戦国武将の明智光秀が本能寺の変を起こしたのは室町幕府の再興が目的だったとする研究成果を、新たに確認された光秀直筆の書状を基に三重大学の研究者がまとめ、光秀が主君の織田信長を討った動機をめぐる研究の進展が期待されます。 これまで写しだけが残されていましたが、三重大学教育学部の藤田達生教授が調べたところ、筆跡などから光秀直筆の原本と確認できたということです。 書状は「六月十二日」の日付があり、位の高い人という意味の「上意」という言葉を使って、その人物が「御入洛」、つまり京都に来ることになると伝えています。 藤田教授によりますと、日付は本能寺の変の10日後にあたり、信長によって追放されていた室町幕府の将軍、足利義昭が京都に戻って来ることを意味しているということです。 藤田教授は書かれた日付や内容から、光秀が室町幕府を再興させるために本能寺の変を起こし、主君の信長を討ったのではないかと指摘していま
リトアニアの教会から発見されたミイラ。同じ地下墓地にあった子供の体の一部から、世界最古の天然痘ウイルスが見つかった。(PHOTOGRAPH BY KIRIL CACHOVSKIJ, DELFI) その病は、街を壊滅させ、帝国の拡大を阻んだ。ある歴史家はそれを「最も恐ろしい死の代行者」と呼んだ。 天然痘はひっそりと忍び寄る過酷な病で、皮膚に跡を残し、多くの人を死に至らしめた。その恐怖から、人類は初のワクチン開発をなしとげ、また初めて病気を完全に撲滅することに成功した。 歴史上最も恐れられた病、天然痘――ところが今、分子遺伝学の発達により、これまで定説となってきた天然痘の歴史に疑問が生じている。 カナダ、マックマスター大学のデグルート感染症研究所率いる国際研究チームが、17世紀のリトアニアで埋葬された、ミイラ化した子供の遺体から天然痘のDNAを採取し、その遺伝子配列を解明した。 これを近代の天
およそ3万年前、人類はどのように今の台湾から沖縄に渡ったのか検証しようと、国立科学博物館などのグループが当時を想像して作った「草の舟」は17日、沖縄県の与那国島を出発して、28時間後の18日昼前、目的地の西表島に到着しました。しかし、草の舟は潮に流され、全体の半分以上の区間で航海を見合わせ、伴走船に引かれることになり、研究グループの代表は「祖先の実像に迫りたいと思ったが、どうやって海を渡ったのか逆に謎が深まった」と述べました。 グループでは十分な道具もなかったとされる、およそ3万年前の状況を想像して長さ6メートル余りの「草の舟」を作り、2そうの舟にそれぞれ7人ずつが乗り組んで、17日午前7時ごろ、与那国島の海岸を出発しました。しかし、草の舟のスピードは計画よりやや遅い、時速2キロほどにとどまり、潮の流れが速かったことから、舟は次第に北寄りに流されたということです。 このため、17日午後3時
カナダ人の少年が衝撃的な偉業を成し遂げた。カナダ・ケベック在住の15歳の少年William Gadoury君は、「マヤ暦で2012年に世界の終りが予言されている」という逸話を知ったことをきっかけに南米の古代文明に興味を持ち、3年前からある仮説を立てて独自に「研究」を行っていた。その仮説とは、マヤ文明の古代都市が星座の並びを模して配置されているというものである。 Gadoury君は 「なぜマヤ文明の都市は川から離れた山奥の不便な場所に造られたのか?」 と疑問を持ち、上述の仮説を思いついた。この仮説を検証するためにGadoury君が使ったツールはなんとGoogle Maps。Gadoury君はマヤのGISをダウンロードして地図上にプロットし、その地図に南米から見ることのできる範囲の星図を重ね合わせてみた。 結果、驚くべきことが明らかになった。マヤ文明の117の都市が実際の星の並びと一致していた
AIで聖書の起源に新たな光。機会学習ツールによってこれまでの理解が覆るかも2016.04.13 12:305,111 satomi 今から2,600年前、新バビロニアのネブカドネザル王がエルサレムを陥落する直前までユダ王国の南の国境を護っていたユダの戦士たち。その彼らが残した碑文を最新のデジタル筆跡鑑定技術で調べてみたところ筆者の人数が判明、聖書の起源に迫るブレイクスルーとして注目を集めています。 「聖書がリアルタイムで書かれたものではなく、後世に執筆・編集されたものらしいことはさまざまな研究で明らかになっていますが、具体的にいつ書かれたのか?というのはまだわかっていないのです」と米Gizmodoに語るのは、テルアビブ大学の数学者Arie Shausさん。 そこでShausさんらテルアビブの数学者・考古学者9名のチームが目をつけたのが、機械学習ツールです。とりあえずこやつで同時代の文字を調
現代のヒトの祖先であるホモ・サピエンスと、約2万年前に絶滅したと考えられているネアンデルタール人の交配は、従来の研究から考えられていたよりも5万年も早い約10万年前から始まっていたとする研究結果が科学誌「Nature」に発表されました。これは、ホモ・サピエンスが従来考えられていた時期よりも早い段階でアフリカから移動を開始し、ネアンデルタール人との交配(セックス)を行っていたことを示しています。 Ancient gene flow from early modern humans into Eastern Neanderthals : Nature : Nature Publishing Group http://www.nature.com/nature/journal/vaop/ncurrent/full/nature16544.html Humans and Neanderthals
南米ペルーの世界遺産「ナスカの地上絵」の解明に挑む山形大人文学部付属ナスカ研究所(所長・北川忠明学部長)は7日、ラクダ科のリャマとみられる地上絵24点を新たに確認したと発表した。過去に見つけたリャマ17点と同じ地区で発見し、数十点の地上絵が集中して描かれている場所は他に例がないという。市街地から近く宅地開発で破壊される危険性が高いことから、同研究所は保護の重要性を訴えている。 昨年12月から今年2月にかけて現地で調査した。確認した場所は、ナスカ市街地から1.5キロほど離れたアハ地区にある丘の斜面。24点は全長5〜20メートルほどで、丘の小石を面的に取り除く手法でつくられていることから、時期としては紀元前400〜同200年ごろのパラカス後期と推測できるという。 同研究所は13年度の調査により、同所で17点のリャマの地上絵の存在を明らかにしている。計41点が同じエリアに描かれていることを確
2015年04月27日 11:31 カテゴリサイエンス最前線〜進化 かつて男子には苦難の時代があった Posted by science_q No Comments No Trackbacks Tweet 【かつて男子には苦難の時代があった】3月16日・アリゾナ州立大学:今から4-8千年前、男子の数が激減する出来事があった可能性が示された。正確に言うと男の子を残せた父親の数が激減したのだ。 https://t.co/mAJ36cMHem @asunewsさんから— サイエンスあれこれ (@sarekore) 2015, 4月 25 【かつて男子には苦難の時代があった】 3月16日・アリゾナ州立大学: 今から4-8千年前、男子の数が激減する出来事があった可能性が示された。正確に言うと男の子を残せた父親の数が激減したのだ。なぜそのようなことがわかったのか。 父親からしか伝わらないY染色体上のD
ロンドン(CNN) 1000年前の中世の医学書に記されていた眼病の治療薬に、抗生剤の効かない耐性菌を死滅させる手がかりがあるかもしれない――。そんな研究結果を英ノッティンガム大学の研究チームが発表した。 この治療薬の製法は、大英図書館が所蔵する10世紀の医学書「Bald’s Leechbook」に、眼病の治療薬として紹介されていた。同書は世界最古級の医学書といわれる。 抗菌作用があるといわれるニンニクなどの成分が使われていたことから同大学の専門家が着目し、同書を翻訳。微生物専門家の協力を得て、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)に対する効き目を調べた。 薬品の成分はネギ属の植物2種(ニンニクと玉ネギまたは西洋ネギ)とワイン、牛の内臓から採取する胆汁。これを真ちゅうの容器で醸造し、9日間置いた後に布でこす。 同書には各成分の比率なども詳しく記述されていたことから、研究チームは9世
5万5000年前の現生人類の頭蓋骨の一部。2015年1月、ガリラヤ西部のマノット洞窟で発見された。人類がネアンデルタール人と同時期にレバント地方にいたことを示唆している。(Photograph by Menahem Kahana, AFP, Getty Images) 人類はどこから来て、どうやって拡散したのだろう? はじめの疑問に対しては、遺伝学の研究が説得力のある答えを見出している。現生人類の祖先はアフリカで進化したというものだ。 人類はその後、6~5万年前に一気にユーラシア大陸に広がった。そしてこのたび米国の2人の考古学者が、初期人類がアフリカを出てから広く拡散するまでの道のりを明らかにしたと発表した。パンくずのように残された石器の跡をたどると、私たちの祖先はいったんアフリカから緑のオアシスだったアラビア半島へと遠回りし、5万年間ほど定住。続いて中東に移動して、そこではじめてネアンデ
奈良県御所(ごせ)市の秋津遺跡にある弥生時代前期(約2600~2400年前)の水田跡で、当時のものとみられる玄米11粒が見つかった。 保存状態は極めて良好で、弥生人がどんな米を栽培して食べていたのかを具体的に解明する手がかりになるという。 今月12日、稲村達也・京都大教授(栽培システム学)が県立橿原考古学研究所の研究集会で発表した。 玄米は昨年11月に出土。長さ4ミリ前後の茶色で、もみはなかった。保存状態が良かったのは水分の多い泥に封じ込められて外気に触れなかったためとみられ、弥生時代の米が炭化せずに見つかるのは珍しいという。今後、同研究所とともにDNA分析や放射性炭素年代測定を進め、品種などを特定したいとしている。
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米カリフォルニア州ロングビーチで行われたハロウィーンのパレードに赤ずきんの仮装で参加したこども(2012年10月28日撮影、本文とは関係ありません)。 【AFP=時事】「赤ずきんちゃん」の行き先は、おばあさんの家だったのかもしれないが、人類学者らの関心は、赤ずきんちゃんの由来とその話がどのようにして広まったのかにある──。 「全ての言語はトルコに通ず」? 米オンライン科学誌プロスワン(PLOS ONE)で13日に発表された最新の論文によると、英ダラム大学(Durham University)の人類学者、ジャミー・テヘラニ(Jamie Tehrani)氏率いる研究チームは、種の進化の生物学的研究に広く用いられている数理モデルを適用することで、有名な民話「赤ずきん」の「系統樹」に相当するものを作成したという。 今回のプロジェクトでは「古い時代にさかのぼると、世界中で広く知られているもう1つ
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