タグ

歴史と史料に関するshino-katsuragiのブックマーク (3)

  • 新選組、斎藤一の写真見つかる 震災や戦災逃れ子孫に - 共同通信 47NEWS

    新選組の幹部として活動した斎藤一(提供写真)  江戸時代末期に反幕派を取り締まった新選組の幹部として活動し、明治維新後も生き残った斎藤一について、明治30年の1897年にや息子2人と共に撮影した写真が残されていたことが15日、歴史研究家のあさくらゆうさん(47)や子孫らへの取材で分かった。 斎藤は残された史料や写真が非常に少なく謎が多い人物とされており、これほど鮮明な写真が見つかるのは珍しい。 維新後に藤田五郎と名乗った斎藤を巡っては、西南戦争で政府側に従軍し、警視庁にも勤務したことなどを示す恩給関係の史料が国立公文書館に保管されていたことが昨年判明している。

    新選組、斎藤一の写真見つかる 震災や戦災逃れ子孫に - 共同通信 47NEWS
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2016/07/16
    るろ剣ネタ多そう…。
  • 謎の文明を解き明かす「失われた言語」が刻まれた2500年前の石板が発見される

    紀元前8世紀から紀元前1世紀にかけてイタリアで高度な文明を発展させたエトルリア人は、宴会や音楽、ぜいたくを愛し、しかしとても信心深かったと言われています。高度な文字文化を持っていたものの現在ではほとんど資料が残されておらず、どんな文化を築いていたかがわからないため「謎の文明」と言われることもあるエトルリアの言語が刻まれた石板が新たに発見され、謎を解明する手がかりになると見られています。 Text in lost language may reveal god or goddess worshipped by Etruscans at ancient temple | SMU Research http://blog.smu.edu/research/2016/03/28/text-in-lost-language-may-reveal-god-or-goddess-worshipped-b

    謎の文明を解き明かす「失われた言語」が刻まれた2500年前の石板が発見される
  • 明の上奏文に「尖閣は琉球」と明記 中国主張の根拠崩れる+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    中国・明代の『石泉山房文集』。赤線を引いた一節に赤嶼(大正島)が「琉球の境」と記されている=「四庫全書存目叢書」(荘厳文化公司)から 尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。中国は尖閣諸島を「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼(とうしょ)だった」と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。◇ 尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に日が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」に「日帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。明代にも琉球側と記していた中国史料の存在が明ら

    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2012/07/17
    でも、琉球は冊封国として扱われてきたし。中華以外は人じゃないのが習い。
  • 1