エロカルチャー 2009年07月28日 『銭』(鈴木みそ著、エンターブレイン発行)は、死にかけちゃった男のコが浮遊霊となり、出会った浮遊霊仲間とともに、この世の中の「カネの流れの仕組み」を覗き見ていく話である。というと突拍子もない話に聞こえるかもしれないし、浮遊霊とかいう設定にひっかかりを感じる人もおられるかもしれないが、もし立ち読み可能な本屋さんやマンガ喫茶に行く機会があれば、ちょっと試しに数ページでいいからめくってみて欲しい。浮遊霊うんぬんがふっとぶほどの「銭」の情報量に圧倒されるはずだ。 しかも、その「銭」の流れはうまいこと現代のツボを突いていて、「カフェを起業するときの金勘定の流れ」や「メイド喫茶の値段」、「ペットブリーダー」「ホスト」「葬式」と誰もが一度は「実際内部で何がどーなって、あの値段になってるんだろう?」と思ったことのあるようなネタが満載。しかも「そこまで描くか!?」とい
1968〈上〉序章より一部抜粋 「感動しました。とてもすばらしいです。でも私には何もないの。それでは闘ってはいけないのでしょうか?」 この言葉は一九六六年ごろ、一人の女子学生が発したものである。ブント(当時の左翼政治組織であるセクトの一つ)の活動家の三上治が、新宿の喫茶店で女子学生二人に、六〇年安保闘争に参加したことなどを「いい気になって話していた」ときのことだった。 本書は全共闘運動をはじめとした「あの時代」の若者たちの叛乱、日本の「一九六八年」を検証する。その目的は、過去の英雄譚や活劇物語として「一九六八年」を回顧することではなく、あの現象が何であったかを社会科学的に検証し、現代において汲みとれる教訓を引きだそうとすることである。そして本書の最後には、冒頭の言葉に、もう一度立ちもどることになろう。 「あの時代」をとりあげることについて いまこの時代にあって、「あの時代」の若者たちの叛乱
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