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GeschichteとSukiに関するUnimmoのブックマーク (2)

  • やさしい茶の歴史(二)(橋本素子) | 八木書店グループ

    やさしい茶の歴史(二)(橋素子)日最古の茶園・大内裏茶園 前回、弘仁6年(815)6月3日、嵯峨天皇は、畿内等で茶を植え、それを毎年献上するように命じたが、実際にそれが行われたかどうかわからないと書いた。また、永忠・最澄・空海ら入唐僧が、帰国後茶をどのように調達していたのかわからないとも書いた。 そのような中で唯一、嵯峨天皇の命以後に作られたことが確認できる茶園がある。それが平安京大内裏茶園である。さしずめ、霞が関官庁街の一角に茶園があった、ということになろうか。そして関連する史料からは、この茶園の茶葉を使い製茶が行われ、その茶を宮中の儀礼で使用していたことが想定できるのである。 大内裏茶園の場所は、一条大路より南、正親町小路より北、大宮大路より西、櫛笥小路より東(現京都市上京区、一条通より南、中立売通より北、大宮通より西、智恵光院通より東)の一町四方で、ちょうど平安京の鬼門にあたる。

    やさしい茶の歴史(二)(橋本素子) | 八木書店グループ
  • やさしい茶の歴史(一)(橋本素子) | 八木書店グループ

    やさしい茶の歴史(一)(橋素子)喫茶文化史とは何か これまで、茶の歴史を扱う分野は、「茶道史」や農業史のなかの「茶業史」であった。特に茶道史では、千利休が「茶の湯」を大成するまでのひとすじの流れを描くものであった。しかし、その流れから外れる事柄は、「茶の湯」の通史に無理に引き付けて理解されたり、逆に全く評価されなかったりと、フラットに評価されることはなかった。 そこで筆者は、これらの問題に対応するため、平成13年(2001)に、茶道史も含む日の茶の歴史全般を扱うこととし、この分野名を「日喫茶文化史」とすることを提唱した。 すなわち、日喫茶文化史とは、中国からの渡来文化である喫茶文化が日に伝来し、遊芸、宗教儀礼、政治儀礼、生産といった複数の経路を経て、16世紀初めまでには「日常茶飯事」―茶も飯も当たり前の事という言葉が示すように、庶民層にまで受け入れられる。そのうえで、日の風土に

    やさしい茶の歴史(一)(橋本素子) | 八木書店グループ
    Unimmo
    Unimmo 2022/02/25
    神津朝夫さん『茶の湯の歴史』岩間眞知子さん『喫茶の歴史』とあわせて読むと楽しい。
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