・週休二日 週休二日が当たり前になったのは1990年代以降。 ・電話 一家に一台普及したのは1980年代半ば。それまでは隣近所に借りるのが普通。 ・一人暮らし 若者がひとりで暮らすのが当たり前になったのは1980年ごろから。 ・ペットボトル 飲み物に使われるようになったのは1995年。 ほかになにかない?
15年ほど前に、アフガニスタンではない異国にて、私はパシュトゥーン人たちのなかで、唯一の日本人として日々を過ごしたことがあります。他のアフガニスタンの民族についてはわからないけれど、パシュトゥーン人の「リアルな」考え方には、そのときに触れることができたと思っています。 「タリバンが人気歌手を殺害」のニュースを読んで、パシュトゥーンの人たちがもともと音楽をどのように捉えているのか、その日々のなかで印象的だった会話等をすこし紹介したいと思います。 ・スカッとアフガニスタン!?武勇伝として語られた叔父さんのこと。 友人の一人が語った話です。アフガニスタンのどこかの都市?にて、彼の叔父さんがバスに乗ったそうです。すると、バスでは流行歌が流れていました。敬虔な叔父さんは音楽を聴きたくないと思い、バスの運転手さんに音楽を止めるようお願いしましたが、スルーされてしまいました。それから叔父さんはどうしたか
セックスする=結婚する と言い換えるのがこの業界での常識だが、読解問題なのでそんな誤魔化しをすると理解がしづらいという現状もあるのよね たとえばこの間生徒に落窪物語のここの流れがわかりません。って真面目にきかれた部分なんだけど、意地悪な継母がロリコンスケベな叔父をけしかけて座敷牢に閉じ込めた姫様をレイプさせようとしてて、召使いたちが活躍して鍵こじ開けて脱出した。その時召使いは「継母は鍵あいてたら(部屋の鍵を継母から受け取っている)叔父がついに姫とセックスしたんやなw」って思うだろうから、そうじゃない証拠を残してから逃げるぞ。継母とキモクソ爺ざまぁwww踊って嬉しがるシーンでね。 いやもうこんなもん健全に説明すると逆に意味がわからなくなる。注釈がついてて、召使いは叔父が姫様に馴れ馴れしくするのをよく思っていない、とか書いてんだけど、それじゃあ鍵のくだりとか証拠のところとか訳わからんし、このシ
・こちらでは妻が夫の許可なくして家庭外へ出ることはあまりない。あちらの女性は夫に報せることなく好きなところに行く自由を持っている。 ・こちらの国の未婚女性は何より処女性と純潔が重視されるが、あちらの国では処女も純潔も重んじない。非処女であろうが名誉さえ失っていなければ結婚できる。 ・こちらでは普通女性が食事を作る。あちらでは男性が主に料理する。 ・こちらでは女性が酒を飲むことははしたないことと考えられている。あちらでは女性の飲酒はごく普通で、イベントごとではたびたび深酒する。 ・こちらでは財産は夫婦共有のものである。あちらの国では夫婦それぞれが自分のぶんを持っている。時には妻が夫に高利で貸し付ける。 ・こちらでは、離婚することは罪悪であるうえ、特に妻にとっては最大の不名誉でもある。あちらでは自由に何回でも離婚できる。妻がそのことで名誉を失うことはないし、いつでも再婚できる。 ・こちらでは夫
実はこの指摘は結構重要な問題を孕んでいる。元増田は二―トなのかもしれないが、的確に博物館法の矛盾点を突いている。 ブコメでは、ニート割引を認めつつ、その基準としてニートであることの証明をどのようにするかに焦点が当たっている。 こうした論点に至るのは非常に説得的で論理的だ。 ところがだ。博物館法第23条を見てほしい。 (入館料等) 第23条 公立博物館は、入館料その他博物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない。但し、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる。 博物館は原則では無料(キリッヒャアアアアアアアアアアア!!!!! 無料ですってよ! 奥さぁん!! この戦後に出たイキリ社会教育系法律は、現行では後段の留保の方ばかりが実態として現れている。 特に都会の大きな公立博物館はそうだ。 蛇足。博物館法の範疇蛇足。公立博物館とは、地方公共団体が
大阪生まれの大阪育ち、母親が商家の出だったので、季節もの縁起物とは縁の深い育ち方をした。大寒(追: 正しくは冬至でしたね、恥ずかしい)には柚湯、端午の節句にはしょうぶ湯に入るし、1/7には七草粥、そして節分には恵方巻(呼称については覚えていない。単に太巻と言っていた気もする)だ。物心付いた頃(7歳位、35年以上前)からずっとだ。 最近(とはいってもここ10年程か?)、商機として恵方巻の習慣が全国展開され、それに纏わる社会問題も露になってきた。ホッテントリ入りも果たした作りすぎでの大量廃棄や、コンビニチェーンでの押しつけ、従業員への販売ノルマの強制等だ。20年以上前だが、自分も北新地のコンビニでバイトしていた時に、本部からのノルマで頭を抱える仲の良い店長に協力する形で数本引き受けていた。 こういった問題に声を上げるのは真っ当至極だしどんどんやれば良いと思う。ただ恵方巻の風習それ自体をディスる
匿名ダイアリーじゃないとこんなこと言えないけど、 自分には「動物虐待」という行為が法律で罰せられなきゃいけないほど悪であるとは思えない。 猫や犬を殺しただけで犯罪者予備軍だったり、精神異常者だというのは差別とさえ思える。 だって、俺たちはゴキブリを殺すし、ガを殺すし、クモを殺すし、ドブネズミを殺すし、それが許されてる。 殺していい動物と殺してはいけない動物の境界線が知能だというなら、ドブネズミは相当知能が高いからおかしい。 有害性かそうでないかが境界線だというなら、ガやクモなんて野良猫ほど病原菌などの害は無いからこれもおかしい。 ただかわいいかそうでないか、という理由なら、ガやクモをかわいいと思う人もいる。犬や猫を醜いと思う人もいる。 「ゴキブリ殺しは正常な健常者がやる行為だが、犬殺しや猫殺しは悪だ」なんて考え方、辻褄が合わなすぎる。
私は特定の宗教を信仰していない。 教会で結婚式を挙げ、子供の七五三には神社で祈祷をしてもらい、多分死んだらお寺でお経を読まれるであろう、ある意味典型的な日本人だ。 今日、とある宗教団体の若者達と話をする機会があった。彼らの身分は学生で、あと何年かすれば社会に旅立って行く子達だ。 彼らに会いに行ったのは仕事の付き合いで、正直気乗りするものではなかった。私の仕事について講義をし、簡単なディスカッションを行うといった内容だ。 仕事柄、こういった講義の依頼は大学や専門学校などから年に何度か受けているのだが、今日の講義・ディスカッションを受けた学生の質は、非常に高かった。そして私が感じた率直な思いは、「こういった形で出逢わなければうちの会社に欲しいところだ」というものだった。 彼らの団体に対する依頼を受けた事で、彼らは私をその宗教に理解のある人、つまり味方であると捉えている。私に対しては自分の信仰を
同人界は変わらないのう。 でも婆が若い頃はもっと凄かったぞ。 20年以上前の話じゃ。 当時は当然ソーシャルゲームなどなく、スマホも無ければ携帯もなく、ネットすらなく、 ゲーム二次創作と言えば家庭用ゲーム機(ファミコンやスーファミなど)のゲームのもの、 二次創作と言えば同人誌を作ってイベントで頒布するしか発表の機会がないもの、じゃった。 その頃は、ゲーム発売前から同人誌を作る輩がおっての。 何故なら、発売日に買って即クリアしたとしても それから原稿を描き、印刷して本を作り、イベントに出す…となると、どうしても時間がかかる。 今のように、思い立ったらすぐ描いてすぐネットに載せられる時代ではないからの。 でもなるべく早く(他サークルよりも早く)出せば、それだけ売れる。 よって、発売前からゲーム雑誌や事前発売する資料集などで発表されている情報のみを参考に同人誌を作り、 ゲーム発売直後のイベントで売
何年も前の記事だけど、ふと思い出して訳してみた。 反応が気になるので、ちょっと長いけど増田に投稿してみる。 ノーセックス・イン・ザ・シティ:日本に住む外国人女性の気持ちReannon Muth 「女性教師に長くいてもらうのは大変なことなんだ。」東京で英語教師になって初出勤の日、私の上司はこう告げてきた。「大抵の場合、6ヶ月以上はもたない。」私は驚いて、登録教師のリスト(30人―全て男性)から目を上げた。 「それはこの学校でという意味ですか?」 「いや。日本で、という意味だ…。」彼は肩をすくめた。「東京は独り身にはつらい街なんだ…西洋人の女性にとってはね。分かるよね…。」 彼の後ろの壁にかかっていた写真をちらりと見た。四人の中年の白人男性。みんなひげを生やして禿げかかっていた。同じような歳の取り方で、垂れ下がった髪がメタリカのメンバーに似ていた。そして全員が、モデルのようにほっそりした身体の
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