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*考察と批評に関するshields-pikesのブックマーク (2)

  • 地方の雑誌メディアの終焉が近い件について 追記1

    http://anond.hatelabo.jp/20080219121753 の続きです。 タウン誌の広告が「成功した」という定義、それはものすごく曖昧なものでした。ざっくり言えば、クライアントの多くが「反響があれば、まぁOK」という認識のもと、安くはないお金を広告料として支払っていたのです。では、広告の成果を左右する「反響」とは何か? 雑誌を見たお客さんが増えることによる収益アップは当然として、周りの人に「○○に出してたね」「○○見たよ」そんなふうに言われることによって、オーナーさんの自己顕示欲?のようなもの満たされることも、広告料という対価を払うにふさわしい「反響」として認識されていたのです。 もっと簡単に言えば、広告に対して「シビアじゃなかった」んです。タウン誌サイドも、クライアントも(今と比較してのお話ですが)。 しかし、ご存じの通り景気後退の波はひたひたと押し寄せてきます。クラ

    地方の雑誌メディアの終焉が近い件について 追記1
  • 恋とホストのケータイ小説のが、熟年不倫小説よりも文学だよ - くろいぬの矛盾メモ

    ケータイ小説への批判を、PCのブログで最近多く見る。 映画「恋空」の影響か? 何か、恐れてるのか? でも、批判の内容が薄い。そして、おっさんくさい。 要は、かつてのヒップホップやテクノなんか音楽じゃねえ、って意見と同じ。 ラップなんか、しゃべってるだけじゃねえか、歌じゃねえよ、って。 ケータイ小説を批判する人の言説は、純文学を擁護する文学青年や、ハードSFしか認めないSFオタクなんかの言説に非常に類似しているのが、おもしろい。おまけに馬鹿にしてるくせに、「ガッシ、ボカッ」以外は誰一人ちゃんと読んでないし。 それにしても。 いまだに小説≒文学って思ってる人が多いんだな、って改めて思った。 好きの多くは、エンタメ系の小説とエッセイと実用書くらいしか読んでないはずなのに。 小説ってのは、来フトコロが広いメディアだ。 散文を主体に構成されていれば、どんな文体でも、どんな構造でも、どんな媒体に載

    恋とホストのケータイ小説のが、熟年不倫小説よりも文学だよ - くろいぬの矛盾メモ
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