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裏話と死に関するblueribbonのブックマーク (22)

  • #136 「毛沢東の長男はチャーハンを作っていて爆死」…中国共産党が“修正”したい不都合な史実 | 中国ニュース拾い読み 

    7月23日の中国共産党結党100周年(奇しくも東京五輪開会式の日)を前に、中国政府は祝祭ムードの演出に総力を結集している。「中華民族の偉大な復興」を掲げる習近平政権は、不都合な歴史の「修正」にも余念がない。 表舞台から消えた毛沢東の息子たち 中国の人文・社会科学分野におけるナショナルアカデミー、中国社会科学院(CASS)に2019年1月、習近平国家主席肝いりの「中国歴史研究院」が新設された。 中国政府が中国史研究・調査の最高機関に位置付けている機関で、歴史研究の“指導”や、新たな歴史研究計画の策定、主要な国家プロジェクトの監修などが主な責務だ。 既存の研究支援や新たな視点の提示というよりは、中国共産党史観を広め、逆に党にとって望ましくない研究成果や史実を“正しく指導”することに重きを置いているようだ。

    #136 「毛沢東の長男はチャーハンを作っていて爆死」…中国共産党が“修正”したい不都合な史実 | 中国ニュース拾い読み 
    blueribbon
    blueribbon 2021/07/05
    「毛岸英(毛沢東の長男)は朝鮮戦争従軍の年、前線で爆撃を受けて死んだ。巷間では「火気厳禁の軍規を破り、蛋炒飯を作っていて、調理中に煙が立ち上ったため敵機に居場所を知られ、爆撃された」と伝わっている。」
  • ホームレス女性の死から半年 食料配布の列にいた彼女 報道されない「試食販売」の闇(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース

    亡くなった大林三佐子さんに見覚えが… 「あの人」はあの時に列に並んでいた女性ではないのか−。 ニュースで彼女について報道されるたびに料配布の例に並んでいた彼女の姿が鮮烈に思い出される。 その人の名は大林三佐子さん。 昨年11月16日の未明、東京・渋谷区の幹線道路沿いのバス停で頭を殴打された状態で女性が死亡していた。大林三佐子さん、享年64。そのバス停は深夜から未明にかけて彼女が身を休めていた場所でホームレスだったことから「渋谷区路上生活女性 死亡事件」として大きく報道されて警察が捜査。事件前後に防犯カメラ映像に写っていた近くに住む男が逮捕された。男は「邪魔だった」「痛い思いをさせればいなくなると思った」と供述しているという。 事件から半年が経つ。大林さんの人生をたどった報道も目につくようになった。 テレビや新聞で数多くの報道があったが、その中で彼女自身の人生にもっとも力を入れて迫ったのが

    ホームレス女性の死から半年 食料配布の列にいた彼女 報道されない「試食販売」の闇(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース
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    blueribbon 2021/05/16
    「試食販売の仕事ではそれぞれの販売員がスーパーなどの店内で試食品を自ら買い取らなければいけないケースがあるという。…大林さんもこの立替金で滞納があったという。…「買い取り地獄」のような世界になる。」
  • ひとり、都会のバス停で~彼女の死が問いかけるもの|NHK

    その1枚の写真に、私たちは衝撃を受けた。 去年11月、都内のバス停で路上生活者の60代の女性が男に突然殴られ、死亡した事件。 カメラに向かって微笑みかける写真の女性が、亡くなったその人だった。 撮影されたのは1970年代。 当時は劇団に所属し、希望に満ちた日々を過ごしていたという。 しかし、亡くなった時の所持金は、わずか8円だった。 彼女にいったい何があったのか。バス停にたどり着くまでの人生を追った。 (社会部記者 徳田隼一・岡崎瑶) 「女性が路上で倒れているのが見つかった」 去年11月16日の午前11時ごろ。先輩記者から連絡を受けた私(徳田)は、急いで東京・渋谷区の現場へ向かった。 京王線の笹塚駅から北東に400メートル余り離れた、幹線道路沿いのバス停。 周囲にはマンションや店舗などが建ち並んでいる。 ここで、早朝に60代くらいの女性が倒れていたという。 女性は搬送先の病院で亡くなってい

    ひとり、都会のバス停で~彼女の死が問いかけるもの|NHK
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    blueribbon 2021/05/01
    「男の子は、大林さんが渡す飲み物を何度もおかわりし、試食台から離れようとしませんでした。父親が『いいかげんにしなさい』と…大林さんは、その子の姿が見えなくなるまで笑顔で手を振り返していたんです」
  • 真珠湾攻撃で戦死、「2階級特進」から漏れた6人の真実 史実追求の先にあったもの

    1941(昭和16)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃で戦死認定された航空兵55人には、冷徹なまでの「死後の選別」があった--。79年前のきょう、太平洋戦争の戦端を開いた戦果を受け、攻撃に加わって亡くなった彼らに対し、軍部は異例の「2階級特進」を適用した。だが、この処遇から6人だけが除かれ、1階級の進級にとどまっていたことが分かった。敵前逃亡など、あからさまな咎(とが)があったわけではない。同じ作戦に基づいて、同じ戦闘に、同じ航空部隊から参加して命を落とした兵士に、なぜ明確な格差が生じたのか。(小川 晶) 神戸新聞社の神戸社11階、文化部フロアの片隅に、年季の入った1台のコンピューターがある。1990年代のデスクトップパソコンのような、厚みのある外観。社内では「マイクロフィルム」の名で通る。過去の新聞記事が焼き付けられたフィルムを、コマ送りで見ることができる装置だ。 航空機事故を取材する新

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    blueribbon 2020/12/08
    「2階級特進した49人は、米軍の反撃で撃墜され、あるいは被弾して自ら基地に突っ込んだりしたと「認定」されている。それに対し、6人は、空母に戻る途中に行方不明になったり、不時着したりして亡くなっている」
  • 昼食後に姿を消した3人の日本人捕虜…シベリア収容所の“人肉事件”はこうして始まった | 終戦、75年目の夏 | 文春オンライン

    ユーラシア・中央アジアの考古学・文化史研究の先駆者である加藤九祚氏は、戦時中、学徒動員で出征。満州国の敦化(とんか)で終戦を迎えた。直後、加藤氏はソ連軍捕虜となりシベリアに抑留されるが、そこで「どうしても忘れ切ることのできない記憶」となる異様な出来事と遭遇した。 多くの日人が辛苦を味わった「シベリア抑留」の現場で、一体何が起きていたのか。文春ムック『奇聞・太平洋戦争』より、加藤氏が1970年に執筆した「日人は同胞の肉を喰うのか?」の一部を抜粋して掲載する。(全2回の1回目/後編に続く) ◆ ◆ ◆ わたしがここで語ることは、シベリア抑留中の1946年の出来事である。あのときからすでに24年の歳月が流れ、当時の記憶もまたうすらいで、俘虜(ふりょ)生活のすべてが夢の一こまであったように思われることがある。歳月は一切を洗い流すものかも知れない。しかしわたしには、どうしても忘れ切ることのできな

    昼食後に姿を消した3人の日本人捕虜…シベリア収容所の“人肉事件”はこうして始まった | 終戦、75年目の夏 | 文春オンライン
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    blueribbon 2020/09/13
    「そもそもシベリア抑留自体、日本軍上層部が敗戦後の保身のため、満州の将兵を労働力としてソ連に提供したとする密約説もあるほどで、全体像は謎の部分が多い。」
  • 戦わぬまま餓死・病死5千人…見放されたメレヨン島、何が生死を分けた? | AERA dot. (アエラドット)

    軍が設営した島・フララップ島の滑走路=2003年、友松撮影 戦後初の引き揚げ船で大分・別府港に着いたメレヨン島からの復員兵=1945年9月 (c)朝日新聞社 メレヨン島の海岸に残る日海軍の砲身=66年、遺骨調査団撮影 (c)朝日新聞社 戦死者約300万人の太平洋戦争末期、一度も格的な戦闘をしないまま、兵士の7割以上、約5千人が命を落とした島がある。ほとんどが餓死か病死だったという。何が生と死を分けたのか? ノンフィクションライター・友松裕喜氏が真相を追った。 【写真】戦後初の引き揚げ船で大分・別府港に着いたメレヨン島からの復員兵 *  *  * 赤道に近い北緯7度東経143度、太平洋のメレヨン島=ウオレアイ環礁は、東西約8キロ、南北約5キロに海抜約3メートルの約16の島が点在している。 久米宏氏が出演していたテレビ朝日「ニュースステーション」のディレクターとして、2001年、私は

    戦わぬまま餓死・病死5千人…見放されたメレヨン島、何が生死を分けた? | AERA dot. (アエラドット)
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    blueribbon 2020/08/15
    「軍隊という組織のなかには目の前で兵隊が死んでいっても知らん顔をする人もいる。ところが『それではいかん、供養しよう』、そう言って優しい気持ちを持っていた人ほど(体力を奪われ)早く死んだ」
  • 神戸新聞NEXT|三田|あの森の中で インパール作戦の記憶(1)白骨街道

    草木をかき分けて真っ暗闇を進む-。昨年11月、兵庫県三田市に暮らす谷口實男(じつお)さん(101)が散歩中に市内の森に迷い込み、一晩中さまよった。何度も転倒して胸の骨を折り、翌朝に道で倒れているところを発見されて一命を取り留めた。入院先を見舞うと、かすれ声で言った。「インパール作戦を思い出しました」。それは太平洋戦争で最も無謀と言われ、およそ9万人が出兵して6万人以上が命を落とした作戦だ。終戦75年になっても心にすみ着く体験を聞いた。(取材班) ■三田の森で見えたあの“地獄” 私たちが谷口さんに出会ったのは昨年9月、敬老の日に合わせ、市内の最高齢夫婦を紹介する記事の取材だった。その3カ月前、生まれ育った京都府福知山市から、子どもらが暮らす三田に引っ越してきていた。 自宅のベランダからうっそうとした森が見える。戦争中、日軍が占領したビルマ(現ミャンマー)から英領インドのインパールに攻め込ん

    神戸新聞NEXT|三田|あの森の中で インパール作戦の記憶(1)白骨街道
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    blueribbon 2020/08/14
    「目を向けた道端には、泥まみれの死体が隙間なく横たわっている。全身が膨れあがり、ハゲタカが肉や目玉をつつくと、やがて骨になった。かすかに息をしている者を見ても、どうすることもできなかった。」
  • 「死んだ真似で生き残った」――沖縄の集団自決、生存者が語る75年前の悲劇 - Yahoo!ニュース

    太平洋戦争では、日で唯一の地上戦が沖縄で繰り広げられた。米軍が上陸した際、沖縄島や慶良間諸島では集団自決が行われた。最も自決した人が多かった渡嘉敷島では、村長の号令のもと329人が命を落とした。ただし、手榴弾の不発などによって一命を取り留めた人もいる。あの集団自決の現場では何が起き、どのように生き抜いたのか。75年前を振り返ってもらった。(文・写真:写真家・亀山亮/Yahoo!ニュース 特集編集部) 5月1日から68日間、新型コロナウイルスの新規感染者数ゼロが続いた沖縄。だが、7月に入ると、在日米軍基地を含む県内で感染者が急激に増加。さらなる感染拡大への恐れと自粛の空気が強まりつつある。例年であれば夏休みの観光客で賑わう那覇市内の国際通りも、人通りが減っている。 今年はそんなコロナ禍の影響で、生まれ故郷の島へ帰れなかった人がいた。 「(3月28日の渡嘉敷島の)慰霊祭、毎年行ってたけど、

    「死んだ真似で生き残った」――沖縄の集団自決、生存者が語る75年前の悲劇 - Yahoo!ニュース
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    blueribbon 2020/08/11
    おそらく、日本軍が住民に集団自決を強要したのは、守備隊の布陣がアメリカ軍にばれるのを恐れた口封じの為だろう。
  • 特攻隊員の自爆機が敵に突っ込んでいく時、なぜ基地の無線で「最後の瞬間」を聞いていたのか | 文春オンライン

    パイロットが搭乗したまま航空機を敵艦に突っ込ませる特攻隊の「体当たり作戦」は、「私には、100パーセント死ぬ命令をだすことはできない」と語った海軍航空部隊の隊長がいたというほど、生還の望みをもてないものだった。 作家・保阪正康さんの著書『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日人』(角川新書)より、特攻の始まり、そして特攻隊員たちの知られざる音について一部を抜粋する。 ◆ ◆ ◆ 特攻の始まり 初めて戦術としての組織的な特攻隊の出撃は、昭和19年10月25日。海軍の神風特攻隊である。 この年、各地の守備隊が次々玉砕するなど、戦況は著しく日に不利となった。軍事指導者たちの無能ぶりからなんら打開策が見いだせないまま、戦争はズルズルと泥沼に陥り、犠牲者をいたずらに増やしていた。その中から出てきたのが「体当たり攻撃」作戦だった。 まず海軍が、人間魚雷「回天」を開発した。もっとも初

    特攻隊員の自爆機が敵に突っ込んでいく時、なぜ基地の無線で「最後の瞬間」を聞いていたのか | 文春オンライン
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    blueribbon 2020/08/07
    「今日の無線の中に、『海軍の馬鹿ヤロー!』といって死んだ特攻隊がいる。絶対極秘」 「こんな所までわざわざ自殺しに来るとは間抜けな奴だと笑うだろうよ」 「特攻機に乗る直前に失禁して、そして失神状態に…」
  • 「志村けんさんは私たちの大スターだった」パキスタン人、イラン人から悲しみの声あいつぐ(アジアプレス・ネットワーク) - Yahoo!ニュース

    3月29日、新型コロナウイルス肺炎で亡くなった志村けんさん。悼まれる死は日人だけでなく、外国人のあいだでも大きな衝撃が広がっている。特に約30年前、出稼ぎや留学で来日した数万のパキスタン人、イラン人にとって志村さんは絶大な人気があった。彼はどんな存在だったのか。3人に思いを聞いた(聞き手:玉英子/アジアプレス) 【写真特集】 これが外国人排斥を訴えるヘイトデモの現場だ(8枚)

    「志村けんさんは私たちの大スターだった」パキスタン人、イラン人から悲しみの声あいつぐ(アジアプレス・ネットワーク) - Yahoo!ニュース
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    blueribbon 2020/04/02
    「イランではドラマ「おしん」が有名です。その次に知られているのは、志村さんではないでしょうか。私たちの大スターです。多くのイラン人は彼の死を悲しんでいます。」
  • 三菱電機の新入社員自殺、3年前も同じ寮で メモも残す:朝日新聞デジタル

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    三菱電機の新入社員自殺、3年前も同じ寮で メモも残す:朝日新聞デジタル
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    blueribbon 2019/12/27
    「次 同じ質問して答えられんかったら殺すからな」 「お前が飛び降りるのにちょうどいい窓あるで、死んどいた方がいいんちゃう?」 「自殺しろ」 #三菱電機
  • 三菱電機新入社員、社内発表会の直前に自殺 - 日本経済新聞

    三菱電機の男性新入社員が自殺し、警察が自殺教唆容疑で上司を書類送検した事件で、男性は自殺した当時、社内向けの発表会へ向けた準備を進めていたことが7日、会社への取材で分かった。同社では過去にも社員の過労自殺や精神疾患による労災認定が相次ぎ、元社員は「パワハラが日常的で自浄作用はなかった」と話した。神戸地検は上司の刑事責任の有無を慎重に検討している。会社などによると、発表会は8月末の予定で、男性は

    三菱電機新入社員、社内発表会の直前に自殺 - 日本経済新聞
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    blueribbon 2019/12/08
    「(三菱電機は)極限まで追い込んで成果を出させる体質だった」 「「死ぬ気でやれ」といった怒声が延々と響き、社員の1割以上が精神疾患で休職したという。」
  • 報道されないジャニー喜多川の未成年に対する性的虐待疑惑について - Mのブログ

    ジャニー喜多川がなくなったが、昭和平成のゲイ能の大功労者である超大物が亡くなった!というトーンで彼の泣けるエピソードやジャニタレ達の追悼の言葉や涙を流して、美談に仕立て上げている。このツイートなどはこの雰囲気をよく捉えているので参考に引用したい。 亡くなった人を叩く趣味はないが、彼の功罪のうち、余りにも罪を取り上げなさすぎる報道姿勢に疑問を感じる。これは今に始まった事ではない。彼の未成年に対する性的虐待の疑惑は一部のメディアを除いてほとんど報道されてこなかった。その姿勢が功を奏して、今ではジャニー喜多川の性的虐待疑惑を知らない人もいる。殆どの情報はwikipediaにのっているが、勝ち逃げを許さないという思いから、この疑惑について改めて整理をしたい。 文春との裁判について 彼の性的虐待疑惑については、殆ど報道されていなかったと書いたが、1990年代までは、公然の秘密として、ジャニーズでは未

    報道されないジャニー喜多川の未成年に対する性的虐待疑惑について - Mのブログ
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    blueribbon 2019/07/11
    「沢山の人気グループを抱えるジャニーズに逆らえば、関連メディアにジャニーズを出してもらえなくなるという懸念から、性的虐待疑惑に限らず、ジャニーズに都合の悪い報道は殆どなされなくなってしまった…」
  • オウム元死刑囚たちの最後「異常に汗をかき、毎晩のように失禁していた」拘置所関係者が証言【平成事件史】 | AERA dot. (アエラドット)

    井上嘉浩元死刑囚 (c)朝日新聞社 オウム真理教の一連の事件で教団に対する強制捜査から23年余り。元代表 麻原彰晃(名・松智津夫)、井上嘉浩、新実智光元死刑囚ら7人は2018年7月6日、残りの6人は同26日に、13人全員の刑が執行された。世界中を震撼させた一連のテロ事件に終止符が打たれた格好だ。 【新実智光元死刑囚の写真はこちら】 オウム真理教は平成元年(1989年)に起こった坂弁護士一家殺害事件や94年6月の松サリン事件、95年3月の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こし、合わせて29人が死亡、約6500人が被害にあった。 オウム真理教の元死刑確定囚人らは、東京拘置所に収容されていたが、2018年3月に刑場がある地方の拘置所に移送されていた。その中で、大阪拘置所に移送されてきたのが、新実、井上元死刑囚だ。 新実元死刑囚は、大阪拘置所に移送されてから同年5月と6月、2回に渡り「

    オウム元死刑囚たちの最後「異常に汗をかき、毎晩のように失禁していた」拘置所関係者が証言【平成事件史】 | AERA dot. (アエラドット)
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    blueribbon 2018/12/31
    「…臭気が漂いはじめた。2人とも毎晩のように失禁するようになり、ズボンや布団を頻繁に取替えるようになっていたのです。死刑の恐怖に怯えていたんだと思います。…2人とも普通の人間だったということでしょう。」
  • 劉暁波氏の遺骨、海に 兄「家族で相談して決めた」:朝日新聞デジタル

    13日に死去したノーベル平和賞受賞者で中国の著名人権活動家、劉暁波(リウシアオポー)氏の告別式が15日、遼寧省瀋陽市の葬祭場で営まれ、遺体は火葬後に海に散骨された。市当局が劉氏の兄の劉暁光氏(68)とともに記者会見し、遺族の意向に沿ったものだと発表した。劉氏とともに出国することを希望していたの劉霞(リウシア)氏(56)は会見に姿を見せなかった。 瀋陽市新聞弁公室の会見によると、告別式は同日午前6時半に始まり、劉霞氏ら親族や友人らが参列。劉霞氏は悲痛な様子で、遺灰をしっかり抱きしめたという。また、火葬後、劉霞氏らは移動して船に乗り、正午から散骨をしたという。 こうしたやり方について市報道官は「死後3日以内に火葬する」という地元の慣習に基づくもので、遺族の意向にも沿ったものだと強調。海への散骨についてもの劉霞氏ら遺族が合意したものだとした。散骨などの様子を伝える写真や動画も報道陣に公開した

    劉暁波氏の遺骨、海に 兄「家族で相談して決めた」:朝日新聞デジタル
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    blueribbon 2017/07/17
    「当局は遺灰が埋葬され、民主化運動のシンボル的な位置付けとなることを懸念し散骨を求めたとみられる。」
  • 北朝鮮の新聞で靴包み拘束か 解放後死亡の米大学生 - 共同通信

    【ソウル共同】北朝鮮に拘束された米国人大学生オットー・ワームビア氏(22)が昏睡状態で解放された後、死亡した問題に絡み、韓国の拉致被害者家族でつくる「拉北者家族会」の崔成龍代表は23日、ワームビア氏がを朝鮮労働党機関紙の労働新聞で包んでトランクに入れたことが発覚し、拘束されたとの情報を平壌の消息筋から得たと明らかにした。 出国予定日にホテルの部屋で荷物をまとめた際、を包んだ労働新聞に金正恩・朝鮮労働党委員長(当時は第1書記)の顔写真が掲載されており、の土が紙面に付いたとして激しくとがめられたという。

    北朝鮮の新聞で靴包み拘束か 解放後死亡の米大学生 - 共同通信
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    blueribbon 2017/06/23
    「出国予定日にホテルの部屋で荷物をまとめた際、靴を包んだ労働新聞に金正恩・朝鮮労働党委員長(当時は第1書記)の顔写真が掲載されており、靴の土が紙面に付いたとして激しくとがめられたという。」
  • スターリン時代の負の遺物。数十万人の死者を出した死の鉄道、「サレハルド・イガルカ鉄道」(ロシア) : カラパイア

    北極圏の端にあるロシア、ヤマロネネツ地区の中心地、サレハルド郊外。ここには悪名高いサレハルド・イガルカ鉄道の線路が今に残されている。 この鉄道は死の鉄道、死への道、死者の道と、「死」にまつわる様々な呼び名で知られている。時の支配者、スターリンの号令のもと、永久凍土の上に線路を敷き、北極圏1300kmを繋ぐ鉄道をつくりあげシベリアの東西をつなげるというサレハルド・イガルカ鉄道は、結局完成することなく、何十万という労働者たちが敷設工事の強制労働にかり出されて死んでいくのみに終わったのである。

    スターリン時代の負の遺物。数十万人の死者を出した死の鉄道、「サレハルド・イガルカ鉄道」(ロシア) : カラパイア
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    blueribbon 2016/09/10
    「シベリアの東西をつなげるというサレハルド・イガルカ鉄道は、結局完成することなく、何十万という労働者たちが敷設工事の強制労働にかり出されて死んでいくのみに終わったのである。」
  • 【三島由紀夫没後45年(下)】三島に斬られ瀕死の元自衛官「潮吹くように血が噴き出した」(1/3ページ)

    11月中旬のある日、清冽な青空のなか、東京・市谷の防衛省内の急坂を上る元自衛官の姿があった。寺尾克美(86)。 「あの日も秋晴れだったなあ」。短躯だが、がっちりとした厚い胸を張り、青空を見上げた。 45年前のあの日、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地の東部方面総監室で益田兼利総監の身柄を拘束した三島由紀夫=当時(45)=ら5人と自衛官との間で格闘になり9人が負傷、うち6人が入院した。寺尾もその一人だ。三島に銘刀「関の孫六」で腕を一太刀、背中を三太刀斬られ、瀕死の重傷を負った。 事件現場となった総監室は今、「市ケ谷記念館」として残されている。 その総監室のドアに今も残る刀傷を指さしながら、「最初に踏み込んだ自衛官が斬られたときのものだ。総監の机がこのあたりにあった。窓の外のバルコニーで三島さんが演説した」。寺尾は当時の凄惨な記憶が蘇ってくるように話した。 ■  ■ 寺尾は当時、会計課予算班長の3佐で41

    【三島由紀夫没後45年(下)】三島に斬られ瀕死の元自衛官「潮吹くように血が噴き出した」(1/3ページ)
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    blueribbon 2015/11/25
    「組み合ったとき、間近で見た森田君の顔は今も忘れない。…お兄さんが『信奉する三島由紀夫と最後まで行動を共にしたのだから、本望、立派だったと思いたい』とおっしゃっていたが、まさにそれが全てだと思う」
  • 命がけとは知らずに米軍の原水爆実験を記録し、歴史の闇に葬り去られたカメラマンたち

    1945年から1962年にかけて米軍が実施した原水爆実験を、極秘裏に映像や写真で記録していたカメラマンたちの部隊がいたそうです。 冷戦中に原水爆の開発に携わった科学者たちの多くが名声を得たのに対し、命がけでそれを記録したカメラマンたちは決して表舞台に出ることはなく、機密を保持したまま多くが亡くなっていったとのこと。半世紀を経て情報が公開されつつある中、その極秘撮影チームの数少ない生存者の一人George Yoshitake氏が当時を語っています。 詳細は以下から。Capturing the Atom Bomb on Film - Audio & Photos - NYTimes.com Secret Corps of Filmmakers Documented Nuclear Bomb Tests - NYTimes.com 原水爆実験を撮影したカメラマンたちのほか監督やプロデューサーなど

    命がけとは知らずに米軍の原水爆実験を記録し、歴史の闇に葬り去られたカメラマンたち
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    blueribbon 2010/09/22
    「命がけでそれを記録したカメラマンたちは決して表舞台に出ることはなく、機密を保持したまま多くが亡くなっていった」
  • 「自慰中の死亡」について

    (6/6 21:05追記) 要望がありましたので、補足記事を書きました。jojoと鹿。 「自慰中の死亡」について (補遺) http://anond.hatelabo.jp/20090606210553 『キル・ビル』のキャラダインさん、自慰中の事故死か http://www.afpbb.com/article/entertainment/news-entertainment/2608961/4231903 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.afpbb.com/article/entertainment/news-entertainment/2608961/4231903(はてぶ) えーっみたいな反応が多いが(当然か)、自慰中の首吊り死亡って実はかなりありふれているらしい。 自分が医学部の学生だったとき、法医学の教授の専門が「異常性行為中の急死例

    「自慰中の死亡」について