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社会と構造に関するshino-katsuragiのブックマーク (2)

  • 『恋愛を降りる(あるいは降ろされる)』ことと『らしさ』の抑圧性

    へぼやま @heboya 所謂「処女厨」という人は、異性間の恋愛関係に集約した形で「処女」というものを論じているから、単なる「女性差別主義」と捉えられがちだけど、多分質はもっと根が深い。彼らの求める「処女」ってのは、「決して自分を傷つけない最初から100%自分の思い通りになる安全な関係性を得られる異性」 2011-12-05 23:12:48 へぼやま @heboya つまり処女厨と言われる人は、人間関係において、お互いままならないモノを持ちつつ、相互により良い関係性へと至る、という、ごく普通のプロセスを否定している。過去や過程があるからこそ生まれる信頼とか愛情というモノが無い。不満や否定が少しでも生まれたら、全て放り投げる。関係性不全なのだ。 2011-12-05 23:18:05

    『恋愛を降りる(あるいは降ろされる)』ことと『らしさ』の抑圧性
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2011/12/25
    正しさとして要求されると困るんだけど、様式美を感じることもあるんだよな。かといえば、恋愛なんて、もう、やめたら?とかも思う。人間ってめんどうくさい。
  • 若者の幸せよりも - 泣きやむまで 泣くといい

    何だか今の若者が過去最高に幸福だとかどうだとか局所的に話題の様子。 誰でも自分ひとりの人生しか生きられないのだから、私はいま幸福だとか不幸だとかいう主観的な評価は、それまでの人生の中で社会的な影響を相当に受けたであろう「期待」の水準と、直接に間接に触れることになる現実の社会のありよう(もしくはそのイメージ)に左右されるわけで、ここでいう「社会」に含まれるものの膨大さを考えれば、「若者がいま幸福だと思える理由」なんて軽々しく主張できるものではないと思うのだけれど。 若者が幸福かどうかにはあまり興味がもてない。そんなことより「自分以外の誰かの幸福に関心をもてるのかどうか」のほうがずっと気になる。いや、身近な家族だとか友人だとか恋人だとかは当然だけれど、もっと想像力の求められるような位置にいる人たち、例えばマイノリティと呼ばれる人たちに対して。 議論の中心にいる人たちの著書など何も読んでいないの

    若者の幸せよりも - 泣きやむまで 泣くといい
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2011/11/03
    「故のない不幸は、けっこうあちこちにあって、いつ自分がそれに遭遇するか分からない」と思うのはやっぱり怖いのじゃないかな。その恐怖のなかで留まるためには、生来の気強さが必要なのかもしれない。
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