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社会と昭和に関するgoldheadのブックマーク (9)

  • 同じ40代で「昭和な夫」と「令和な夫」がいるのはなぜなのか(田房 永子)

    同じ40代でも、「夫は外で働き、は家庭を守るもの」という“昭和な結婚観”を持つ男性がいる一方で、「家事育児は夫婦で協力してやるもの」という“令和な結婚観”を持つ男性もいる。両者を分かつものは何なのか、女性の生きづらさをさまざまな側面から描いてきた漫画家でライターの田房永子さんが考えた。 根強く残る「昭和な結婚観」 Twitterを見ていると、毎日のように40代男性による結婚観のツイートが流れてくる。 婚活中の男性が「結婚したい」と熱く語るその理由が「掃除しなくていい、洗濯もしてくれる、帰ったらごはんがある、そんな生活を早く送りたい」だったり、「産後、育児に一切協力してくれなくてそれが未だに許せない」とから言われた男性が「家事育児に専念させてくれる夫、外で稼いでくる夫に対する敬意はないのか」と逆に嘆いていたり。それらのツイートにはたいてい、「まだこんなことを言うやつがいるなんて」「時代錯

    同じ40代で「昭和な夫」と「令和な夫」がいるのはなぜなのか(田房 永子)
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    goldhead 2022/08/25
    結婚もできない安月給で過酷な労働に耐え、一人暮らしにつかれた人間の愚痴なのでは? 結婚願望ではなく>"「掃除しなくていい、洗濯もしてくれる、帰ったらごはんがある、そんな生活を早く送りたい」"
  • 【第49回】人が死ぬこと|遠い地平、低い視点|橋本 治|webちくま

    西城秀樹が死んだ。六十三歳だった――というニュースを聞いたら、朝丘雪路が死んだ、星由里子が死んだというニュースも続いて、テレビの『徹子の部屋』は追悼番組が立て続けになった。なんでこんなに人が死ぬんだろうと思ったら、平成三十年の五月は、平成が終わる「最後の一年」に突入した時期だった。今上天皇の退位はあらかじめ決まっていて、なんとなく平成は自動的に終わるもんだと思っていたけれど、人が立て続けに死んで行くニュースに接して、改めて「あ、一つの時代が終わるんだ」と思った。 七年前、東日大震災が起こった二〇一一年にも人が死んだ。有名人が立て続けに死んだというのではなくて、年老いた親の世代が死んで行った。私の父親が死んだ。友人の父親、あるいは母親が死んだ。やたらと葬式の通知、年賀状辞退の通知が届いた。「なんか、今年葬式多くない?」と友達に言ったら、「多いよね」という答が返って来た。 意外と人は「時代の

    【第49回】人が死ぬこと|遠い地平、低い視点|橋本 治|webちくま
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    goldhead 2019/01/30
    "平成の三十年は不思議な時間だ。多くの人があまり年を取らない。"
  • なんとなく、反体制…現代につながる「1970年代の呪縛」とは何か(堀井 憲一郎) @gendai_biz

    何度もよみがえる左翼思想 小林秀雄の初期評論を読んでいると、「左翼思想」が大きな影響力を持っていた昭和初年の論壇の空気が伝わってくる。 『様々な意匠』や『Xへの手紙』では、マルクス主義思想や唯物論に強く感化されている当時の知識人の存在と、彼らとはしっかりと距離を置こうという小林秀雄の強い意志をひしひしと感じる。 まわりはすべて「マルクス思想大好きちゃん」ばかりという空気が充満するなかで、自分の吸える空気だけを選んで呼吸しているような、そういう文章に見えてくる。自分の感覚にだけ誠実に書こうというスタイルは、おそらくそのマルクス主義思想に囲まれた状況で生み出されたのだろう。 昭和初年(1920年代後半)には、左翼思想は知識層に強く支持されていたのだ。 昭和10年代の弾圧時期を越え、昭和20年の敗戦占領下で広く蔓延していった。 それは1960年安保(昭和35年安保)、1970年安保(昭和45年安

    なんとなく、反体制…現代につながる「1970年代の呪縛」とは何か(堀井 憲一郎) @gendai_biz
    goldhead
    goldhead 2019/01/30
    こういうのはその人が育った環境によってずいぶん景色が違うもの……だからこそ、いろんな人がそれぞれに書き残してほしい。
  • 流行語大賞の「メディア陰謀説」は本当か

    今年も「ユーキャン新語・流行語大賞」が発表された。2014年の大賞は「集団的自衛権」と「ダメよ~ダメダメ」。マスメディアでも、ネットメディアでもかなり取り上げられたので、知っている人も多いだろう。もっとも、この賞には批判の声もある。「所詮、マスメディアの陰謀ではないか?」「そもそも、流行っていたのか、当に?」「知らないよ、そんな言葉」などだ。私も正直なところ、そう思っていたこともあった。 「もう流行語なんて生まれない」と言われた時代に始まった 常見 今年は「ユーキャン新語・流行語大賞」の授賞式、パーティーの会場に初めて伺いました。 清水 いかがでしたか? 常見 率直に「昭和」と「平成」を両方感じました。その間、といいますか。新しい言葉が周知されて、時代が更新されていくこと、「ユーキャン新語・流行語大賞」を受賞した言葉に「平成」「新しい時代」を感じました。 一方で都内の豪華な会場、東京會舘

    流行語大賞の「メディア陰謀説」は本当か
    goldhead
    goldhead 2014/12/25
    "結局僕らは「ベタ」なものが大好きだし、「昭和」をやめられないのですね"
  • 教室の中で、貧困が見えない時代。 - スズコ、考える。

    きっかけは、私が役員をしている学童保育の指導員さんとの世間話の中でした。 その指導員さんは小学校の先生をリタイアして指導員をされているおばあちゃん先生で、最近のこどもたちの傾向について話している中で「最近の子はちょっとしたものをあげても喜ばないのよね」とこぼしておられました。 うちの学童保育では誕生会やクリスマス会など月1回くらいのペースでお楽しみ会を催してくれていて、そのときにこどもたちに鉛筆などの文房具や小さなおかしが景品としてもらえるゲームがあったりします。そのときに、最近のこどもたちはその景品としてもらったモノを大事にせずにそのへんに放ったらかして遊んで、下手したら忘れて帰ってしまう。昔の子は大事に大事に持って帰っていたのに、と。 なんでなんでしょうね、と先生がおっしゃるので、そこからいろいろと考えました。 私が思いついたことのひとつは、小さな弟妹がいる子が少ないことです。我が家に

    教室の中で、貧困が見えない時代。 - スズコ、考える。
  • 笠原和夫と深作欣二.pdf

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  • 悲しみの十字路・天皇誤導事件 - クタビレ爺イの廿世紀裏話(4)

    悲しみの十字路 天皇誤導事件 かって『行幸』と言う言葉があった。天皇が旅行などで外出されることを言い、天皇の行く処は行く先々で幸せがもたらされると言う意味である。そして、この行幸の際の行列の事を『鹵簿(ロボ)』と言う。 JR桐生駅前の広場を出ると、一の道が東西に伸びている。この道を右に入り、二百㍍進んだ所に、何の変哲もない十字路・末広町一丁目交差点がある。この交差点が昭和の歴史に奇妙な事件を刻んだ。そして一人の人間の人生を狂わせた。1934年の事である。 1934年(昭和 9年)11月 16 日、その日、町は畏れと緊張、喜びと期待と言う相反する二つの空気に包まれていた。桐生市民たちは、度重なる予行演習を繰り返し、半年も前からこの日のための備えていた。天皇陛下の行幸である。鹵簿は天皇の乗る御料車を中心に八台の車で編成されていた。その鹵簿が桐生駅前を出発し、末広町一丁目交差点に向かったのは、

    悲しみの十字路・天皇誤導事件 - クタビレ爺イの廿世紀裏話(4)
    goldhead
    goldhead 2011/07/28
    "当時はこの種の事件を起こしたら責任者は責任を取って自決すると言う期待感があったので、その期待通りのことが起きたのでこの種の投書になったと思われる"
  • “便利になりすぎた平成日本” なんでも機械頼りで人間関係が希薄に…昭和はこうじゃなかった : 【2ch】コピペ情報局

    2011年06月07日21:08 一般ニュース 社会 コメント( 0 ) “便利になりすぎた平成日” なんでも機械頼りで人間関係が希薄に…昭和はこうじゃなかった Tweet 1:名無しさん@涙目です。(福島県):2011/06/07(火) 19:27:08.01 ID:FjVXII4V0● 便利になりすぎた日 手間をかけることと無駄なことは違う 1980年代にはいって、カラーテレビの普及などにともなう家庭の電力使用量の変化を 支えてきたのが原子力発電だった。だが、その原発も「絶対安全」ではあり得なかった。 大震災の発生と続く原発事故によって、これまで無尽蔵のように電気を使って何の疑問も 感じてこなかった生活を、いま、見直さざるを得なくなっている。 そうして振り返ってみると、あまりにも急速に進んだ暮らしの電化によって、かつてなら 当たり前だった多くの光景が、日常から消え去っ

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    goldhead 2011/06/09
    荘子のはねつるべのエピソードの昔から言われ続けたことだろうが、情緒的な面より雇用問題としてどうなんだという気はする。
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    聖蹟桜ヶ丘へ 今年度の授業が全て終了した。最後の授業はテスト返却とその確認作業の後は特に何をしろとも言われていなかったので、『耳をすませば』の後半、お姉さんと雫が言い争いをする場面を生徒と皆で見た。 この場面。あの場面、お姉さんは雫に「今しなきゃいけないことから逃…

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    goldhead
    goldhead 2009/08/26
    ここに描かれているようなおっさんは、今のおっさんのさらに一つ上の世代のような気がするが、そもそも何歳から何歳までおっさんかわからない。
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