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人生と追憶と昭和に関するgoldheadのブックマーク (3)

  • 映画「海炭市叙景」 - 北小路ゲバ子の恋

    *1 映画「海炭市叙景」、その舞台である海炭市から西に40キロ、私はそこで生まれ育ったはずである。原作の文庫の解説にて、川三郎は「この小説を読むと誰もが自分の住んでいる町と、そこで働きながら生きている人々のことを愛おしくなるではないか。」と書く。架空の町に自らの暮らしをそこに見つけ出せる…ということだろう。しかし私に限ればそんなことはない。海炭市はいささか大き過ぎる。原作者の故郷・函館市がモデルであり、ロケ地であるから仕方がないのかもしれないけれども、そこは私の生まれ育った州の西端のどこよりも大きい。 プラザ合意による円高不況のあおりでコンビナートの一郭の工場が閉鎖されると、そこの家庭の子供がごっそりと消えた。麻雀や飲酒くらいしか愉しみのない高校生活を過ごしたのだが、あのままその地で暮らしていたならば、それにパチンコくらいしかくわわるものがなかったに違いない。そのような薄い絶望が約束さ

    映画「海炭市叙景」 - 北小路ゲバ子の恋
  • 太田英子との蜜月 - 北小路ゲバ子の恋

    隣り合った女の左肘と私の右肘がぶつかり、その度に互いに顔を見合わせた。左利きと右利きが隣り合ったのだから仕方がない。そんなこんなで太田英子と親しくなった。バイト先で知り合った上和田義彦君のライブに出向き、その後に催された打ち上げにのこのこと出かけた際のことである。 二十世紀のお終い近く、ふり返るにその秋は珍しく仕合わせであった。私が仕合わせだった時期などほとんどないのだから、貴重なそれである。TBSで「青い鳥」をやっていた秋である。霧に包まれた京都競馬場でエリモダンディーが京阪杯を勝った秋である。暮れには西早稲田のACTミニシアターでボリス・バルネット特集があり、中野武蔵野ホールでは黒沢清の「蛇の道」がひっそりと上映された。 そんな季節、私は太田英子と蜜月であった。 太田英子は悪い冗談のような話を始め、次第にずるずると鼻水をすするようになった。「ほら」といってシャツから肌を露出すると、そこ

    太田英子との蜜月 - 北小路ゲバ子の恋
  • エヴァンゲリオンとは無縁の生活 - 北小路ゲバ子の恋

    それを放映していた当時、明治大学にすら入れなかった半端者が敗北感を背負って入学する学校に通っていた。そこに行くはめとなった夜、高卒の父親はなんだ法政かと吐き捨てるように言う始末であった。予備校の講師にロックアウトでろくに授業がないときいていたので、まあいいかと自らを慰めたのだが、実際のところはそうでもなく、とはいえ、公安の監視を遮るために飯田橋門はカクマルセンメツとペンキで描かれたベニヤ板で封鎖され、*1年に数回、警察が突入してきたりもしていて、*2小学5年で中核派ファンの私にはお誂え向きではあった。水道橋の場外で紙クズを買い込み、部室で麻雀しながら競馬中継を見ようと学館に向かっていると、「例の女」に出くわしたりもした。柄谷行人には一度たりとも会うことはなかったけれども。なにしろ学校に入っても、校舎には滅多にいかないのだから。そうだ、土曜日の昼下がり、Tシャツに軍手でタテ看を書く彼らはとて

    エヴァンゲリオンとは無縁の生活 - 北小路ゲバ子の恋
    goldhead
    goldhead 2009/09/01
    俺は大学に入ってすぐ、競馬サークルの数度しか話したことのない上級生に、「エヴァはお前のようなやつのためにあるんだろうな」と言われた。なにか啓示を感じて、俺は大学をやめたのだった。
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