タグ

上野千鶴子と書評に関するshino-katsuragiのブックマーク (2)

  • 上野千鶴子「ケアの社会学」書評 家族介護を解体し、共助のしくみ追究|好書好日

    超高齢社会における共助の思想と実践とは何か? これまでもっぱら「ケアする側」の立場から語られてきた介護の問題を「ケアされる側」の立場から捉え返し、介護現場における「当事者… ケアの社会学―当事者主権の福祉社会へ [著]上野千鶴子 私たちは人類史上はじめて「超高齢化社会」を経験している。なぜなら人が簡単に死ななくなったからだ。過去にはありえなかった社会構成が出現している。 また、介護保険法の成立によって、これまで家庭内の「不払い労働」だった介護が、家庭外の「支払い労働」へと拡大している。「介護は家族が担うのが当然」という規範は根強い。しかし、はたして家族介護は「自然」の行為といえるのか。それを無条件で「望ましいもの」とみなしていいのか。 上野は、家族介護は神話であり、解体する必要があると論じる。そして、ケアは「愛の行為」ではなく「労働」と捉えるべきことを強調する。ケアを「有償の労働」とみなす

    上野千鶴子「ケアの社会学」書評 家族介護を解体し、共助のしくみ追究|好書好日
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2011/10/11
    愛も無尽蔵ではないからな。/「女性の階級問題」げに。
  • 『女ぎらい』な日本の私 ~だから女は分断される:日経ビジネスオンライン

    私は、中高時代を女子校で過ごした。女子校というと、いまだに「女の園」の甘酸っぱいイメージを抱いている人がいる。 だが、たいていはそんなにおしとやかな世界じゃない。特に私の学校は、「女性の自立」というフレーズを耳にタコができるほど聞かされた。かくして少女たちは「女」を意識せずにのびのび育ち、18歳にして野に放たれる。 男女共学の大学に入って驚いたのは、「男/女」の属性によって、期待される役割が違うということだった。 たとえばサークルで文化祭の準備をする時、男子はペンキ塗りなどの力作業、女子は会計などの事務作業を割りふられる。しかも先輩女子が率先して後輩女子を呼び集め、その任務を嬉々として買って出る。ああ、ペンキ塗りのほうが絶対楽しいはずなのに……。私は苦い顔をしながら、しぶしぶその声に従っていた。 当たり前だが、女子校にいれば力作業も何もかもを女子だけでこなす。個人の向き不向きで役割分担をす

    『女ぎらい』な日本の私 ~だから女は分断される:日経ビジネスオンライン
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2010/12/13
    〈本書は多くの読者にとって、女にとっても男にとっても――とりわけ男にとって――不愉快な読書経験をもたらすだろう〉
  • 1