さんはいうけど、若者もいるし、老人は沢山もどってきたし老人は沢山います」ってかいてある。力武さんの懸念が完全にただしいことがわかる。 pic.twitter.com/Bsqh3gUDp3 — ア

  • OSSコミュニティの継続性

    力武さんがこういう記事を書いている。自分自身BSD界隈に関わって15年は経つし、コミュニティ運営についてはいろいろと経験を積んだつもりなので、意見を書いてみることにした。書いてみたらまとまりのない文章になってしまったけれど、残しておくことにする。 目的のないコミュニティは続かない 「コミュニティに参加している人の年齢が高くなって、そのうちなくなるんじゃないか」という懸念は、少なくともFreeBSDには当てはまらない。活動がなくなる開発者もいるが、若いcommitter(ソースコードの変更権限を持っている開発者)は定期的に入ってきていて、人材の流動性は入口も出口も高い。CSRGの時代に活躍していた人が最近になって開発に再参加するケースも増えた。これらは国際会議の運営などを通じて交流を深める努力をしている成果でもある。50代や60代でコードを書いて参加しているひとはたくさんいて、特別なことでは

    raimon49
    raimon49 2017/01/11
    企業が「OSS開発者コミュニティ」と、どう付き合って行くべきか。利用者コミュニティの衰退はある意味で自然な現象とした上で、Appleの事例も。
  • ほころびていくコミュニティとなかなかできない世代交代、そしてさよならアドベントカレンダー - Qiita

    追記: 以下の文章に対して佐藤広生先生が自らの体験に即した意見を述べておられます。ぜひ一読をお勧めします。 昨年2015年にjp.freebsd.orgドメインの終焉に伴い地域技術コミュニティの役割というポエムを書いた。今年のはその続編である。こんなポエムを書くのも今年で最後にしたい。 51歳を越えたオッサンがPort maintainerをやる状況 今年2016年は初めてFreeBSDのPort maintainerになった。devel/git-lfsとjapanese/dbskkd-cdbの2つについてである。どちらも自分の仕事に必要だったが、前のmaintainerが作業をしないままか、あるいは他の事情でmaintainer不在の状態になったか、という事情からである1。 Port maintainerをやること自身には異存はない。日にもTeXLiveのPortsを仕切っておられる佐

    ほころびていくコミュニティとなかなかできない世代交代、そしてさよならアドベントカレンダー - Qiita
    raimon49
    raimon49 2016/12/25
    >今後、企業や財団の後ろ盾のないコミュニティは、急速に衰退していくのではないだろうか
  • オープンソースプロダクトがこの先生き残るためには〜FreeBSDを添えて〜 - FreeBSDいちゃらぶ日記

    10/24(金)に、FreeBSDワークショップというものが開かれました。開催場所は、例によって飯田橋に移動してしまったIIJ社です。主宰はAsiaBSDConなどを運営されている佐藤先生。元東京理科大、現東工大の先生。 話自体非常に分かりやすく、時折さらりブラックジョークを入れて笑いを取ってきたりもするので、聞いていてとても楽しい。流石佐藤先生。惚れる。 GooglemapIIJ を検索した結果、変な声出た > 閉業!< pic.twitter.com/4EbMuUBbG9— えむば姫 (@m_bird) 2014, 10月 24 エントリでは、FreeBSDワークショップの概要と、その中の空気(なぜか読めない)を簡単に意訳してご紹介したいと思います。なお、何か間違っていたら、ご指摘お願いいたします(凄い勢いで意訳している)。 FreeBSDがこの先生き残るためには ワークショ

    オープンソースプロダクトがこの先生き残るためには〜FreeBSDを添えて〜 - FreeBSDいちゃらぶ日記
  • 特別寄稿:センチメンタル・ジャーニー ~OSSはまだ16だから~ MOONGIFT

    小飼弾(@dankogai) まずはMOONGIFTさん、10周年おめでとうございます。今調べたら、404 Blog Not Foundも今年の11月が開設で、今年は個人的にも社会的にも節目の年なのかも知れません。 節目といえば、 "Open Source"という言葉も今年の2月3日に0x10歳の誕生日を迎えます。オープンソースのこれまでの沿革を振り返り、これからのことに思いをはせるには絶好のタイミングとも言えます。これまた偶然にも、その8ヶ月後に私は一児の父となりました。私にとって、オープンソースが育っていた月日は娘たちが育っていた日々と重なっています。 ただし同い年の長女とオープンソースには違いが一つあります。「オープンソース的」なものはすでに長らく存在していて、なかったのはオープンソースという名前だけだったのです。 俺のサーバーがこんなに売れないわけがない いわゆるLAMPを構成する

    特別寄稿:センチメンタル・ジャーニー ~OSSはまだ16だから~ MOONGIFT
  • 長文日記

  • DebianのRubyパッケージ管理者辞退に対する反応 - karasuyamatenguの日記

    Matzの元記事への返答の日語訳 http://d.hatena.ne.jp/yayugu/20110103/1294033012 ルビーに詳しい方の訳なので、元記事(http://www.lucas-nussbaum.net/blog/?p=617)の要点も臨場感がある。 HNの反応 元記事からリンクされたこのスレッド(http://www.ruby-forum.com/topic/785744#971922)のMatzのコメントがHNに上った。 http://news.ycombinator.com/item?id=2063203 ルビーのよる開発に適したlinuxのディストロは何かという問いに対して色々な答がある。その中にMatzが「Debian sid使っているけど問題ないよ」とコメントを残している。これに対するHNの反応: Rubyで実装されているツールを使いたい普通のユーザは

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