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映画と文学に関するgoldheadのブックマーク (6)

  • 『ニセモノが、演じていくうちに「ホンモノ」になっていく物語』いろいろ

    小悪党の詐欺師だったり、偶然間違えられたりとかいろいろありますが、それがいつの間にか責任感や人格、能力でも『ホンモノ』になっていくという、そんなお話について。

    『ニセモノが、演じていくうちに「ホンモノ」になっていく物語』いろいろ
    goldhead
    goldhead 2020/05/14
    『ギャラクシー・クエスト』は名作よな。『ザ・マジックアワー』なんかもこれに入るかな。
  • 三島由紀夫の「悪趣味」 - ネイビーブルーに恋をして

    三島由紀夫にまつわる映画について何度か語ってきました。 「いわゆる三島由紀夫的なもの」のヴェールを剥いでいくような書きぶりだったので、 もしかしたらお読みになった方は、わたしが太宰治に対して持っているような否定的な見方を、 三島に対しても持っていると思われたかもしれません。 しかし、三島の質を知ろうとすることと嫌悪を感じることは決してイコールではありませんでした。 むしろ、世間一般の三島に対するイメージだけでは語れない部分が、磁石のように意識を吸い寄せ、 かれに関する映像を探し出してい入るように眺める日々が一時続きました。 愛憎といっては大仰すぎますが、決して敬愛したり心酔したくなるような高潔な人物ではなく、 むしろ「悪趣味」と言っていいほどの臭みが漂うその存在に、 注目せずにはいられない「何か」を感じてしまったのです。 同じ理由で太宰は否定するのに、何故三島には魅かれるのか。 太宰の

    三島由紀夫の「悪趣味」 - ネイビーブルーに恋をして
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    goldhead 2012/06/04
    DVDパッケージは横尾忠則っぽいがどうなんだろ。
  • 小説と土地 - トンボロ

    映画および原作小説『海炭市叙景』をきっかけに、小説が書かれる舞台について考えをめぐらせた。ある土地に暮らす人々の群像劇を書くためには、先に、その土地についての描写が必要となる。佐藤泰志の出身地である函館をモデルとした海炭市には、炭鉱があり、港があり、市電が走っている。海峡に突きでた山は、かつて海に浮かぶ孤島だった。市街地はその島へと続く砂嘴の上にある。このような地形は「陸繋砂洲」または「トンボロ」と呼ばれる。 今、満夫が立っている場所は砂嘴だったのだそうだ。何千年か何万年かは知らない。とにかく想像もつかない厖大な年月をすぎて、砂や石が海底に堆積し、陸地としての姿をあらわし、海の中にぽつんと孤立していた島と繋った。その島は、今ではなだらかでふっくらとした山であり、砂嘴の上に作られた海炭市の、ほとんど、どの通りからも眺めることができる。 (佐藤泰志『海炭市叙景』 第一章 3 「この海岸に」)

  • 1990年代から2010年代までの物語類型の変遷〜「本当の自分」が承認されない自意識の脆弱さを抱えて、どこまでも「逃げていく」というのはどういうことなのか? - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    ■越境する知〜ジャンルを超えていろいろなモノを摂取することの喜びを知る ひさしぶりにこのブログの義に戻って「一つの視点から様々なジャンルに共通するモノを」取りだして楽しむ方法を紹介する、ということをしてみたいと思います。海燕さんのオフ会で何か喋ろうと考えていたのですが、せっかくなので、ブログを書く上でのもともとのコンセプトに帰ってみたいと思います。 僕は数年前に、このブログを好きな映画を紹介しようと立ち上げました。仕事が忙しくなったり子どもが生まれたりで、映画を見る余裕がなくなったので、通勤時間に読む漫画小説の感想にシフトしてしまいましたが、もともとは、媒体やジャンル、世代、年代を超えて、自分にとっておもしろいと感じるものの「共通性」という視点を出すことで、「より物語を楽しむため」のヒントになれば、と思って、そのコンセプトのもとに文章を書いています。 いろいろな「そんな小難しいこと考え

    1990年代から2010年代までの物語類型の変遷〜「本当の自分」が承認されない自意識の脆弱さを抱えて、どこまでも「逃げていく」というのはどういうことなのか? - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
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    goldhead 2010/05/24
    知的な教養とかいうフィルターが欠落しているせいか、こういうふうになにかの作品を見れたためしがない。人のものを読めば「ああそうなの」とか思っても、自分自身で知的な快楽とやらを感じるのは無理そう。
  • マルケス作品映画化に批判 「児童買春を美化」と市民団体 - MSN産経ニュース

    南米コロンビアのノーベル文学賞作家ガルシア・マルケス氏の小説をメキシコの制作会社が映画化しようとしたところ、小児性愛や児童買春を美化することになるとして市民団体が批判。制作者側も「事前検閲だ」と反発し、撮影が延期される事態になっている。 原作の「わが悲しき娼婦たちの思い出」は、90歳の誕生日に娼家(しょうか)の女主人に14歳の少女を紹介してもらった男性の恋の物語。地元メディアなどによると、市民団体は映画化されれば、いずれはテレビでも放映されることになりよりも影響力が大きいと懸念。犯罪の教唆・擁護を禁じた刑法に違反するとして5日、検察当局に告発した。 これを受け、映画制作を財政支援する予定だったメキシコ中部プエブラ州当局が支援を取りやめたため、同州で26日に始まる予定だった撮影は延期された。(共同)

    goldhead
    goldhead 2009/10/19
    じゃあ「無垢なエレンディラと無情な祖母の悲惨な物語」を映画化しよう……って、今調べたらもう映画になってんのな。
  • 高橋源一郎が映画「靖国」を斬る - 本と奇妙な煙

    刀鍛冶の刈谷さんに監督は質問するのだが 不満 「小泉参拝をどう思う」と逆質問。 訊問調書なんか作っちゃダメだ 他人とコミュニケートすること 軍服で靖国に集う人達 文学界六月号『ニッポンの小説』。 高橋源一郎が映画「靖国」を表現として駄目だと斬っている。(「靖国」で辿り着いて、なおかつ高橋源一郎を知らない人の為に説明すると、高橋さんは靖国とか九条改正には反対の立場) 1.古い、と感じた。 2.狭い、と感じた。 3.歴史、というものは、そんなにつまらないものなのか、と感じた。 7.自分に関係ないものを見ないことにしている人の視線を感じた。その結果、世界のほとんどは、自分とは無関係になるのに。 (略) 9.これらすべてをまとめていうと、自由ではない、と思った(感じた)ことになる。これを作った人は、おそらく、漠然と、「自由」のようなもの、を求めて作ったのではないか。ところが、できたものは、その人が

    高橋源一郎が映画「靖国」を斬る - 本と奇妙な煙
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