もともと「プレイステーション」という名称が、スーパーファミコンにくっつく拡張用CD-ROMオプションにつけられた名前だった、ということは、私のnoteを読みにくる方でしたら、だいたい知っていることだと思います。 それとは別に任天堂がフィリップスと提携して独自にCD-ROM機器を出すと発表し、プレイステーションの計画(このCD-ROM機器を後のPS1と区別するためプレイステーション0と呼称します)は破綻し、ソニーは独自路線を歩むことになります。そして任天堂はいつのまにかこのフィリップス系独自CD-ROM(これには正式名称がないのですが死ぬほどわかりづらいので、フィリップスシステムと呼称します)計画をぽしゃってしまい、スーパーファミコンはパワーアップせずそのままニンテンドウ64へと向かうこととなりました。 大雑把にこんな歴史を歩んでいたのですが、皆さん、このプレイステーション0とフィリップスシ
サブスク問題の真相 吉田豪「今日は宣伝色強めのトークをするようにと事前に言われたんですけど、無理ですよね(笑)。川本さん、できます?」 川本真琴「私、宣伝自体が得意じゃないので(笑)」 吉田「フフフ。わかりました。では探り探りいきましょうか」 川本「吉田さんは宣伝、得意ですか?」 吉田「ボクが宣伝を得意なわけないじゃないですか! ボクのインタビューはなるべく宣伝色をなくすのがテーマで、Twitter(X)でも宣伝が苦手なんですよ。感想をリツイートするのがせいぜいで」 川本「ホントですか!? そんな2人でトークを始めさせていただきます(笑)」 吉田「では、まずはサブスク問題※について!」 川本「いきなり(笑)!?」 吉田「昨日、『アフター6ジャンクション』(TBSラジオ)でこのイベントの告知をしてましたけど、えらい怯えてたじゃないですか」 川本「何かが起こるんじゃないかってね。吉田さんの記事
1990年代初頭、某所にて今後のゲーム業界を大きく左右する二社合同技術研究会が行われていた。 その研究会に参加していたのはセガの佐藤秀樹。後にセガ社社長にまで上り詰め、セガハードの父と呼ばれる男だった。セガ内のエース中のエース、アウトランとスペースハリアーを作った男、鈴木裕もいた。 そしてさらなる男がいた。ソニーの久夛良木健。プレイステーションの生みの親である。 彼らを中心にセガ、ソニー両社の技術者たちが机の上に並べられた資料を持って喧喧諤諤の大議論が行われた。その資料とは、開発途中だったセガサターンの資料だったのだ。隠しているものは何もなく、全スペックを久夛良木たちの前にさらけ出していた。 彼らの頭にあったのは「対任天堂共同戦線」である。当時のゲーム業界最大、最強の巨人に対抗しなければならない。それはセガ、ソニー両者の共通認識だった。そしてじきに「二社が共同で同じハード上で力を合わせるこ
歳をとると、自分に失望しなくなる。石野卓球(電気グルーヴ)インタビュー 2021/09/02 2023/08/15 電気グルーヴはフジロックフェスティバル2021で最終日の大トリを務めました。復帰ステージになる予定だった昨年のフジロックが中止されたこともあり、観客を前にしたライブは実に2年半ぶり。石野卓球さんの「どうだ! かっこいいだろ! 電気グルーヴだ!」の雄叫びに、胸がいっぱいになったファンも多かったと思います。 その1週間前、フジロックのリハーサルを控えた卓球さんに「加齢」をテーマにインタビューしました。メジャーデビュー30周年という偉大なキャリアを誇りながらも大手事務所から独立、自由を手にしリスクを引き受けて活動を続ける電気グルーヴ。卓球さんのお話は各界のフリーランスのみなさんにも大いに参考になるでしょう。 石野卓球(いしの たっきゅう) 1989年にピエール瀧らと電気グルーヴを結
今回は暑さしのぎの軽い読み物です。 CDスペック(16bit/44.1kHz)の問題点については、先日来の私の日記をご参照ください。 ひとつは、弱音部分の表現力が極端に悪化して「自然」な音が再現できないという問題(分解能、量子化ビット数)、もうひとつは、20kHzを超える高周波数ないし超高周波数が取り込めないという問題(サンプリングレート)ですね。 それでは、なぜ、そういう規格になったのか? これについては、商品としてオーディオCDが登場した1982年(昭和57年)という時代背景や開発当時の技術も考慮に入れる必要があります。 そこで、当時、ソニー社で開発責任の職にあったと自称する人や、その周囲の人達の回顧録などを読みましたが、CDがいまだに現役商品であることから、退職後も「言論の自由」は満喫できないようで、いい加減にお茶を濁しているのが実情です。たとえば、可聴帯域の上限が20kkHzだから
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2011/01/13 CD時代の終焉、ソニーが月産1800万枚のCD工場を閉鎖 Slashdotによると、ソニーが月産1800万枚生産する最も大きなCD工場を閉鎖するそうだ。この工場はレコード盤の生産を1960年から行っており(1988年からCDを生産)、3月31日に閉鎖され、300人が解雇されるとのこと。音楽は販売はCDからデジタル配信に変わったという象徴となるニュースかも知れない。日本はバカな縄張り争いのため、CDの売り上げは下がる一方で、デジタル配信にちゃんと移行出来ていないなぁ(レンタルCDでリップになっちゃった)。 投稿者 zubora 投稿時間 05:47 ラベル: Internet, Music, Technology 0 コメント: コメントを投稿
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