【読売新聞】今年誕生50周年を迎えた「ハローキティ」で知られるサンリオが第2の創業を掲げて社内改革に取り組んでいる。創業者の祖父の後を継いだ2代目、辻朋邦社長に聞いた。(聞き手・香取直武、写真・平博之) <サンリオへの入社は副社長だ
『機動戦士ガンダム』の生みの親であり、日本を代表するアニメーション監督・富野由悠季氏。富野監督はなぜ次々とヒット作を生みだせるのか。そこには「チーム」のポテンシャルを引き出すという意外な演出法があった。富野監督の密着ドキュメンタリー映像を演出してきた中西朋氏がリポートする――。(第2回) スタッフの力を引き出す! 富野監督のコミュニケーション術 「このシーンについて悩みに悩んで答えが出なくて禿げちゃった」 「爺ちゃんもいよいよ才能の限界かもしれない」 これらは富野由悠季監督が、スタッフを集めた制作会議で頻繁に語る自虐ネタの例です。初めてその姿を目の当たりにした時、私は残念な気持ちになりました。 私にとって富野由悠季監督は、アニメと実写の違いこそあれ同じ映像の世界にいる伝説の演出家であり、雲の上の存在です。だからこそ富野監督にはどんな時もカリスマ的なリーダーでいてほしかったのです。なぜ富野監
「カルピス、プリーズ」でなぜ、アメリカ人は大爆笑したのか 『風と共に去りぬ』で有名なアトランタへの直行便で着陸後、我々乗務員は新築の日航ホテルに到着した。 ロビーのレストランで、一緒だった搭乗客の団体さんが休憩している。 「コーヒーは機内でずっと飲んだから、カルピスをもらおうかな……。カルピス、プリーズ!」 それを聞いたウェイトレスは、「What⁉」と驚き、周りのアメリカ人たちが大爆笑している。アメリカに日本の「カルピス」があるはずもないが、その発音が、「Cow-Piss(牛の小便)」にしか聞こえなかったからだ。 機内で、その面白話の出来事をアサヒビール社長(当時)の泉谷直木さん(現アサヒグループホールディングス特別顧問)と談笑していたら、カルピスはニッカウヰスキーと同様にアサヒビールの傘下企業ですよ、と聞いたので驚いた。 後日、パーティー会場で泉谷さんと再会した。紹介したい人がいるからと
社員の雑談促す自販機 2人での利用は無料に―サントリー食品 2021年10月19日15時04分 社員同士の雑談を促す「社長のおごり自販機」(サントリー食品インターナショナル提供) サントリー食品インターナショナルは19日、従業員同士の雑談を促し、職場の雰囲気を活性化させる自動販売機を開発したと発表した。2人で同時に社員証をかざすと、2本の飲料が無料で出てくる。新型コロナウイルス感染症の拡大により、従業員同士のコミュニケーション不足に悩むようになった企業に対し、福利厚生の手段として売り込んでいく。 波平さんもびっくり!2030年の働き方 「メンバーシップ型」から「ジョブ型」の世界に?【けいざい百景】 開発した「社長のおごり自販機」には社員証を読み取る機器が取り付けられている。2人が同時に社員証をタッチし、10秒以内に飲みたい商品のボタンを押す仕組み。社員に無料提供する飲料の費用は、導入企業
「五味ちゃん 起業家7年生」連載の第一弾です。 第二弾は今月中にどこかで!25歳、起業家7年生。 こんにちは、ハヤカワ五味です。 そう、実は起業家としては7年生になってしまいました。 7年生ということは、小学1年生が中学1年生になるくらいの年数を起業家として費やしてきたということですが、正直この7年は自分にとって有意義ながら遠回りだったなと思います。 趣味で作ったものをSNSにアップしたら幸運にも話題となり、それを受けて法人化したのがシンデレラバスト向けランジェリーブランド「feast」の立ち上げの経緯ですが、そもそも私はコンシューマーゲームのプランナーか広告代理店のアートディレクターを目指していました。だから、事業を継続する気はまったくありませんでした。 そんなめちゃくちゃな立ち上がりをしたfeastなので、運営する中でも問題ばかりだったのですが、ここ半年〜1年くらいでいいメンバーとも出
ピクシブ主催のTech Confである「pixiv TECH SALON」が開催されました。当日は、Twitterのトレンド(日本)で1位を獲得するなど、多くの反響をいただきました。ありがとうございます! https://techsalon.pixiv.co.jp/techsalon.pixiv.co.jp 同イベントではさまざまな試みを行っていたのですが、主催を担当していた私がどういう狙いをもって実施したのかという点と、それを踏まえ、私が考える今後の企業主催Tech Confのデファクトスタンダードを提案します。 かなり長文になりますが、お付き合いください! 私自身の背景 〜エンジニア向けイベントの主催になった理由〜 2009年にNTTグループに新卒入社した私は「オープンソースソフトウェア推進部」という部署に配属されました。オープンソース文化の原点とも言える論文「The Cathedra
1965年生まれ、岩手県盛岡市出身。89年筑波大学比較文化学類卒、野村証券入社。93年米国野村証券。97年ニューヨーク大学経営学修士課程修了。01年不動産トレーディング会社レーサムリサーチへ移籍し金融事業を統括。04年サンマリーナホテル(沖縄)を取得し愛を経営理念とする独特の手法で再生。06年事業再生・経営受託を専業とするトリニティ設立、代表取締役社長(現任)。12 年沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科准教授(現任)。南西航空の再生をテーマにした「沖縄航空論」、人と社会の幸せを考える「幸福論」など担当。18年より人間中心の福祉と経営を学ぶ『命の学校』を、沖縄県社会福祉事業団と共同で開校し学長に就任(現任)。沖縄経済同友会常任幹事(09年度〜現任)。内閣府・沖縄県主催『金融人材育成講座』講師。沖縄に移住して14年になる。http://www.trinityinc.jp/updated
「一蘭」にハマった外国人観光客は、なぜオーダー用紙を持って帰るのか:スピン経済の歩き方(1/6 ページ) ラーメン店「一蘭」といえば、食事をするスペースが仕切られている味集中カウンターが有名である。珍しい光景なので、外国人観光客も写真を撮影しているのでは? と思っていたら、店員さんに「オーダー用紙を持ち帰りたい」という声が多いとか。なぜ、そんな行動をしているのかというと……。 先日、渋谷の「一蘭」でラーメンをすすっていたとき、食事を終えた外国人観光客の一団が非常に興味深い行動をとっているのを目撃した。 なんと、店員さんに対して、例の「オーダー用紙」を持って帰りたいと申し出ていたのである。 ご存じの方も多いと思うが、一蘭のオーダー用紙とは、麺の硬さ、秘伝のタレの量などを自分の好みでマルを囲む、アンケートのような注文用紙。1993年に1号店ができてほどなくして編み出され、現在は英語、中国語、韓
日本の電機メーカーが巨額赤字を出し、相次いでトップが交代した6年前。崖っぷちのソニーの社長に就任した平井氏はどのように社内を変えていったのか。 ソニーの平井一夫社長が会長に退き、最高財務責任者を務めている吉田憲一郎氏が社長になると発表された。このニュースに関連し、平井氏がソニーをどのようにけん引し、最高益を出すまでに至ったかを振り返ってほしいと編集部から依頼を受けたとき、最初に思い出したのは6年前のことだ。 日本の電機メーカーがそろって巨額赤字を出し、ソニー、パナソニックという世界的な企業でトップ交代劇があったのは2012年。リーマン・ショック、東日本大震災、タイ大洪水などで疲弊した電機メーカーは、この先もう上昇の芽がないのではないか。そんな風に言われていたあの頃のことだ。ソニーは英国人ジャーナリストでソニー・ピクチャーズ エンタテインメント社長からソニーグループCEOに上り詰めていたハワ
ごめんなさい。smashmediaのブログは削除されました。 10年に渡り、あちらこちらに書き連ねてきましたが、ご愛読いただきほんとうにありがとうございました。またリンクしてくださった方にも、心からお礼申し上げます。 以下、少し駄文を書きます。 ブログには「パーマリンク」という基本的な考え方があり、すべての発言や記事は半永久的に固定されたURLによって公開され、未来におけるアクセス権(閲覧可能性)を担保するという、じつに素敵なコンセプトなのですが、一方で古い情報が永遠に残り続けてしまうという弊害も生んでいます。 ブログというものが「ストック」であるならば、そこに書かれた内容に対して、書き手であるブログ運営者は責任をもつべきで、自らの考え方が変われば内容を更新し、状況や情報が変われば現在にあわせて修正すべきです。 でも現実問題として、そこまでさかのぼって更新や修正をできるほうが稀で、結果とし
デジタル写真の多くがスマホで撮られる時代、コンパクトデジカメはどうやってその存在感を示していくか。キヤノン「PowerShot N」はその課題に挑む製品といえる。 キヤノンが4月25日より販売開始するコンパクトデジカメ「PowerShot N」はいろいろな意味で、思い切りの良さが目立つ製品だ。「高画質」ではなく「新しい写真」を前面に出したコンセプトや左右対称でシャッターボタンのないデザイン、それに直販のみの販売形態と、ある意味コンサバな製品が目立つ、カメラの老舗である同社の製品としては異例の要素が多く詰まっている。 デジタル写真の多くがスマートフォンで撮られる時代、コンパクトデジカメはどうやってその存在感を示していくか。その命題に同社がどのように挑んだか、なぜこの形に結実したのか。製品企画を担当した、キヤノンマーケティングジャパンの岩田裕二氏に話を聞いた。 ――スマートフォンへの対抗策とし
Next: Brooksの法則を超えて The Revenge of the Hackers(ハッカーの復讐) 著:Eric.S.Raymond <esr@thyrsus.com> 訳:中元 崇と黒木掲示板の常連の皆様方 私が 「ハッカー界小史」 の最初の版をWeb上に公開したのは1996年のことだった。 私は独自性を持った文化の一つであるハッカーの文化に、もう長いこと、私が 1990年に「新ハッカー辞典」の最初の版を出すずっと前から、魅了されていた。 1993年の終り頃には私自身も含めて多くの人々が私のことをハッカー文化の種族 の中の歴史家であり、定住調査する民族誌学者でもあるとみなすようになった。 私はその役割に満足していた。 そのころは、私の文化人類学の真似事自体がその後の変化への重要な触媒になる とは想像もしていなかった。だからそれが起こったとき、私自身より驚いた人は 誰もいないに
WEBプロモーション, ソーシャルメディアと言っても自分のことではなく、昔から私がサイトの管理をしている友人の事業に関する話です。その友人はプロのカスタムペイントのペインターとして活躍しており、有名なバイクのレーシングチームのペイントやレーサーのヘルメットのペイントも手がけており、そのサイトのデザインから更新などの管理を一括して私が請け負っています。ネットからの注文はSEO対策が中長期的に安定した順位を保っており、最近グーグルとヤフーの検索結果が同じになってことでさらに安定して問い合わせ・受注も安定して受けています。そこで新しいマーケティングの提案として、twitterの導入を検討してみたのですがじっくりと友人の現在の業務の状況、業種としてtwitterを運営するにあたり、どういう運営が理想的か、どういう問題が発生するかなどを検討した結果、今回はtwitterを導入することは見送ることにし
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