【読売新聞】 現代アメリカを代表する作家のポール・オースターさんが4月30日、肺がんの合併症のため、ニューヨークの自宅で亡くなった。77歳だった。米紙ニューヨーク・タイムズが伝えた。 米ニューヨーク・ブルックリン育ち。コロンビア大卒
【読売新聞】 現代アメリカを代表する作家のポール・オースターさんが4月30日、肺がんの合併症のため、ニューヨークの自宅で亡くなった。77歳だった。米紙ニューヨーク・タイムズが伝えた。 米ニューヨーク・ブルックリン育ち。コロンビア大卒
JRAは11日、6日の阪神競馬7Rで落馬負傷した藤岡康太騎手=栗東・フリー=が10日午後7時49分に死去したと発表した。35歳だった。落馬後は意識不明の状態が続き、入院加療していた。 藤岡康太騎手は、1988年12月19日、滋賀県出身。祖父が厩務員で、父が健一調教師、兄が佑介騎手という家庭に育った。07年3月に栗東・宮徹厩舎から騎手デビュー。競馬学校の23期生で同期には浜中俊、丸田恭介、田中健、荻野琢真、宮崎北斗、草野太郎、大下智(現調教助手)、池崎祐介元騎手がいる。 07年3月3日の中京1Rで父の管理するヤマニンプロローグに騎乗し、初騎乗初勝利を達成。ルーキーイヤーはJRAで24勝を挙げ、中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞した。09年にジョーカプチーノのファルコンSで重賞初制覇を果たすと、同年のNHKマイルCで10番人気の低評価を覆してG1初制覇を達成した。 その後もコンスタントに白星を
2024年4月11日、元横綱の曙太郎さんが、4月に心不全で亡くなったことが分かりました。 告別式は家族のみの密葬で行われるというこです。54歳でした。 曙太郎さんは7年前に北九州市で倒れて以来、闘病生活を続けていました。曙さんは、東京近郊の病院に入院していたということです。 全ての画像を見る アメリカ・ハワイ出身の曙さんは1993年に第64代横綱になり、人気を博しました。 ■元横綱 来歴 曙さんはアメリカ・ハワイ出身。 昭和63年3月場所で初土俵を踏み、203センチを超える長身から繰り出す突きと押しで人気を博しました。 平成2年9月場所で新入幕を果たし、平成4年7月場所で新大関 に。そして、平成5年3月場所で外国人として大相撲史上初の第64代横綱となりました。 若貴兄弟とライバル関係を築き、1990年代の空前の相撲ブームをけん引しました。 生涯戦歴は654勝232敗181休(78場所)。
2024年3月29日(金)、作家・ゲームデザイナーの山本弘氏が誤嚥性肺炎により68歳でご逝去されました。葬儀は近親者で営みました。 代表作に、第28回吉川英治文学新人賞ならびに第27回日本SF大賞候補となった『アイの物語』のほか、『神は沈黙せず』、〈MM9〉〈BISビブリオバトル部〉シリーズなどがあります。また、「と学会」初代会長をつとめ、〈トンデモ本〉ブームの先駆者としても知られています。 山本氏は1956年、京都府生まれ。京都市立洛陽工業高等学校卒業。78年、「スタンピード!」で第1回奇想天外SF新人賞佳作を受賞。88年『ラプラスの魔』で本格的に小説家デビューを果たします。その前年に設立されたクリエーター集団「グループSNE」の一員として、テーブルトークRPG〈ソード・ワールド〉の立ち上げに参画、〈サーラの冒険〉シリーズをはじめとする〈ソード・ワールド〉に基づく小説の執筆、テーブルトー
Xの投稿では、イラストを添えた書面をアップ。「いのまたむつみは2024年3月10日永眠いたしました」とつづり、「あまりに突然の事で…描きかけのラフもあり、いまも天国で描いているでしょう。だいすきな猫たちに囲まれて、かわいい、強い瞳のキャラたちをどんどん生み出しているはずです」と思いを馳せた。 「いのまたむつみを愛して応援していただきました全ての方々に心から感謝を申しあげます。そしてこれからも変わらず愛していただける事を願いまして、ここに謹んでご通知申しあげます」と謝意を記し、「葬儀は近親者のみで執り行いました。生前の本人の意向により、ご弔問・ご香典・ご供物・ご献花その他はご辞退申しあげます。何卒ご理解を賜りますよう宜しくお願い申しあげます」と呼びかけた。 バンダイナムコフィルムワークスは「新世紀GPXサイバーフォーミュラ シリーズのキャラクター原案を手がけていただいた いのまたむつみ先生が
演歌歌手八代亜紀さんが昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため死去していたことが9日、分かった。八代さんの公式サイトで発表された。73歳。熊本県八代市出身。 膠原病の一種で指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎を発症し、昨年8月に活動休止することを、公式サイトで発表していた。 所属事務所によると、8月下旬に本人から体調不良を訴える報告があり、複数の病院で検査を行い「膠原病」と診断され、闘病を続けていた。 活動休止について八代さんは「少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね。また皆さまとお会いできる日を楽しみに頑張ります!」とコメントしていた。 1971年(昭46)にデビューし、73年に出世作「なみだ恋」を発売。その後「愛の終着駅」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「舟唄」など数々のヒット曲をリリー
蓮見さんは1942年12月22日生まれ、中国・大連出身。1971年に宝島社の前身のJICCを設立(93年に株式会社宝島社に社名変更)。74年に月刊誌『宝島』を創刊により出版事業を展開し、76年の「別冊宝島」シリーズ、87年の『田舎暮らしの本』などの創刊を経て、89年に『宝島』からスピンオフさせるかたたちで日本初のストリートファッション雑誌『CUTiE』を創刊し、ファッション雑誌市場に参入した。 その後、『smart』『SPRiNG』など当時のカウンターカルチャーだったストリートファッションをテーマにした雑誌を次々と生み出し、現在は10~60代までのファッション誌11誌をはじめ、美容雑誌やモノ雑誌など計15誌を刊行。2009年にはファッション雑誌シェアNo.1企業となり、現在まで13年連続で1位をキープ。10年に女性ファッション誌『sweet』が発行部数100万部を達成した。 文芸の分野では
突っ張り一本やりの気っぷのいい相撲と、甘いマスクで一世を風靡(ふうび)した元関脇寺尾の錣山親方(本名・福薗好文)が17日、東京都内の病院で死去した。60歳だった。父が名関脇、3兄弟も関取で逆鉾との兄弟同時関脇も達成。通算出場など、数々の出場回数記録で歴代10傑入りするなど、116キロの細身の体ながら“鉄人”の異名も誇った。以前から不整脈など心臓に持病を抱えていた。先月の九州場所も全休して約2カ月間入院。その後退院し、復帰に向けてリハビリを続けてきたが、体調が急変した。 錣山親方の危篤の報を受け、弟子の小結阿炎(29)らは急きょ、冬巡業が開催されていた関西から帰京した。入院していた都内の病院で錣山親方は、関係者らにみとられたようだ。先月の九州場所も不整脈で入院し休場していた。昨年九州場所で愛弟子の阿炎が、錣山部屋史上初の幕内優勝を果たした時も心臓の病気で入院中だった。「心臓で入院しているのに
KANさんは福岡県出身で、都内の大学を卒業後、1987年にアルバム「テレビの中に」でデビューしました。 自身が作詞作曲を手がけ、1990年にアルバムの収録曲として発表した「愛は勝つ」は躍動感あるメロディーと、どんな困難に直面しても信じることを呼びかけ、最後に愛は勝つと励ます歌詞が大きな共感を呼び大ヒットとなりました。 音楽ソフトの売れ行きを調査しているオリコンによりますと、「愛は勝つ」の売り上げはこれまでにCDやレコードなどで201万枚余りとなっています。(オリコン調べ 2023年11月20日現在) また、「愛は勝つ」は東日本大震災で被災した人たちを応援しようと開かれたイベントで合唱されるなど災害からの復興を願う応援ソングとしても親しまれています。 KANさんは公式ホームページで、ことし2月に「メッケル憩室がん」と診断されたことを公表し、演奏活動を休止して療養生活を送っていると発表していま
JRAは9月12日、2006年のオークスと秋華賞を制し、同年度のJRA最優秀3歳牝馬と最優秀父内国産馬を受賞したカワカミプリンセスが起立不能となり、11日に死んだことを発表した。20歳だった。現役引退後は、北海道新ひだか町の三石川上牧場で繁殖牝馬としてけい養され、繁殖牝馬から引退後も同牧場で余生を過ごしていた。 三石川上牧場の上山浩司代表は「最後まで元気で気丈な馬でした。また、現役引退後もファンの皆様からたくさんのプレゼントをいただくなど、とても人気のある馬でした。これまで応援どうもありがとうございました」とコメントした。 現役時代は栗東の西浦勝一厩舎に所属。2006年2月に新馬勝ちし、君子蘭賞、スイートピーSと3連勝で臨んだオークスを3番人気で勝って牝馬クラシックで重賞初制覇。続く秋華賞も制して、デビューから本田優現調教師の手綱で無傷5連勝で牝馬2冠に輝いた。その後は勝ち星に恵まれなかっ
若手女性大食いタレントが死去 昨年12月に拒食症とアル中で入院「ガンマGTP2700」 4枚 大食いタレントの「もえあず」こともえのあずきが29日、ツイッターで、大食いタレントとして活躍した高橋ちなりさんが死去したことを報告した。 テレビ東京「デカ盛りハンター」の公式ツイッターも、「ご冥福をお祈りします」とつづった。 もえあずは「大食い仲間の高橋ちなりちゃんが2023年7月21日、永遠の眠りにつきました」と記し、「ちなりママのご意向で私からお伝えすることになりました。きっと今ごろ天国で美味しく食べて飲んでいるはずです ちなりんも読んでくれると思うのでお別れのメッセージを送ってあげてください」としのんだ。 高橋さんは、テレ東「元祖!大食い王決定戦」などで活躍。YouTubeでもナポリタン10人前を食べる動画など、大食いぶりを誇っていた。ツイッターでは5月17日に金沢に旅行した様子をつづったの
京都・太秦の東映京都撮影所を拠点に活躍し、63本もの監督作品を生むなど、京都映画界の顔だった映画監督、中島貞夫(なかじま・さだお)さんが11日、死去したことが分かった。88歳。千葉県出身。自宅は京都市内。密葬は近親者で行った。 東京大文学部卒業後、1959年に東映入社。京都に配属となり、助監督として経験を積んだ。64年、女忍者ものの「くノ一忍法」で監督デビューした。 従来の明朗快活な東映の時代劇とは一線を画す路線を開拓。松方弘樹さん主演の現代劇「893愚連(ぐれん)隊」(66年)で日本映画監督協会新人賞を受けた。 東映京都のエースとして硬軟多彩な監督作を誇り、菅原文太さん主演「まむしの兄弟」(71年~)、「沖縄やくざ戦争」(76年)、「日本の首領(ドン)」(77年~)といったヤクザ映画、「木枯(こがら)し紋次郎」(72年)や「真田幸村の謀略」(79年)などの時代劇、宮尾登美子さん原作「序の
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