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社会と男女と文化に関するshino-katsuragiのブックマーク (3)

  • 私がゼミ飲み会で「女子のサラダ取り分け」を禁止することがある理由(小宮 友根) | 現代新書 | 講談社(1/4)

    たかがサラダ、されどサラダ 先日、TABI LABOというウェブメディアで「サラダ取り分け禁止委員会」という興味深いものが取り上げられている記事を見かけました(こちら。記事自体は2018年7月)。 「委員会」は、はましゃかさんというライターさんが一人で立ち上げたもので、飲み会でサラダが出たときに「女子」が取り分けるという、なんとなく存在している雰囲気に疑問を呈する試みだそうです(はましゃかさん自身のコラムはこちら)。 私はこの試みを面白いと思ったのでツイッターで紹介したところ、少し反響がありました。おおむね「たしかにそういうよくない雰囲気ありますね」という肯定的なものでしたが、「たかが飲み会のサラダにおおげさな」「取り分けたい人が取り分ければいいだけ」という否定的なものもありました。 実は私も、自分のゼミの飲み会で(学生の様子や男女比、人間関係などを考慮しつつ)「女子のサラダ取り分け禁止」

    私がゼミ飲み会で「女子のサラダ取り分け」を禁止することがある理由(小宮 友根) | 現代新書 | 講談社(1/4)
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2018/12/13
    食べ物を分配するのは家刀自の権限の表れ、という考え方もあるけど、まぁ、そうだよね。自分がやらない他人の仕事は低く見積もりがちなので、自戒しないと。
  • 「萌え」文化はミソジニーの発露なのか - 烏蛇ノート

    オタク文化、特に漫画・アニメオタクの人たちによる「萌え絵」の文化は、これまでもしばしばミソジニー(女性憎悪)、特に男性のミソジニーと結び付けて語られてきました。今回取り上げる墨東公安委員会氏の記事も、以前からよくある論旨の一つだと言えます。 そして小生が指摘せずにはおられないのは、ダイクストラが『倒錯の偶像』であまた紹介した、19世紀のミソジニーを表象した絵画のような文化風潮に相当する存在として、現在の日で比定されるべきは、まさしく「オタク文化とされる、「萌え」的な表象なのではないかということです。現在のオタクの「フェミ」嫌い、強いものに傾く権威主義などが、それを感じさせるにはおられません。 (中略) まとめて言えば、「萌え」好きな「オタク」の一般化・大衆化は、日会議的な反動の風潮と軌を一にしているのではないか、というのが、幾つかの書物を読んで小生が考えていることなのであります。 『

    「萌え」文化はミソジニーの発露なのか - 烏蛇ノート
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2016/07/22
    違うのね、ああ、そうね、で終わればよいんだけど、なぜか、面倒くさくなる。「傷つくことばかりうまくなって」の系列なのかなぁ。
  • 「夜這い」にみる歴史的婚前交渉への誤解 - メンズサイゾー

    における性の慣習について、最も誤解されているのが、男女交際や婚前交渉に関するものではなかろうか。しばしば、「戦前は男女の交際については厳格で、婚前交渉などもってのほか」という状況が普通であったかのように言う向きがある。 しかし、そうした状況は、あったとしても都市のごく一部に過ぎず、日の大部分を占めていた地域では、性に対して非常にオープンであったことが数々の資料によって明らかである。 まず、「夜這い」という慣習は、広く全国各地で行われていたことが多くの研究者によって明らかとなっている。たとえば、明治時代の植物学者にして民俗学者の南方熊楠は、「今日においても、夜這いを行っていない地方はない」との旨の発言をしている。また、民俗学者・赤松啓介が『夜這いの民俗学』(明石書店)『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』(筑摩書房)『村落共同体と性的規範―夜這い概論』(言叢社)など、多くの研究書をまとめて

    「夜這い」にみる歴史的婚前交渉への誤解 - メンズサイゾー
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2009/08/31
    女性の側の拒否権がどれぐらい尊重されたのかは気になるところ。ないものとして扱われたとは思いたくない。/「共同体全体で子育て」になっても不思議じゃない状況だな、とは思う。
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