タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

真田丸とArcheîonに関するUnimmoのブックマーク (2)

  • 真田丸:築城当時の地形確認 大阪で初の発掘調査 | 毎日新聞

    真田丸があったとみられる発掘調査現場に立つ住民有志=大阪市天王寺区で2016年12月9日午前10時23分、川平愛撮影 大坂冬の陣(1614年)で真田信繁(幸村)が大坂城南側に築いた出城「真田丸」があったと伝わる大阪市天王寺区の一画で、地元住民の有志らでつくるグループが初の発掘調査を実施し、築城当時の地形が残っていることを確認した。基盤層の上に人工的な地層があり、真田丸築城に関係する痕跡の可能性があるという。グループ会長の千田嘉博・奈良大教授(城郭考古学)は「調査を続ければ、具体的な建物跡を見つけられるのでは」と期待している。 真田丸は冬の陣の後に徳川軍が壊し、正確な位置などは不明だ。松江歴史館所蔵の江戸時代の絵図などから天王寺区餌差町付近に、方形にあったとも指摘され、今回は現地で初の発掘調査。地元企業関係者らでつくる「真田丸」発掘推進協議会が大阪府教委・市教委の協力を得て実施した。

    真田丸:築城当時の地形確認 大阪で初の発掘調査 | 毎日新聞
  • 真田丸:詳細な最古絵図 松江で発見 | 毎日新聞

    松江市は12日、大坂冬の陣(1614年)で戦国武将、真田信繁(幸村)が大坂城の南側に築いた「真田丸」を詳細に描いた最古とみられる絵図「大坂 真田丸」(縦27.8センチ、横40.6センチ)が見つかったと発表した。絵図には真田丸の中に「出丸」(出城)などが描かれていた。絵図の調査を担当した奈良大の千田嘉博学長(城郭考古学)は「真田丸が大坂城の付属施設でなく、独立した城だったと考えられる」としている。 絵図の北側には「出丸 廿五(二十五)間程」と記載があった。真田丸の北側には、大坂城があり、当時は防御の必要性が低かったとみられるが、出丸の東側には側面を防御する「腰曲輪(こしぐるわ)」も描かれていた。こうしたことから、真田丸の独立性がうかがえるという。

    真田丸:詳細な最古絵図 松江で発見 | 毎日新聞
  • 1