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思想に関するImamuのブックマーク (746)

  • たまと嘘つきバービー | ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

    ロックバンド講義の期末レポートの採点をして、ますますつよく感じだしたのは、「ただ音を聴き、ただ歌詞を読んで、レポートを書いてくれ」と依頼したのに、ネット時代の通弊で、ネット文献をアレンジしそこに自分の意見を少量添える論文が多すぎるということだった。バンド履歴、チャート順位などの情報が羅列される一方で、バンドメンバーの演奏のぶつかりが有機的に分析されている論文は稀少。 この傾向はポピュリズムに支配された「音楽への接し方」ともつながっているらしく、ビートルズやバンプ・オヴ・チキン、ラルク・アン・シエルなどをあつかった論文にとくに顕著で、しかもラルクにかんしてはつよい思い入れがそこに付随するという、共通の傾向がさらにある。それで何度も同じ論文に出くわしている感触になる。またもや、お決まりのこと――多様性と平準化。バンドの属性が、そのままバンドにかかわる言説を決定してしまうのだ。神聖かまってちゃん

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    Imamu 2012/02/02
    「ロックバンド講義の期末レポートの採点~ポピュリズムに支配された「音楽への接し方」~ラルクにかんしてはつよい思い入れがそこに付随」「バンドの属性が、そのままバンドにかかわる言説を決定してしまう」
  • メディア批評系の卒論をどう指導するか | Theoretical Sociology

    来年度の卒論指導に向けて、今年度の反省や感想を簡単にまとめておこうと思う。今年感じたのは、 アニメやマンガなどを批評する卒論は難しそうだということである。なぜか流行歌の研究は比較的うまくいっているような気がするし、アニメや漫画ゲームなどにしても、必ず失敗することを運命づけられているというわけではないだろうが、これまでの卒論の例を見る限り、失敗率が高そうな気がする。印象論で言うと、失敗率が高い理由は3つ考えられる。 まず、深く考えず安易にメディア批評を選ぶ学生が多いこと。メディア現象は身近な社会現象だろうし、メディア批評の中には面白いものもある。学生がこういったテーマに魅力を感じるのはよく理解できるのだが、読んで面白いからといって自分が面白いものをかけるとは限らない。メディア批評の論文が『社会学評論』や『ソシオロジ』のような主要な社会学雑誌に載ることはまれだと思うが、それはメディア批評をオ

    メディア批評系の卒論をどう指導するか | Theoretical Sociology
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    Imamu 2012/02/02
    『アニメやマンガなどを批評する卒論は難しそう~なぜか流行歌の研究は』「現実の社会に対する理解が作品に対する理解を重層化している~実態に近い」「「反映」論というアプローチの持つ困難に起因」
  • 『ポピュラー文化論を学ぶ人のために』ドミニク・ストリナチ著/渡辺潤・伊藤明己訳(世界思想社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「ポピュラー文化研究の理論的なレビューに最適の一冊」 いきなり私事で恐縮だが、書は年度大学院ゼミの購読文献の一つであった。評者のゼミにはポピュラー文化研究を志向して集まってくる海外からの留学生が多いのだが、その特徴の一つとして、彼らが自身の研究に用いる理論的背景についても多様でバラバラなものになりやすい傾向がある。 もちろんポピュラー文化研究においては、その研究対象の多様さとも関連して、たった一つの一般理論に収斂していくようなこともあり得ないが、かといって、気を付けていないと理論的な水準での知見に乏しいものになりがちな研究ジャンルでもある。 アイドルであれアニメであれ、研究対象がある程度知られているものである分、分析においても、一般的な常識をなぞっただけのような分析、具体的に言えば文学的な作品論(この歌詞がいいからこのアイドルはヒットした)や、心理学的なファン文化

    『ポピュラー文化論を学ぶ人のために』ドミニク・ストリナチ著/渡辺潤・伊藤明己訳(世界思想社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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    Imamu 2012/02/01
    「分析においても、一般的な常識をなぞっただけのような分析、具体的に言えば文学的な作品論~心理学的なファン文化論~だけで済まされてしまうことが」
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●送り手(作り手)と受け手を分けて考えることが、何か大きな、根的な間違いであるように思う。例えば、野球を好きな人は、身体や健康上の理由などがなければ、大抵、自分でもやろうとするものではないだろうか。草野球のチームに入るというところまで行かないにしても、キャッチボールをしたりバッティングセンターに行ったりくらいはするのではないだろうか。あるいは野球ゲームとか。何かしらの理由でそれが出来ないときは、その現状に不満をもつものなのではないだろうか。「野球が好きだ」ということのなかには既に、観ることとすることの両方が含まれるのではないか。あるいは、音楽が好きな人ならば、自分でも楽器を演奏したり、曲をつくったりするのではないだろうか。それを特に、人前で披露したりはしないにしても。 逆に言えば、野球を「観る」だけ、音楽を「聴く」だけで満足するような、「野球が好き」「音楽が好き」には、どこかいびつなもの

    ■ - 偽日記@はてなブログ
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    Imamu 2012/02/01
    「「絵をする」こととして観る時に、はじめて「絵」が見える。この時、画家と観者の区別に意味がなくなる。」
  • SYNODOS JOURNAL : 「一般意志2.0」実装の鍵はデータベース、ではない? 飯田泰之

    2012/1/2310:6 「一般意志2.0」実装の鍵はデータベース、ではない? 飯田泰之 ■「一般意志」はすでに実現している? 東浩紀氏の『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(以下『2.0』)はルソーの政治・社会思想に現代的な拡張を施すことで、新たな民主主義を構想する快著である。 未読の方のために説明を加えておくと、東氏の解釈によればルソーは『社会契約論』において、個々人の思考と嗜好を「特殊意思」と位置づけ、その特殊意思を単純に足し合わせたものを「全体意思」と名付けた。そして、互いに相反する特殊意思を、その際を保ちながら折り合いをつけたもの(ヘーゲル流に言うならば止揚したもの)が「一般意志」ということになる。 一般意志の全体意思に対する優位性は、『2.0』の冒頭に掲げられた、 「熟議もなければ選挙もない、政局も談合もない、そもそも有権者達が不必要なコミュニケーションを行わない、

    Imamu
    Imamu 2012/01/24
    『価格のように、基本的には(または平常時には)全員が考慮する何か、つまりは、十分な調整能力のある指標がなければデータベースは一般意志を表明しない』
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    聖蹟桜ヶ丘へ 今年度の授業が全て終了した。最後の授業はテスト返却とその確認作業の後は特に何をしろとも言われていなかったので、『耳をすませば』の後半、お姉さんと雫が言い争いをする場面を生徒と皆で見た。 この場面。あの場面、お姉さんは雫に「今しなきゃいけないことから逃…

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    Imamu 2012/01/10
    「『「本屋」は死なない』は『切りとれ、あの祈る手を』と補完関係にある。本を書くことが革命であり、本を読むことが革命であるならば、そこをつなぐものはなんなのか。本を手渡す、という行為自体が、革命」
  • 「未知との遭遇は如何にして可能か?」(前編)佐々木敦×千葉雅也: ジュンク堂書店Podcast

    ジュンク堂書店の店頭で行われているトークセッションやイベントなどを配信するポッドキャスト(ベータ版)です。 *予告なく終了する場合がありますのでご了承下さい。 iTunes Storeでも公開されました!iTunesをご利用の方は、このページから iTunes - Podcast - ジュンク堂書店「ジュンク堂書店Podcast」 「iTunesで見る」をクリックし、「無料購読」をクリックすると登録できます。 送料無料、最短当日出荷の丸善&ジュンク堂ネットストア もぜひご利用下さい ※トークセッションのPodcast配信は終了しました。 2011/12/17@ジュンク堂書店新宿店 佐々木敦『未知との遭遇――無限のセカイと有限のワタシ』(筑摩書房)刊行記念トークセッション 「未知との遭遇は如何にして可能か?」 佐々木敦×千葉雅也 ネット的セカイが遍在化し、 検索エンジンを駆動させれば、たち

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    Imamu 2012/01/06
    宇野氏トリプルH90年代J-ROCK話を見て、ここの20年周期説(80年代-00年代)と90年代が微妙に忘却される話を思い出して味わい深くなった
  • 『暇と退屈の倫理学』國分功一郎(朝日出版社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「退屈について教えてあげよう」 「退屈」はきわめて深遠なテーマである。パスカル、ニーチェ、ショーペンハウエル、キルケゴール、ハイデガー……近代ヨーロッパのおなじみの思想家たちはいずれも「退屈」に深い関心をよせ、あれこれと考察を展開してきた。 なぜ、こんな地味なテーマに?と思うかもしれないが、「退屈」を遡ると「アンニュイ」や「メランコリー」、「不安」といった同系列の概念を経由して、近代個人主義の根幹にある「私の気分」というたいへんややこしい問題に行きつく。「近代とは何だったのか?」という、これまでさまざまな学問領域で繰り返し立てられてきた問いにきちんと答えるためには、「退屈」の問題を避けて通ることはできないのである。 日でも山崎正和『不機嫌の時代』など、「退屈」の周辺を扱う優れた考察がなかったわけではないが、正面切ってこの問題を扱うものはそれほど多くなかった。「白けの

    『暇と退屈の倫理学』國分功一郎(朝日出版社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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    Imamu 2011/11/19
    『國分の議論のひとつの出発点となるのは、第二章で紹介される「定住革命」』「無所属の実感が、退屈のひとつの起源をなす」
  • 集団的に生きられる主観性と、主体化の失敗 - Freezing Point

    以下のセミナーを聴講。 「断片的主観性:主観性の生産プロセスをめぐる冒険」(第23回ときめき☆セミナー) 講師: ステファン・ナドー(ヴィル・エヴラール病院)*1 日時: 2011年10月31日(月) 15:00〜18:00 場所: 大阪大学(吹田キャンパス) 生命科学図書館4階 AVホール いまの問題意識を、率直にメモしておきたい。 まずナドー氏は、基幹となる問いを 《誰が話すのか(Qui parle?)》 とし、 「ホメロスは当に実在したのか」をめぐる3つの立場を解説する。 (1) ホメロスという1人の詩人が、多くの詩人を止揚した。 プラトン-カント-ハイデガーと繋がる、超越論的哲学に代表される立場 (2) 砂の中から砂金を発見するように、不純物としての他の詩人を取り除き、ホメロスという1人の天才を発見すべき。 「1つの主体=1つの実体」という、アリストテレス的な立場 (3) 詩を書

    集団的に生きられる主観性と、主体化の失敗 - Freezing Point
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    Imamu 2011/11/04
    ホメロスは本当に実在したのか(1)止揚-超越論的哲学(2)1つの主体=1つの実体-アリストテレス的(3)集団的主体性-ニーチェ::『有名知識人をアイドルにして、けっきょくは自分たちの党派性を押しつけてるだけ」』
  • Google Ngram Viewerが決める史上最強の哲学者はプラトンだった…と思ったら

    Google社がスキャンした書籍のうち約500万冊をもとに、5000億語からなるデータベースが構築されていて、1500年代からの今までの出版された書籍に出現する語句について、その使用頻度の推移をグラフにできる Google Ngram Viewerというものがある。 今回はこれに最有名どころの哲学者の名前を入力してみた。 つまりその時代時代の書籍に、その哲学者の名前がどれだけ出てくるか、その頻度を比較するわけである。 最初は1800年以降にしていたが、それだとヒュームのせっかくの健闘が見えないので1700年以降の表示にした。 英語書籍における哲学者の出現頻度推移 見ての通り18世紀後半からのヒュームの頑張りには注目すべきだが、1880年頃を境にカントにその座を譲っている。ヘーゲルが意外と伸びずだらしがない。 そして、とにもかくにも、すべての期間を通じてプラトンの圧勝である。 実は20世紀

    Google Ngram Viewerが決める史上最強の哲学者はプラトンだった…と思ったら
    Imamu
    Imamu 2011/10/09
    英語書籍/フランス語書籍/ドイツ語書籍
  • 『昭和の読書』荒川洋治(幻戯書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「こわい批評家」 もう十年以上前になるが、あるパーティで荒川洋治さんをお見かけしたことがある。「下手に俺に話しかけるな」という風情が漂っていて、いい意味で「こわい人」だなと思った。もちろん、筆者は話しかけなかった。 文章を書く人が「こわい人」であるのはとても大事なことのような気がする。最近は「いい人」でないとなかなか生き延びていけない。多弁で、裏表がなくて、私生活もオープンで、パスタを茹でたり、SUVに乗ってたり、メールの返信も早いような「いい人」。そんな「いい人」の書くものは、わかりやすくて楽しいかもしれないが、一番文章にしてもらいたいような薄暗い部分にはまず到達しない。 書の『昭和の読書』というタイトルの意味は、読み進めていくと少しずつわかってくる。表向きそれは、昭和の作品や作家を語るということ。昭和のの読み方、文章の書き方、さらには生き方を振り返るということ

    『昭和の読書』荒川洋治(幻戯書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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    Imamu 2011/10/05
    「散文は、人工的なもの、つくられたもの、異常なもの」「詩は個人のことばの上にたつので、感受したものについて正直であるが、過剰になれば異常」
  • お買いもの - shinichiroinaba's blog

    ゴーストの条件 クラウドを巡礼する想像力 (講談社BOX) 作者: 村上裕一,村崎久都出版社/メーカー: 講談社発売日: 2011/09/02メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 4人 クリック: 601回この商品を含むブログ (28件) を見る ああん……。著者の村上さんってこれの人だよね? その節は適切なご指摘ありがとうございました。 さて、このはなんだか拙著『モダンのクールダウン』とも共通する問題意識の上で仕事をされているようだが、第二部まではともかく、葉鍵系のギャルゲーとか『うみねこ』とかいった当方が現物を見ていない素材を扱った第三部になると急に難解になるような気がする……それは著者の責任なのか、それとも対象の問題なのか? ――このからうかがう限りでは、『うみねこ』は『ひぐらし』と比較すると、凝りすぎて独りよがりになった作品であるような印象を受けますが如何。あと余計なことで

    お買いもの - shinichiroinaba's blog
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    Imamu 2011/10/04
    「虚構作品とかキャラクターの分析をするなら、20年前ならともかく現代であれば「フランス現代思想」系の道具立てを使うよりも分析哲学系のそれを用いた方が」「それこそ「アイドル」で十分では?」
  • 小学生から「社会学ってなんですか?」って聞かれたら、なんて答えます? - きしインタビュー

    社会学は、いろんな社会問題について調べて研究する学問分野です。 いつもゼミ生から、就活の面接で社会学科ですっていうと「社会学って何勉強すんの?」って聞かれるんですけど、なんて答えたらいいんですかっていう、ある意味ごもっともな、別の意味では情けない(笑)質問を受けるんですが、そのときは「とりあえず『いろんな社会問題を調べて研究する分野です』って言っとけよ」って言うてます。教育格差とか、ひきこもりとか、少子化とか、外国人労働者とか、環境汚染とか、女性労働とか、いろんな社会問題を調査して、データを蓄積して、どうしたらいいかを考える学問が社会学です。これは小学生でも理解できる答えだと思います。実際に、会社の面接でもこれで十分理解してもらえるそうですし、学生たち自身も「あーーそうなんや!」と言うてくれます(4回生にもなって……)。 というか、そうなってほしい。 社会学って何だろうってずっと俺な

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    Imamu 2011/09/21
    『「社会問題を調査してデータを愚直に蓄積する」という実践』"1回生~具体的~丸暗記/2回生~調査/4回生~一般教養"「『現代思想』とかでアレントがラカンがフーコーが言うてるようなインテリに憧れるのはもうやめよう」
  • KAI-YOUのインタビュー の 白田秀彰──前編

    president/Associate Professor/detective/novelist ──Hideaki Shirata’s interview 著作権法を専門とする法学研究者でありながら、テレビや雑誌など様々な媒体で独自の考えを述べる「奇妙な法学者」白田秀彰氏。今回はそのヴェールに包まれた独自の人生哲学と、今日のメディアを巡る状況についてお話をうかがいました。(某日某所にて取材) 取材/撮影 KAI-YOU 1: コンピュータとの出会い ──白田さんのご活動やご興味の多くがWeb上のカルチャーや文脈にまつわるものだと感じるんですが、PCやネット自体に関心を持たれた経緯というのをまずお聞かせいただけますか? 白田 まず、私はとても字が下手だった。ペンの持ち方が変だったので手首がすぐに痛くなってしまっていたのです。ところがワープロというものが登場して、「なんとキーを押すだけ

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    Imamu 2011/09/12
    EXCENTRIQUE「服飾の歴史から言えばオリジナルなものであるのに、現代のオタクから見るとシミュラークルにしか見えないと」
  • リトル・ピープルの歌謡史(ツッパリHigh-School Rock'n Roll登校編) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「それでは「校歌のリトル・ピープル化」問題を考える前にだね、「学校で歌わされる歌」のもう一つのジャンルについて触れておかねばならない。「卒業式で歌う歌」だ。一般には「仰げば尊し」が定番だと考えられているが80年代に「贈る言葉」がブレイクして以降、なし崩し的に「卒業式の歌は歌謡曲からチョイスするのもアリ」という状況が生まれる。その後、オフコース「さよなら」とかユーミンさん「卒業写真」とかJ-POPから選曲されるのが一般的となる。こういった「卒業式の歌」の変容が校歌のJ-POP化、リトル・ピープル化に影響を与えていったであろうことは想像に難くない。ところでみなさん、今、中高生が卒業式にナニ歌ってるか知ってますか」 司会者「なんだろう、この森達也のような導入は」 kenzee「ORICON STYLE(2011年3月9日配信)に「2011年卒業ソングランキング」という特集がある。アナ

    リトル・ピープルの歌謡史(ツッパリHigh-School Rock'n Roll登校編) - kenzee観光第二レジャービル
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    Imamu 2011/09/05
    『「大空へ」「翼をひろげて」「鳥のように飛ぶ」歌とは大昔からあるような気がするが、実は90年以降に作られたものがほとんど』「Yahoo!歌詞は60年代、70年代の歌謡曲の歌詞データもバッチリ」
  • なぜ音楽について語りたがるのか?──音楽の倫理学に向けて | 増田聡

    なぜ音楽について語りたがるのか?──音楽の倫理学に向けて | 増田聡 Why Do You Want to Talk about Music ? : Toward Ethics of Music | Satoshi Masuda 誕生から約一世紀半にわたる音楽学の歴史は、テクスト中心主義からコンテクスト主義へのゆるやかな移行の歴史として描くことができる。人文学の一分科としての音楽学が確立されたのは一九世紀後期のドイツでのことであるが、そこでは国民国家イデオロギーを底流としつつ、当時世界に君臨していたドイツ芸術音楽を中心とするヨーロッパ音楽を主な対象に、優れた音楽作品「それ自体」の来歴を実証的に後づけ、その構造を「客観的」に構造分析する作業が学科の中核をなしていた。いわゆる歴史音楽学=音楽史学と、音楽理論の二つが音楽研究の中心的なディシプリンであったわけだ。しかし一方で、「諸民族の音楽の比

    なぜ音楽について語りたがるのか?──音楽の倫理学に向けて | 増田聡
    Imamu
    Imamu 2011/08/30
    「音楽を巡る言説~美的=倫理的定言命法が満ちあふれて」「音楽批評が「まともな言説」であるために~「音楽それ自体」の意味を独占するべく奮闘することではなく、これら倫理的言明の解読と脱構築を推進」
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0689.html

    Imamu
    Imamu 2011/08/23
    ヨーロッパ-恋愛の基底-自己(一元的の自己)/いき~既存の男女の関係を超越する自由(可能的関係)//苦界ににその起源(遊郭)
  • 理系でも分かる!宇野常寛氏の新刊を読んでみた - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    最近、理系も人文系のを読もう運動を提唱している僕ですが、とはいっても自分自身もここ数年で大塚英志氏と東浩紀氏のの何冊かをちょっと読んだというぐらいだから、語る資格は来ない。 とはいえ似た境遇にある理系的な人間の人文書アレルギーを多少は解消する助けになることは書けるかもしれないと思い、最近、話題になっているらしい宇野常寛氏(以下敬称略)の新刊「リトル・ピープルの時代」の感想などを理系人間的に試みてみたい。 最初に断っておくが、このは数年前の僕だと読めなかった類のものだ。しかし、慣れたのか、いまはなんとなく内容が理解できる気がする。実はこのは献されたらしく、ある朝、ひさしぶりに会社に来たら机の上に置いてあった。筆者なのか出版社なのかわからないが、僕なんかに読ませてどうしようというのか。だいたい、貰わなくても自分で買うつもりだったから売上げを一冊減らしていることになる。申し訳ないから

    理系でも分かる!宇野常寛氏の新刊を読んでみた - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
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    Imamu 2011/08/18
    「人文系の評論はすぐに一般名詞を専門用語化する傾向がある。しかも、その本だけでしか通用しない専門用語をすぐにつくっちゃうのだ」
  • ぶらりずむ黙契録: 本日のお知らせ

    日のお知らせ☆ 『マルドゥック・フラグメンツ』内収録短編と、ある漫画賞受賞作品との間で生じた問題につきましてコメントいたします。 ※主文※ 関係者からご連絡をいただき、すでに賞を運営されている編集部と、描き手の方、双方より、謝罪文を公表する意志を示していただいております。 そもそも、攻撃的な悪意があっての行いではなく、先方の迅速な対応があったことから、その後の早川サイドと先方との話し合いが穏便に進む限り、僕から何かを申し立てる、というようなことはありません。 また、インターネット上で非難されるなど、すでに編集部および描き手の両サイドが、いわゆる「社会的警告」を十分に受けているとのことです。 よって、今後は一件がスムーズに収束し、むやみと尾ひれがつかぬこと、関係者全員の成長の機会となれることを切に望みます。 また、僕自身も今回の一件を、より良い作品作り・業界作りのためのヒントの一つとして

    Imamu
    Imamu 2011/07/16
    「今この時代、プロになるとは、まずそうした「空き地」を棄てることを意味するようになってきていると感じます」
  • webちくま「よりよく生きるための経済学入門」若田部昌澄 栗原裕一郎 第3講 インセンティブは「飴と鞭」

    対談 2022/8/31 小野 昌弘,海堂 尊 オミクロンの時代を生き抜くための「当の知識」とは?【前編】 『免疫学者が語る パンデミックの「終わり」と、これからの世界』刊行記念対談

    webちくま「よりよく生きるための経済学入門」若田部昌澄 栗原裕一郎 第3講 インセンティブは「飴と鞭」
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    Imamu 2011/07/13
    「統計学によれば、「正しさ」というのは、ある仮説がどの程度の確率で放棄されるかということに読み替えることができる」