子禿ことソフトバンク、TKO木本武宏さんを嵌めた投資詐欺グループにいた社員2名が週刊新潮砲を発端に逮捕される
本稿では日本株の売買単位について、私が知る限りのことを書きます。それなりに日本株と会社法に縁がある人生を送って来ました。 「日本株も1株から売買できるようにすべき!」というのは上場会社の株式担当者を除く全人類の総意だと思います。 (その担当者も自社の株式以外は1株から売買できるようにすべきと思っているはず) 自分も「日本株も1株から取引所で売買できるようにすべき」と考えていますが、そのためには制度面の整備が必要だとも考えています。ですが、特に上場会社の株主管理コストについて、有識者やメディアは「書類の電子交付をで効率化」という極めて解像度が低い発言が多い。本稿では、東証規則や法律上の根拠を適宜参照しながら問題の所在がよく分かるように論じたいと思います。 動画版です。音を出せる環境の方はぜひ。 はじめに 米国株から入る人もいる時代に100株単位はないよね、という話トヨタや三菱UFJ銀行よりも
本田宗一郎、盛田昭夫、堤清二、豊田章男──。名経営者たちの奮い立つ言葉なくして「経済大国」日本は生まれなかった。 彼らは何と闘ったのか。そして、日本人の心に刺さったメッセージは、時代とともにどう変わっていったのか。 ノンフィクション作家の児玉博氏が、経営者の歴史的発言から「日本企業メッセージ史」をたどる。 「無駄なやつは一人もいない」 「俺にはクルマを作る権利がある。自由競争こそ産業を育てるんだ」 1951年、本田宗一郎が55歳のときに官僚たちに言い放った言葉だ。戦後、自動車会社が乱立していたことから、通商産業省(当時)が2社に収斂させようとしていた。当時、二輪を製造していた本田技研工業は反発し、四輪への夢を捨てなかったのだ。 本田技研工業(ホンダ)を一代で築き上げた戦後を代表する経営者、本田宗一郎。 「日本の機械工業の真価を問い、これを全世界に誇示するまでにしなければならない。わが本田技
平成のプロ野球史を振り返ったとき、どうしても触れなければならない人物がいる。 巨人の親会社、読売新聞グループの最高権力者として君臨し続ける渡邉恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役兼主筆(92)の存在だ。 【写真】実現しなかった「仙台ライブドアフェニックス」 昭和9年(1934年)に当時の読売新聞社の社長・正力松太郎の手により発足した大日本東京野球倶楽部は昭和10年(1935年)に東京巨人軍と改称。戦後の昭和22年(1947年)に現在の読売ジャイアンツとなって現在に至るが、その間に実質的にこのチームの頂点に君臨した人物が3人いる。チーム創設の父だった正力松太郎と正力の死後、読売新聞社長に就任しその意思を継いだ盟友の務臺光雄。そして務台の死によって名実ともにグループのトップに立った渡邉だった。 特にプロ野球が日本のトップ・オブ・スポーツに君臨していた昭和から、激動の時代に突入した平成時代は、様
薮田@yabucccchiです。先日、転職活動の記録をご紹介いたしました。 メルペイ、ZOZO、SmartHRを受けてみて 今回は現在の会社に在籍した10年間の会社生活の記録です。なのでちょっと長いです。 事件後のライブドアへ入社、NHN Japanとネイバージャパンとの経営統合、LINEの成長と今。激動の10年でしたが、様々な経験をさせてもらえた10年でした。私が何を経験したのか、私が会社を見ていて何を感じたのかを忘れないように残しておきたいと思います。感謝と共に。 私の10年は大きくわけると3つくらいのシーズンがありました。ディレクター期:2008年〜2011年 _約2400文字会社変動期:2012年〜2014年 _約2600文字人事色々期:2015年〜2018年 _約2500文字 それぞれのシーズンごとにポエムしていきたいと思います。ディレクター期:2008年〜2011年ライブドアに
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2018年4月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2018年4月) 独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。(2018年4月) 出典検索?: "マネックス・ショック" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL マネックス・ショックとは、マネックス証券がライブドアおよびライブドアの子会社の株式の信用担保能力の評価をゼロとすると取引日の日中に突然発表したことに端を発した、株式市場の連鎖的な混乱と暴落のことである。 経緯[編集] 2006年1月16日、東京地検特捜部が証券取引法違反の容疑により、ライブドア本社および堀江貴文
こんにちは、ポータルサイト「livedoor」の運用業務を担当しております。ウェブサービス本部の伊藤です。 突然ですが、皆さんは10年ほど前、どのようなウェブサイトをご覧になっていましたか?現在の「livedoor」がポータルサイトとして誕生したのは、2003年11月。いよいよ10年目に突入した今、改めてポータルサイト「livedoor」の変遷をたどりたいと思います。 それでは、総合ポータルサイトとして開始した当初から、振り返ってみましょう。 総合ポータルサイトとしての「livedoor」スタート 2003年11月 ライブドアは当初、インターネットサービスプロバイダとしてスタートしましたが、2003年当時にはプロバイダとしてのサービス以外にも様々なWebサービスを運営しており、それらは各種サービスごとにそれぞれIDを提供していました。また、総合ポータルサイトとして始動するにあたり、それらの
March 10, 201213:50 カテゴリライブドアという会社の話をしよう ライブドアという会社の話をしよう - Q12. 次世代ブログサービス(になるはずだった) nowaの撤退をどうみた?(下) さて、前回からの続き。 社運をかけて招集された nowa の開発チームは、プログラマ、ディレクター、デザイナー、マークアッパ、どれをとっても精鋭チームというべき豪華な面子が勢揃いしていた。 一方の「旧ブログ」チームは、それまで一人でブログを支えて続けていたベテランのエンジニアが辞め、あとを僕ともう一人とで継いだものの、その片方の人も別会社に移って行ってしまって、エンジニアは僕一人だけになっていた。マネタイズのプランもなくただの金食い虫だった「旧ブログ」には大した長期戦略も与えられず、広告営業案件の狩り場と化して、宣伝用のブログパーツばかり作らされていた。 基本的に旧ブログチームの役割はデ
堀江さんは性格が悪いどころか、むしろ尊敬できる人間じゃないかと思い始めたのは彼が逮捕されてあとの話だ。拘置所からもどってきた堀江さんが痩せてスリムになっていたのはともかくとして、人に接する態度がすっかり謙虚になっていたのには驚いた。ほりえもんは逮捕されて人格者になったとその頃、ぼくはまわりに触れ回っていたのを覚えている。やっぱり逮捕されて反省したのだろうと最初は思っていた。 (実際には、堀江さんは、まったく反省していなかった。少なくともぼくが思っていたような意味では。彼は無罪を主張していて、その後、「徹底抗戦」を出版した。) どうも堀江さんは逮捕の以前から自分が認めた相手にはとても謙虚だったらしい。ようするにぼくに対しては・・・まあ、そういうことだ。逮捕後、まわりに残っている人間に対して一様に謙虚になったということなんじゃないかと思う。 逮捕後も相手によっては以前同様の傲岸不遜な態度を示し
livedoor Readerがグッドデザイン賞を受賞したので、開発当時の企画書をさらしてみる カテゴリ: やってみた 思った livedoor Readerがグッドデザイン賞を受賞しました(審査員コメントなど、詳しくはlivedoor Reader開発日誌で)。 ご利用いただいたみなさん、ありがとうございます。サービス開発やプロモーションに携わった皆さん、おつかれさまでした。ライブドアを退社してピクシブでがんばってるyspもおつかれさまでした。 今日はそれを記念して、サービス開発当時(2006年1月〜3月くらい)の企画書をさらしてみます。 オリジナルのデータがどっかいっちゃったので、紙で残っているものをキャプチャしました。書き込みが生々しいですね。 そして早速ですが、「1)競合他社のサービス例」と「2)RSSリーダーの周辺ビジネス例」は外部に公開するにしては辛辣なので割愛させていただきま
堀江貴文元ライブドア社長の「徹底抗戦」を発売直後に読んだんだけど、非常におもしろかった。最近の堀江さんのブログもおもしろすぎるのだけど、本にまとまっているのもやっぱりいいなあ。 というわけで、なんとなく堀江さんとの思い出を書いてみようと思う。 といっても、堀江さんとはたいして知り合いじゃないのだ。正直いって、堀江さんの記憶に残っている自信がない。僕はライブドアでたいした何かをやったわけではないので、当たり前といえば当たり前だ。 そして僕のほうもライブドアに長くいたわけでもないし、堀江さんと絡みがあることも少なかったので、堀江さんエピソードを偉そうに語るほど特によく知っているわけでもない。 ただ、僕にとってやはり堀江貴文というのはインパクトのある人だった。バイトも含めてほぼ初めて入った企業の社長だったというのもあるのかもしれないけど、今でも自分の行動や考え方に大きな影響を与えてる人な
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