Kenji Tomita @tommygfx90 これムチャクチャ実感がある。 物理的な生活環境において、何処かが散らかってるストレスは潜在意識的に「心のゴミ」になってる感覚ある。時間を敢えてとって掃除すると、実態何故だかスッキリする。たまにオフィスも自分で掃除するけど、これロジックで大事だな。 pic.twitter.com/gObJknEFML 2024-03-20 20:11:08
清水俊史 @AKBhVis 「仏教的には地震や津波の犠牲者も過去世の業が原因なのか?」という問題がしばし炎上しますが、仏典とその註釈を注意深く読む限り「その可能性が高い」と言う外ないです。 こういう見解は顰蹙を買うかもですが、これは私の意見ではなくて、仏典と注釈にそう書いてある以上、どうしようもないのです。 x.com/AKBhVis/status… 2024-03-03 19:36:55 清水俊史 @AKBhVis 上座部の理解なら、そのように「今の苦しみは過去世の業が原因でどうしようもない面もあるが、前向きに現世で頑張ればOK」となります。 なかなか難しい問題ですが、恐らく仏教的価値観からすれば「今の苦しみは過去世の業が原因ではない」と考えることは、「無反省な唯物論」に映ると思います。 x.com/bero_triratna/… 2024-03-03 19:02:15 筑摩書房 @ch
当山では先達の遺徳(せんだつのいとく)を偲び、昔ながらの様を保つように努力しております。 照明は灯してありますが、階段の上り下り・つまづきやすい箇所があるなど歩きやすい通路ばかりではなく、ベビーカー・車イス等の使用は不向きです。(境内諸設備 もバリアフリー未対応) ご来山の参考にしてください。 当洞窟は現在でも修行道場であり、一般の方には参拝の場として公開しております。 故に、酒気帯や騒ぐ等の不謹慎者、ペットを連れての入洞、撮影をお断り致しております。 洞窟を含む境内での事故等に当山は一切の責任を負えません。 I. We are keeping this cavern to be itself to show respect for our ancestor’s virtue. There are some small lights in this cavern but it is sti
約2500年前のインドに生まれた仏教が、アジアに生まれた他の無数の宗教とは異なり現在の世界に広がっているのは、なぜなのだろうか? 唯一神を信仰するユダヤ教・キリスト教・イスラム教との大きな違いとは? 講談社選書メチエの新刊『仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか』(ジャン=ノエル・ロベール著/今枝由郎訳)は、多言語に通じた著者の視点で、「仏教の強さ」を明らかにしている。 コーランはアラビア語、カトリックはラテン語、では仏教は? 本書の著者、ジャン=ノエル・ロベール氏は、仏教を中心とした日本文化の研究で国際的に高く評価されるフランスの東洋学者で、2021年、第3回人間文化研究機構日本研究国際賞を受賞している。 ロベール氏は、母語であるフランス語のほかに、中国語・日本語・英語はもちろん、朝鮮語、サンスクリット語、チベット語、ラテン語、ギリシャ語…などに通じた「ポリグロット(多言語話者)」で、
Ayako Kimishima @kimi_aya_ 仏像から社会を見ている研究者|絵も描きます|監修した展覧会→「万博と仏教」「陶の仏」|Material religion|Buddha statue study|メモがわりに気になるモノやニュースを呟きます|たまに宣伝と業務連絡|発言は所属団体を代表するものではありません|誤字が多くてごめんなさい|お問合わせはリンク先 kimishima.info リンク TOP TOP 宗教学者 美術家 君島彩子 オフィシャルサイト Official Sites of Ayako Kimishima, Ph.D. TOP Ayako Kimishima @kimi_aya_ 以前、市民講座でコンクリート製の仏像について話をしたら、聴講者の方から「あなたの話は面白いが、国立博物館で本物の仏像を見て学んだ方が良いですよ」とのご意見をいただいた。 私が「一
「戦時下に何をなし、何をなさなかったのかを、若い僧侶たちにも知ってほしい」と語る廣瀬卓爾さん=大津市で2023年7月31日午後6時4分、花澤茂人撮影 浄土宗の僧侶らで作る「浄土宗平和協会」が、戦争に協力した歴史的事実を検証した結果をまとめた。命の大切さを説くはずの僧侶たちが、なぜ戦争に加担してしまったのか。 平和協会が7月に公表した「浄土宗『戦時資料』に関する報告書」は169ページにわたる。経典の解釈によって戦争を宗教的に意味付けた▽宗派として戦闘機を献納した▽天皇と、浄土宗の本尊である阿弥陀(あみだ)仏を同一化する教説が大きな影響を与えた――など、驚くような内容も含まれる。 中でも、天皇と阿弥陀仏の同一化については「浄土宗における戦時教学の最大の特徴」と指摘。浄土宗務所が1938年に発行した資料に記された「私達に取って 陛下は『阿弥陀』でまします」という文言を象徴的に紹介し、「『天皇の命
古都・鎌倉にある由緒正しき古寺で、住職の地位をめぐって父と息子が「骨肉の争い」を繰り広げているという。 【画像】すごい…!鎌倉の名寺で起きた「セクハラ疑惑写真」…! 江ノ島電鉄の腰越(こしごえ)駅から歩いてほど近い『満福寺』は、744年に行基が創建したと伝わる真言宗の名刹だ。歴史好きの間では、源義経が仲違いした兄・頼朝と和解するために鎌倉に向かう途中、この寺に立ち寄り、許しを得るために「腰越状」を書いた場所として知られる。 歴史の風情が残る境内には、弁慶が腰かけたと言われる石もあり、昨年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の影響もあって、今年のゴールデンウィークには多くの参拝客が訪れた。 しかし、その一方で大トラブルが起きていたのだ。 満福寺の檀家の一人がこう明かす。 「昨年、満福寺の住職はYさんから副住職を務めていた息子のTさんに替わりました。Yさんはもう80歳近くで持病も抱えていますか
恐山: 死者のいる場所 (新潮新書) 作者: 南直哉 出版社/メーカー: 新潮社 発売日: 2012/04/17 メディア: 新書 購入: 2人 クリック: 13回 この商品を含むブログ (16件) を見る 南直哉というと、このあいだキリスト教徒との対談本を読んで知った人である。 goldhead.hatenablog.com 「禅と福音」とあるように、曹洞宗の禅僧である。それも、寺の子に生まれたというのではなく、生と死の問題を追求したく出家し、永平寺で二十年修行した禅僧である。テーラワーダの僧侶すら「職業的に就職している」というようなことを言い放つ僧である。職業訓練校的に住職になるためではないサンガを作ろうとしたくらいの僧なのである。 そんな禅僧がなぜ、「恐山」なのか。経緯については本書で述べられているが、恐山菩提寺の院代(住職代理)だったからである。おれはまったく知らなかったが、恐山は
浄土真宗 おれの母の家系は浄土真宗であった。とはいえ、べつに熱心な信者というわけでもなく、お葬式になったら、決まっている浄土真宗のお寺に頼む、というていどの話である。 母はよく言った。「南無阿弥陀仏を唱えなくてもいいとすらいう浄土真宗は、すごく気楽でいいじゃないの」と。 父方の宗派はよく知らない。だが、父が親鸞を支持していたのは知っている。 父は何宗でもない、吉本隆明信者であった。だから、『最後の親鸞』などを読んで、親鸞の教えに接近していたとは思う。 おれはといえば、鈴木大拙の禅の話から、ちょっと横に逸れた浄土真宗の話に興味を持ち、やはり吉本隆明の『最後の親鸞』や『信の構造』、『悪人正機』などを読んで、「おれは浄土真宗かな」と思うていどの信仰か、信仰でないかの思いを持っている。 信仰か信仰でないか 浄土真宗における、信仰か信仰かでないかというのは、なんとも言えない話である。 ここからは、お
暁烏敏 暁烏 敏(あけがらす はや、1877年〈明治10年〉7月12日 - 1954年〈昭和29年〉8月27日)は、真宗大谷派の僧侶・宗教家。院号は「香草院」。法名は「釈彰敏」。愛称は「念仏総長」。 真宗大学在学時から俳句を作り、号は「非無」。高浜虚子に師事し、詩や俳句も多く残した。加賀の藤原鉄乗、高光大船と暁烏敏を合わせて、加賀の三羽烏という[1]。 経歴[編集] 1877年(明治10年)、石川県石川郡出城村字北安田(現白山市北安田)の真宗大谷派の明達寺に長男として生まれる[2]。父の暁烏依念(えねん)は説教使として知られた人物であった。母の千代野も、清貧に甘んじた夫に尽くし、敏の教育に熱心な母であった。 1887年(明治20年)、父依念と死別[2]。松任高等小学校を卒業した後、金沢にあった共立尋常中学校(東本願寺と石川県が出資し設立した学校)に進学。 1893年(明治26年)、共立尋常
前編では埼玉県内のベトナム寺を中心に紹介したが、後編では関西地方のベトナム寺とベトナムタウンを見ていこう。 かつてインドシナ難民の定住促進センターが姫路市にあった関係なのか、関西圏には1980~90年代に形成された古いベトナム人コミュニティがいくつも存在する。近年はそこにニューカマーのベトナム人が結びついて、新しいベトナムタウンを作る例が多いようだ。(全2回の2回目/北関東編から続く) 「翻訳されない」ベトナム街の寺《大阪府八尾市:福光寺》 大阪府八尾市もそんな街のひとつである。たとえば2021年5月に私たちが市内で立ち寄ったベトナム料理店「DONG AN」は、元難民の夫婦が経営する店だ。彼らはカトリックで、1983年にニャチャンの沿海部から船で脱出したらしい。かつてベトナムの社会主義体制を嫌って亡命した人には、旧南ベトナムの体制関係者とカトリックの信者が特に多かったのだ。
新卒でも中途採用でも就職活動で最大の難関は面接だろう。しかも時に想定外のトンデモ質問が飛んできて、冷や汗をかくことも。そんなド変化球で試されたとき、どう答えるのが正解なのか。アップルやアマゾンなどテック大手の面接で尋ねられる質問を例に、スマートな打ち返し方を見てみよう。 ライバルたちと差をつけるには これまでに就職の面接を数多く受けてきた人ならわかるだろう。聞かれそうな質問への答えを事前に書きとめて準備しておけば、だいたい事なきを得るということを。 ところが、なかには不意打ちの質問もある。場合によっては、その仕事とはとくに関係なさそうな、きわめてヘンテコな質問に答えるよう求められることも。 そうした質問は、プレッシャーの中でこちらがどう反応するか、どんなクリエイティブな考え方をするかを見定めるためのものだ。
かつて敗れていったツンデレ系サブヒロイン @wak Twitterを見ないで密教の本を読んだりして休日を過ごしていたら、「公害企業主呪殺祈祷僧団」という熱い団体がいたのを知った。法律家の見解も良くて、嫌がらせとしてもハイレベルだ。 pic.twitter.com/Lis1jD07ko 2021-12-18 20:40:39 リンク Wikipedia 呪殺祈祷僧団 呪殺祈祷僧団(じゅさつきとうそうだん)とは、以下の2つの団体のことを示す。以下ではいずれについても記載する。 1970年(昭和45年)9月に日本の公害問題に対し、公害の原因となる汚染物質を垂れ流す工場・企業の経営者を、密教の呪術によって地獄に連行すると宣言して、まず、四日市ぜんそくの発生源となった加害企業の三重県四日市市の四日市コンビナートを訪れて、続いてイタイイタイ病の発生源となった岐阜県の神岡鉱山やイタイイタイ病の鉱毒汚染の
最澄と徳一 仏教史上最大の対決 (岩波新書 新赤版 1899) 作者:師 茂樹 岩波書店 Amazon 仏教というより高度な論理学の本を読んだような、不思議な読後感が得られる一冊だった。本書『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』は、タイトル通り最澄と徳一の論争について解説してるが、ここでの争点は大ざっぱにいうと「人は誰でもブッダになれるのか」だ。最澄は一乗説(=衆生はいずれ皆ブッダになる)、徳一は三乗説(=ブッダをめざす道である菩薩乗と阿羅漢をめざす声聞乗・独覚乗が併存する)の立場である。大乗仏教の究極目的は「ブッダになること」なので、人がブッダになれるかどうかは一大問題だ。だからこの点について見解の相違があれば、大論争に発展する。 最澄と徳一の論争を理解するためには、最低限の仏教思想史をおさえておく必要がある。このため、本書の「はじめに」では最澄の時代にいたるまでの大乗仏教思想史が簡潔に説明
展覧会「最澄と天台宗のすべて」のサイトより 『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』(岩波新書)という本が発売前から話題を呼んでいた。天台宗を開いた最澄は、真言宗の開祖・空海とともに平安仏教を代表する存在として教科書にも登場するが、法相宗の徳一は一般的な知名度はあまりない。 なかなかマニアックなトピックにも思えるこの2人の論争について、なぜ今、注目が集まっているのか。思想的に相容れない最澄と徳一が5年の歳月をかけて大量の応答を行ったこの論争には、今日の民主主義、多宗教時代に顧みるべき現代的な意義があるというが、果たしてそれはどんなことなのか。本書を著した仏教研究者の師茂樹氏(花園大学文学部教授)に訊いた。 師茂樹著『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』(岩波新書) 徳一が主流派で、最澄は新興勢力だった ──一般的には最澄のほうが有名で徳一は知られていないけれども、当時は徳一の所属する法相宗のほうがメ
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