島根県浜田市の浜田城跡から、江戸時代に築かれたとみられる石垣や土塀の痕跡などが見つかり、市教委文化振興課が14日、発表した。同課は「未解明の部分が多い浜田城の往時の姿が一部明らかになった」と評価している。 城山公園整備事業の実施に伴い、同課が平成28年12月から浜田城跡の城山東麓や山頂部、庭園部など延べ660平方メートルを調査。この結果、城山東麓の中ノ門付近から、石垣の一部(高さ1メートル、幅50センチ)を検出。江戸時代中期に製作された絵図に描かれている石垣と一致していた。 山頂部付近では、出丸南面から石垣の一部を確認。明治30年代に城山の公園整備が行われて以降、南面の石垣が姿を消していたが、当時の公園整備の際に壊されたのではなく、埋められて残存していることが分かった。 また、出丸西面では、石垣の天端部と平行する石列を検出。同課では土塀の痕跡とみており、「西面に幅90センチ程度の土塀が築か
石垣の保存管理について説明する北野教授 城跡の災害復旧に理解を深める「第15回全国城跡等石垣整備調査研究会白河大会」は18日から20日まで、白河市の白河文化交流館コミネスなどで開かれている。 文化庁、白河市などの主催。城跡がある自治体で毎年開催しており、県内では初めて。初日は小峰城跡の石垣修復などに携わる東北芸術工科大の北野博司教授が「災害と向き合う石垣の保存管理」と題して講演した。自然災害に備え、石垣をはじめとする文化財の補強の必要性などを説いた。白河市建設部の鈴木功次長も小峰城跡の修復状況を報告した。 19日はコミネスで仙台城跡や二本松城跡、熊本城跡の復旧状況をそれぞれの担当者が事例報告する。20日は関係者のみで小峰城跡を見学する。 19日の時間は午前9時から午後4時半まで。入場無料。問い合わせは白河市文化財課 電話0248(27)2310へ。 (2018/01/19 11:50カテゴ
紹介 豊臣秀吉は文禄・慶長の役で16万もの軍勢を朝鮮に出兵、数多くの城郭を築いた。なかでも朝鮮半島南岸に築いた城は倭城と呼ばれ、現在も約30カ所の城跡が残されている。それらは補給基地、兵の駐屯地とともに朝鮮水軍を阻止するための防御施設であった。主要部は石垣によって築かれ、竪堀や横堀の併用もみられ、まさに軍事的緊張下における築城技術が遺されているのである。本書では23城を取り上げ、概要図とともにアクセス図を掲載、戦国大名の築城技術を紹介。 目次 総 論 朝鮮出兵 津野 倫明 倭城とは 中井 均 倭城を歩く 1蔚山城 加藤 理文 2西生浦城 松井 一明 3林浪浦城 松井 一明 4機張城 松井 一明 5東莱城 岡寺 良 6釜山浦城 加藤 理文 7亀浦城 訓原 重保 8梁山城 加藤 理文 9金海竹島城 中井 均 10安骨浦城 溝口 彰啓 11熊川城 前田
先日、ある方から古い地図や辞書をどっさりもらった。その中に見過ごすことのできない古い地図が紛れ込んでいた。名古屋の“中途半端に”古い地図だ。 中途半端な古地図が好きなぼくにとってはこの上なくありがたい。 さっそくこの地図をたよりに名古屋を散歩してみたい。
有識者 石垣の安全巡り溝 名古屋城天守閣の木造復元で、築城以来の石垣の保全について検討する有識者会議の「石垣部会」が部会解散も辞さない姿勢を示し、特別史跡の保存と活用を巡って、有識者の間で大きく意見が分かれる異例の事態となった。石垣部会座長の北垣聡一郎・石川県金沢城調査研究所名誉所長は「国民の財産である特別史跡の名古屋城のために一生懸命取り組みたいが、このままではできない状態にある」と話し、木造復元計画への影響が予想される。 「天守閣部会は安全性ということを考慮してやっている。石垣部会の方は今のところ安全性を考えていない」 10月13日に名古屋市で行われた両部会の合同会議で、天守台の石垣の安全性などについて議論を交わしていた際に、天守閣部会の座長の瀬口哲夫名古屋市立大名誉教授が石垣部会を批判した。 唐突な発言に、石垣部会のメンバーが「全く違う」、「かなり問題だ」と撤回や修正を求めた。慌てた
山形城・本丸焼失の裏付けか 義光期の鬼瓦、しゃちほこなど出土 2017年11月10日 11:15 新たに出土したしゃちほこの一部 山形市の国指定史跡・山形城跡の発掘調査で、最上義光が城主だった16世紀末~17世紀初頭の間に、城の本丸が焼失したことを裏付ける、金箔(きんぱく)が着いた鬼瓦など約2千点が新たに出土した。しゃちほこもあり、本格的な城廓だった可能性も浮上している。 義光は本丸、二ノ丸、三ノ丸からなる平城を築いたとされる。今回はその城より古い城廓に関連する資料が、市営球場南にある本丸御殿跡で昨年5月に発見された堀から見つかった。 鬼瓦は現段階で10点確認されている。それぞれ桃や宝袋、花などがデザインされ、縁起や厄災よけの意味合いが込められているという。表面が火災で焼けた痕跡がある鬼瓦が二つある上、近くで焼土が混じった地層も発見。旧城が焼失したとの記録は秋田藩家蔵文書に残るが、五十嵐貴
鳥取市が桜の植樹を計画している鳥取城跡の天球丸広場。樹齢180年の松がアニメ映画に登場することから、ファンが景観保持を訴えている(鳥取市で) 鳥取市が、桜の名所として知られる同市東町の鳥取城跡に新たに桜を植えるなどする計画に対し、思わぬ異論が上がっている。 市が計画案への意見を募ったところ、鳥取県東部を舞台にした人気アニメ「Free!」の映画版に城跡が登場するため、「聖地」として訪れるファンから、「景観を変えないで」という声が寄せられたという。同市教委文化財課は植樹の場所を変更するなどの対応を検討している。 ◇ 鳥取城跡と周辺は、1920年代からソメイヨシノなどが植えられ、90年に「日本さくら名所100選」に選ばれた。現在、計240本が春には満開になり、多くの花見客でにぎわう。 ただ、伸びた木の根が石垣などを崩したり、病気や老齢化で枯死したりした桜もあり、市が城跡の保存と桜の管理を目的に計
崩れる恐れが指摘されている会津若松市の鶴ケ城の石垣を守ろうと、会津青年会議所(JC、二瓶孝文理事長)は28日、石垣付近の樹木の伐採と石垣の石と石の間から生えるツタの除去を開始した。 鶴ケ城では、樹木の根が石垣内部から張り出し、石垣を膨らませる「はらみ」という現象が100カ所以上で確認されている。 同JCは2015(平成27)年に同市で開かれた全国城下町シンポジウム會津大会で、鶴ケ城を中心にした街づくりの機運を高めようとしたのを機に、今年に入り石垣の保全策の検討に入った。文化庁や市などとの協議を経て、石垣の保存活動を開始した。 作業には会員ら約30人が参加。はらみが確認された場所でツタや下草を除去し、樹木を伐採した。 木の伐採には賛否両論があり、鶴ケ城を管理する会津若松観光ビューローによると、市が過去に鶴ケ城の木を伐採した際、「なぜ木を切ったのか」などの意見が寄せられたという。二瓶理事長は「
熊本地震前に熊本城の石垣を部分ごとに撮影した4枚の写真。崩落した石垣の復元に生かされる(凸版印刷提供)写真を見る 熊本大は3日、熊本地震で崩落した熊本城の石垣の早期復旧へ向けて、凸版印刷(東京)が地震前に撮影していた4万点を超す石垣や櫓(やぐら)などのデジタル写真を活用する研究が国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の本年度の支援事業に採択されたと発表した。研究成果は「一本足」状態の石垣に支えられて倒壊を免れた飯田丸五階櫓などの復元にも生かす。 熊本市によると、国特別史跡の熊本城は文化財としての価値を守るため、崩れた石垣を元通りの位置に戻す必要がある。研究は、熊本大工学部の上瀧剛助教(37)が開発した「石垣照合システム」も活用。崩落した石の写真の輪郭と、凸版印刷が保有する崩落前の石垣の写真を照合することで元の位置を推定する。 両者は5月、熊本城などの文化財復旧支援に関する連携協定を締結
宮城県多賀城市の国指定特別史跡「多賀城跡」を調査している県多賀城跡調査研究所は5日、本年度の主な調査結果を公表した。外郭南門跡の南側に延びる南北大路跡から出土した側溝と路面を調査し、道幅が少しずつ拡張されたことや維持管理の状況などを確認した。 側溝は、南北大路の東側に奈良時代(8世紀中葉~同末ごろ)と平安時代(8世紀末~10世紀後葉)のものが出土。溝が埋まるたびに掘り直され、計4回改修されていた。西側の溝は河川などで壊されて残存していなかった。 路面の上には砂が堆積していたことから、たびたび水が流れていたことも分かった。道幅は奈良時代が13~18メートル、平安時代が24~28メートルとそれぞれ推定し、時代を経て拡張されたとする過去の調査とほぼ同じ結果となった。 生田和宏研究員は「当時の(街中の)道幅は通常3メートルで、南北大路はメインストリート。往来の増加で幅を広げたのではないか」と指摘。
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