「原発事故のマイナスイメージを変えるビッグチャンスだ」。二〇一七年、福島市の斎藤道子さん(57)は、市内のあづま球場が五輪のソフトボールと野球の会場に決まったというニュースに胸を高鳴らせた。 あの日から四年後の今年、ブログに書き込んだ言葉は「今、ものすごく迷っています」。大会を支えたいとボランティアに手を挙げたが、やりがいが見えなくなり、正直な気持ちを吐き出した。 斎藤さんは、前回の東京五輪があった一九六四年に広島県福山市で生まれた。記憶に鮮明なのは小学二年だった七二年の札幌五輪だ。テレビで見て「世界にはいろんな人がいるんだ」と興味を持ち、地球儀を抱えて寝た。大学で比較文化を学び、旅行会社に就職して世界を歩いた。