[2015.8.31 0:10頃 更新]・まとめ作成以降で玉井氏の同件に言及してる部分がありましたので追加しました。 ・まとめタイトルの「敵国が攻めてきたら」の部分をきっかけとなったツイートに近い「敵国が攻めてくるというのなら」に修正しました。 ・まとめカテゴリーを【ログ・日記】ログから【社会】政治に変更しました。 続きを読む
[2015.8.31 0:10頃 更新]・まとめ作成以降で玉井氏の同件に言及してる部分がありましたので追加しました。 ・まとめタイトルの「敵国が攻めてきたら」の部分をきっかけとなったツイートに近い「敵国が攻めてくるというのなら」に修正しました。 ・まとめカテゴリーを【ログ・日記】ログから【社会】政治に変更しました。 続きを読む
七博士意見書(しちはくしいけんしょ)とは、日露戦争開戦直前の1903年(明治36年)6月10日付で当時の内閣総理大臣桂太郎・外務大臣小村壽太郎らに提出された意見書。 経緯[編集] 東京帝国大学教授戸水寛人、富井政章、小野塚喜平次、高橋作衛、金井延、寺尾亨、学習院教授中村進午の7人[注釈 1]によって書かれた。6月11日に東京日日新聞に一部が掲載され、6月24日には東京朝日新聞4面に全文掲載された。内容は桂内閣の外交を軟弱であると糾弾して「満州、朝鮮を失えば日本の防御が危うくなる」とし、ロシアの満州からの完全撤退を唱え、対露武力強硬路線の選択を迫ったものであった。 この意見書は主戦論が主流の世論に沿ったもので、反響も大きかったが、伊藤博文は「我々は諸先生の卓見ではなく、大砲の数と相談しているのだ」と冷淡だったという。 なお、戸水は日露戦争末期に賠償金30億円と樺太・沿海州・カムチャッカ半島割
発足当時は一部ウォッチャーに注目されるだけだったが,あれよあれよという間に全国紙に何度も登場しついには流行語大賞にまで影響を及ぼすようになった排外主義団体「在日特権を許さない市民の会」。それをめぐっては多くの言説が飛び交ってきたが,実は本格的な学術研究は殆ど現れていなかった。本書『日本型排外主義――在特会・外国人参政権・東アジア地政学』は在特会に関する初めての本格的研究であり,従来の在特会理解に修正を迫るものである。日本型排外主義―在特会・外国人参政権・東アジア地政学―作者: 樋口直人出版社/メーカー: 名古屋大学出版会発売日: 2014/02/22メディア: 単行本この商品を含むブログ (9件) を見る 本書の構成は次の通り。プロローグ(1-7頁)序章.日本型排外主義をめぐる問い(9-28頁)第1章.誰がなぜ極右を支持するのか――支持者像と支持の論理(29-48頁)第2章.不満・不安で排
ネットで旧字旧かなを使う人って、一体何者? 歴史的かなづかひの愛好家です。「正かなクラスタ」と呼ばれる事もあります。 現代仮名遣のどこが気に入らないの? 永年使はれてきた歴史的かなづかひを簡単に捨てて、その後より改善された仮名遣が来るかと思ひきや残念な部分も多く、しかもそれらが国語学者達の長い検討と討論の末決まつたり、国民の意見も聞いたり等ではなく、一部の表音主義者が密室で非民主主義的に決定して、あたかも「クーデター」のやうに変つてしまひ、簡単に戻すことが不可能になつてしまつたことです。 旧字旧かなは軍国主義的な政府による押しつけで、現代かなづかいは「みんなが使いやすい日本語」を民主主義的に採用した良い改革だったのでは。 意外にも事実は全く逆です。旧字旧かなは「デファクトスタンダード」つまり政府の命令ではなく民間から発生して事実上の標準になり、長い年月を掛けて醸成されてきた国語を、明治政府
Q:米国とメキシコの一部に生息するこちらのカメ。彼らのすみかはどこでしょう? 砂漠の地下に掘った巣穴樹木のてっぺん氷の張った水面下 文=カレン・E・ラング 写真=ロバート・クラーク 北欧の泥炭湿地からしばしば出土する不思議な「湿地遺体」。黒光りするこの不思議なミイラは、これまでに数百体発見され、鉄器時代の北欧で行われていた謎めいた生け贄の儀式を今に伝えている。 その男の遺体は、2003年のある冬の日、アイルランドの土の中から掘り出された。男の髪は生前に整えた形を保っていた。後頭部は短く刈りあげ、頭頂部の髪を20センチほど伸ばして鳥のとさかのように盛りあげ、松脂で固めてあったのだ。だがそれは、この不思議な遺体にまつわる謎のほんの始まりに過ぎなかった。 男の遺体が見つかったのは、泥炭の加工場にある巨大なふるいの中だった。全裸で頭部がひどく左にねじれ、両足と両腕の前腕部が失われていた。クローニー
日本刀の働きについて説明したい。 「働き」とは鋼の変化のことを指す。 その働きの中で、まず、「映り」というものについて。 日本刀を見なれない人はすぐに刃文(はもん)に目が行きがちだ。 そして、大抵の方々は化粧研ぎで刃を白くこすって文様を描いた その文様を「刃文」だと勘違いしている。刃文は光に透かさないと なかなか見ることはできない。地と刃の境目が刃文であり、日本刀には 明らかに焼き刃と地の境目が存在する。その境目がくっきりしている ものを「匂い口締まる」といい、ボンヤリしているものを「眠い」とか 「匂い口沈む」と表現する。 刃文の観賞に目が行きがちだが、日本刀観賞の醍醐味は地と刃の 鉄の働き(鍛えと熱処理による変化・変態)そのものにこそある。 地の鍛え目や刃中、刃縁の働きは次回にまわすとして、いきなり 鎌倉古刀の特徴の究極ともいえる「映り」について紹介したい。 映りとは、焼きの一種で、地の
80年代女性アイドル格付シリーズは英時一がはてな匿名ダイアリーで連載したものです。今回、ブログ開設に伴ってこちらにも転載することにしました。 「あまちゃん」見ていた甥っ子が、キョンキョンと薬師丸ひろ子を見て、「この人たち、松田聖子より人気があったの?」と聞いてきた。 そんなゆとりな彼のために、80年代女性アイドルの当時的な感覚での格付けをやってみる。 第1位 松田聖子 代表作品:「青い珊瑚礁」「チェリーブラッサム」「赤いスイートピー」/『野菊の墓』など。 言わずと知れたアイドルの中のアイドル。絶対正義。高度経済成長から、安定成長へ、そしてバブルへと向かう世相の中で、松田聖子が時代を代表出来たのには彼女の生い立ちによるところも大きいと思う。一点の曇りもない地方の中産階級、そんな彼女には貧困も、学園闘争も、無縁だった。60年代の加山雄三的なるものから70年代の四畳半フォーク時代を飛ばして直結し
オランダ出身の画家フィンセント・ファン・ゴッホは、ポスト印象派を代表する画家として世界的に有名で、絵画に興味がない人でもゴッホの名前くらいは聞いたことがあるはずです。ゴッホは自分で耳を切り落としたと言われているのですが、切り落とされたはずの耳が3Dプリンタを使って複製され、ドイツの美術館「カールスルーエ・アート・アンド・メディア・センター」に展示されています。 ZKM | Exhibitions 2014 :: Diemut Strebe: Sugababe http://on1.zkm.de/zkm/stories/storyReader%248887 German museum shows live replica of van Gogh's ear - Yahoo News https://news.yahoo.com/german-museum-shows-live-replica
古代ギリシャ史、ギリシャ神話を専門に勉強している藤村による、高校の世界史の授業ではスルーされる陶片追放の違った一面、古代美術、ギリシャ神話等の話。 一部過激な表現がございますのでご注意下さい。 第一話:http://togetter.com/li/665073
英雄伝 (叢書アレクサンドリア図書館) 作者:ネポス国文社Amazon 英雄と呼ばれる将軍がずらずらと紹介される世界最古の偉人伝。 どっちも登場 / ヒストリエ(7) (アフタヌーンKC)より 戦術書 (叢書アレクサンドリア図書館 (6))を買ったら薦められ、ついでと思い買ってみたらこれが意外に面白い。古代ギリシャからローマにかけての将軍について、それぞれの逸話とそれに伴う教訓が書かれている。 登場する人物の多くは日本では馴染みのない者だが、読めばなぜ取り上げられたか納得できる。どいつもこいつも敵を打ち破り、都市を攻略し、地域を平定する。ウェイバー・ベルベットの言葉を借りれば「こいつら……一騎一騎がサーヴァントだ……」というやつだ。歴史的資料としての価値は微妙らしいが、物語としての価値はある。 そして読んで思った。『ヒストリエ』読んでいてよかった。 概要 ざっくりながらもこの本についての背
東京・渋谷駅前のシンボルとして親しまれている「ハチ公」の銅像ですが、戦時中に金属不足を補うために撤去され、戦後に作り直されたことはあまり知られていません。 その失われた「初代ハチ公像」の原型となった石こう像が80年ぶりに見つかり、専門家は「初代ハチ公像を知る非常に貴重な資料だ」と話しています。 初代のハチ公像は、彫刻家の安藤照さんが戦前の昭和9年にハチ公をアトリエに呼んで制作しましたが、戦時中、金属不足を補うために撤去されてしまいました。 安藤さん自身も空襲で亡くなったため、戦後、息子の士さんが平和のシンボルとして作り直しましたが、資料はほとんど焼けてしまい、記憶だけが頼りだったということです。 ところが、初代ハチ公像が作られてことしで80年となるのに合わせて、渋谷区郷土博物館が調査したところ、初代ハチ公像の原型となった石こうの像を安藤さんの知人が保管していたことが分かりました。 この石こ
明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。 ■今昔マップ on the web 首都圏編 で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。 なお、情報源はこの今昔マップが主で、一部ウィキペディアからの情報で補足しているが、事実と異なる記述があったらご容赦。自分の興味地域は、東京南部~神奈川なので、以下はそのエリアについてのみ。 【おもな放射道路編】 東海道(国道1号・15号)日本橋~品川区間。 1900ごろ時点で現在の国道15号と同じルート。市電も敷設されていた。八ツ山橋が現在の道路形状になったのは1960ごろ。品川~横浜間。 京急本線が1900ごろ時点ですでに敷設されているが、道路は現在の旧東海道のみ。六郷橋は1900ごろ時点ですでに架橋されていた。現在の国道15号品
昨日のひな祭りロゴに続いて、今日もGoogleトップページのロゴが変更されている。何やら地図のようだが、これは大正・昭和期に活躍した鳥瞰図絵師・吉田初三郎の誕生日を記念したもの。記念日にあわせてロゴが変更される「Google Doodle」によるものだ。 吉田初三郎は1884(明治17)年、現在の京都市中京区に生まれた。当初は洋画家を志していたが、1914(大正2)年に手がけた京阪電車の沿線案内図が皇太子時代の昭和天皇の賞賛を受けたことをきっかけに、商業用のパノラマ画を専門とするようになる。 折しも大正の観光ブームの時代だった。「大正広重」と呼ばれるようになった吉田初三郎のもとには、全国各地からパノラマ画の依頼が殺到した1。 吉田の事業の中でも有名なのは「別府観光の父」油屋熊八との提携である。油屋熊八は温泉で有名な大分県別府市の観光地化の立役者として知られるが、「山は富士、海は瀬戸内、湯は
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