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将棋と人に関するh5dhn9kのブックマーク (6)

  • 内藤國雄九段「真剣師は真剣の道ではプロであり、その土俵で戦ったのではプロ棋士もカモにされるのである」

    将棋世界1992年8月号、内藤國雄九段の連載エッセイ「真剣勝負の話」より。 宮武蔵は一生の間に50数回の決闘をし、敗れることなしと自ら語っている。 そのうち幾度かは木刀や薪、船の櫓などいわゆる真剣でないものも用いている。しかしそれで相手を叩き殺しているから真剣勝負の名にはじない。真剣勝負とは生命を賭けた勝負のことで当の真剣、つまり切れる刀を用いるかどうかは問題でない。 以前、ある雑誌社が全国のアマ将棋強豪に「将棋が強くなる方法」についてアンケートをとったことがある。なかに「真剣をすること」という回答があった。武士の真剣勝負は命を賭けることだが、将棋の場合は金銭を賭けることである。金銭が賭けられると真剣さが加わるという意味合いから、この言葉が使われるようになったものと思われるが、正しい由来はつかめない。 この真剣の意味は将棋だけのものらしく、囲碁や花札などでは用いられていないようだ(因み

    内藤國雄九段「真剣師は真剣の道ではプロであり、その土俵で戦ったのではプロ棋士もカモにされるのである」
  • 『自分の腕を切り落とし、目を抉り出し、頭を叩き潰し……』 人生から将棋を消し去ろうとした瀬川晶司は、なぜ再びプロ棋士を目指したのか?

    一度、夢が終わったことがある将棋棋士がいる。瀬川晶司五段。プロ棋士の養成機関である奨励会に中学生で入会するも、「26歳の誕生日を迎えるまでに四段昇段できない者は退会」という年齢制限の壁に阻まれ、プロへの道を閉ざされた人物だ。 それまでの人生すべてを懸けて目指してきた夢を終わらせた瀬川さんは、しかし今、プロ棋士として盤上での戦いの日々を送っている。史上初、サラリーマンからプロ入りした異色の棋士に「好きなことを仕事にする人生」について聞いた。 瀬川晶司五段 自分はプロになれるという「根拠のない自信」 瀬川さんが奨励会に入会したのは1984年、14歳のときだった。8年後、22歳でプロへの最終関門である三段リーグに入り、26歳の誕生日を迎えるまで、半年のリーグ戦を8回戦えるチャンスを得る。 「三段リーグに初めて参加するときは、みんなワクワクしていると思います。自分は、自分だけはプロになれると思って

    『自分の腕を切り落とし、目を抉り出し、頭を叩き潰し……』 人生から将棋を消し去ろうとした瀬川晶司は、なぜ再びプロ棋士を目指したのか?
  • 音をあげない。でも力を入れすぎない。常に自然体。 棋士・豊島将之 28歳。 - ライブドアニュース

    3月に行われた伝説の順位戦6者プレーオフ。最終的に羽生竜王が挑戦権を得たものの、間違いなく主役はこの男だった。自らの敗戦から生み出してしまった地獄のトーナメント。久保利明王将、佐藤康光九段、広瀬章人八段と並み居るA級棋士たちを短期間で次々と下し、あわやという所まで迫った。 そんなハードスケジュールにも決して疲れ色を見せない。その様子はインタビュー時も変わらない。とにかく自然体だ。淡々と質問に答えていくさまは、普段の豊島将棋そのものだ。第四回は、「逆襲」というテーマから、ほど遠い内容かもしれない。ただそれこそが「彼らしさ」を、最も体現しているのではなかろうか。(編集部) 豊島将之(とよしま・まさゆき) 1990年生まれ。愛知県一宮市出身。桐山清澄九段門下。99年、6級で奨励会入会。2007年、四段。10年、王将戦史上最年少の20歳で七番勝負登場。以後、タイトル戦登場5回。14年、電王戦に登場

    音をあげない。でも力を入れすぎない。常に自然体。 棋士・豊島将之 28歳。 - ライブドアニュース
    h5dhn9k
    h5dhn9k 2018/05/31
    良い意味で[面白くない]。本当に実直な人やなw
  • 自分で考え自分で答えをみつける。ライフ・イズ・将棋。棋士・永瀬拓矢 25歳。 - ライブドアニュース

    サッカー田圭佑選手が「プロフェッショナル=ケイスケ・ホンダ」だと語っていたが、定着するにはまだまだ時間がかかるだろう。ただ将棋界で「努力」という単語で、誰を想像するかと問われたら、10人中10人が「永瀬拓矢」だと答える。プロ棋士のみならず、将棋に詳しい者なら誰もがだ。 そんな「努力を続ける才能」を持つ永瀬七段でさえ、羽生竜王、渡辺棋王という百戦錬磨の強者に阻まれ、未だタイトルには届いていない。しかし人は至って冷静そのもので、足りない部分を分析し、明日に繋げようと再び努力を重ねている。羽生世代へのこだわり、将棋の理想的な最終型、藤井聡太七段の強さ…連載第二回は、永瀬七段ならではの独特な「将棋観」をたっぷり堪能いただきたい。(編集部) 永瀬拓矢(ながせ・たくや)七段 1992年生まれ。神奈川県横浜市出身。安恵照剛八段門下。2004年、6級で奨励会に入会。09年、四段。12年、五段。加古川

    自分で考え自分で答えをみつける。ライフ・イズ・将棋。棋士・永瀬拓矢 25歳。 - ライブドアニュース
    h5dhn9k
    h5dhn9k 2018/05/26
    この連載 面白いなぁw "ちょっと階級が低そうなので、できればもう少し上げていきたいなと。多分5年くらい「軍曹」なので。そろそろ上がってもいい頃なんじゃないかなと思ってます。"
  • 将棋:師匠の杉本昌隆七段が語る藤井聡太六段 「対局棋士、勝たれすぎ」 | 毎日新聞

    【第68期王将戦1次予選2回戦】感想戦で対局を振り返る藤井聡太六段(左)と杉昌隆七段=大阪市福島区で2018年3月8日、貝塚太一撮影 将棋の史上最年少プロ棋士で、愛知県瀬戸市出身の藤井聡太六段(15)は、今最も注目される10代の一人だ。東海地方の学生記者は師匠の杉昌隆七段にインタビューし、藤井六段の強さの理由や「プロ」の生き方を聞いた。 東海キャンパるの学生記者がインタビュー 学生記者 3月8日にあった師弟対決の感想と、メディアから非常に注目された感想を教えてください。 杉七段 非常に多くのメディアで報道していただきまして、注目される勝負というのはやはり私たちにとってやりがい、指しがいがあるものですから棋士冥利に尽きる対局でした。そして、藤井六段という自分の弟子が成長してくれて、公式戦で対局できるというのも感慨深いものがありました。同時に自分は現役の棋士。勝負にこだわりますから、悔し

    将棋:師匠の杉本昌隆七段が語る藤井聡太六段 「対局棋士、勝たれすぎ」 | 毎日新聞
  • 藤井四段を目指す子供たちを育てたい...指導者として蘇った「伝説の棋士」永作芳也の棋士人生をたどる

    永作氏は1989年、突如として日将棋連盟を「退会」。棋士の身分を捨て、将棋界から姿を消した。当時伝えられた理由は「名人になれないと悟ったから」。そんな人物が、約30年の時を経て、再び姿を見せた。今度はプレイヤーではなく指導者として...。 現役時には、烈々たる闘志を隠そうともせず、盤に向かうことで知られていた永作氏。谷川浩司、島朗、羽生善治...煌めく星のような一流棋士達と、どんな戦いを見せたのか。そして、なぜ棋士の身分を捨てたのか。還暦を過ぎたいま、永作氏はなぜ再び将棋と向き合うのか。前編に続き、将棋ライターの松博文氏がレポートする。

    藤井四段を目指す子供たちを育てたい...指導者として蘇った「伝説の棋士」永作芳也の棋士人生をたどる
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