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窪橋に関するkubohashiのブックマーク (11)

  • 東京の橋:唐犬橋

    kubohashi
    kubohashi 2018/11/01
    「からいぬはし」じゃなかった
  • K-AOBA's VOICE for SAITAMA : 鯛ヶ窪橋

    2005年03月28日16:51 カテゴリさいたまの街づくり 鯛ヶ窪橋 市役所前通り(市道町谷・太線)の、市役所の西方に、新しく陸橋が建設されました。通称「大戸の中通り」と結ぶ橋で、この辺りの地名から「鯛ヶ窪橋」(幅16メートル、延長155メートル)と名づけられました。 「鯛ヶ窪橋」の建設には、市役所側にあった市営墓地を撤去する必要があり、200世帯を超える関係者のご協力を得なければなりませんでした。幸いにして、墓地の多くは緑区の市営青山苑に移設されることになり、橋の建設は順調に進みました。 この橋が出来たおかげで、今まで、曲がりくねった急な細い坂道だったところが、快適な広い橋でひとまたぎ出来るようになった訳です。旧463号線の延長でもあり、太、東仲町、元町など地元の皆さんも利用される時が少なくないでしょう。 開通の式典は4月11日に予定されています。(写真は橋の西側から市役所、ロイヤ

  • 千川上水・坂上水車取水口、鎮守前水車 - 装丁家・大貫伸樹の装丁挿絵探検隊

    【しん散歩(12)…千川上水・葭(よし)窪橋・坂上水車取水口、柳沢4丁目】 ・写真上=千川上水・葭(よし)窪橋、柳沢4丁目(昭和16年撮影) ・写真下=上と同じ場所を2018年9月1日撮影 鉄道の駅近くの建造物は、多くの人の記憶に残っているものと思いますが、市境周辺になると、地元の人ですら興味を示さずほとんど知られていない建造物があります。 今回紹介するのは、そんな市境を流れる千川上水に掛かっている「葭(よし)窪橋」ですが、ほとんどの市民がその存在すら知らないのではないかと思います。千川上水の南側は武蔵野市八幡町ですが、かつては「葭窪」と呼ばれていました。地名がつけられた頃はヨシの生えているような窪地だったのでしょう。千川上水の北側の柳沢4丁目あたりは、かつては「葭窪北台」と呼ばれていましたので、「葭窪橋」という橋名は地名の名残りなのでしょう。 ここは、坂上水車の取水口でもあったようです。

    千川上水・坂上水車取水口、鎮守前水車 - 装丁家・大貫伸樹の装丁挿絵探検隊
    kubohashi
    kubohashi 2018/10/23
    葭(よし)窪橋
  • 東京の橋:茱萸窪橋

    kubohashi
    kubohashi 2017/04/26
    ぐみぐぼばし。強そうな名前だ。濁音に次ぐ濁音。
  • 神奈川 平塚市で避難勧告 NHKニュース

  • 信州の架け橋 (長野県の橋)  -  日向窪橋

    Author:ふみゅう 突然、橋が好きになりました。現行の橋に限らず、橋跡を探し、道の変わり行きを調べるのも面白いです。 主に下路式の橋を紹介しています。 鉄筋コンクリートローゼ橋は、全て見ました。後は、古い鉄筋コンクリートの主塔の吊橋を探しています。取り壊された吊橋は、主塔だけでも残っていると橋の歴史を感じさせられる良い存在です。 基、歩いて橋を渡っていますが、橋が上下に揺れるのが苦手で、場合によって吊橋は渡れない事があります…。 面白い橋、吊橋(跡含む)があれば教えて下さい。どの橋ページでも構いませんのでコメントに記載して頂けたら幸いです。 愛車は、23年の付き合い! ☆☆ 気に入った橋、 このページに来るきっかけとなった橋に拍手を頂けると励みになります。 ☆☆

    kubohashi
    kubohashi 2013/01/26
    長野県、国道158号線の橋。「ひなたくぼはし」と読む。
  • 街に埋もれた旧地名、「金井窪」バス停と古道、川跡、駅跡など : みちくさ学会

    バス停 « 前のページ次のページ » 街に埋もれた旧地名、「金井窪」バス停と古道、川跡、駅跡など August 18, 2011 Tweet 今回は、東武東上線下板橋駅と大山駅のほぼ中間あたり、山手通りが陸橋で東武東上線を跨ぐ場所にある、国際興業バスの金井窪バス停をご紹介します。金井窪は、大山駅周辺に見られた古い地名で、明治22年までは金井窪村、その後も昭和7年までは板橋町大字金井窪の地名がありました。昭和6年、東上線に金井窪駅が開業。現在の山手通り陸橋の東側にありましたが、戦災により営業休止となり、その後復旧されることなく、昭和20年に廃止に至りました。よってバス停は、短命に終わった金井窪駅の名を受け継ぐものと見ることもできます。町名としては、現在も大山駅南東部に大山金井町があり、金井窪時代の名残をわずかにとどめています。 バス停から山手通り東側の住宅街に入ると、板橋区と豊島区との境界上

    街に埋もれた旧地名、「金井窪」バス停と古道、川跡、駅跡など : みちくさ学会
    kubohashi
    kubohashi 2013/01/26
    東京都板橋区の金井窪橋は、谷端川が暗渠になったため道標のみ。
  • 大窪橋(熊本県美里町)

    ◆◆◆◆◆ 大窪橋 (おおくぼばし) ◆◆◆◆◆ 大窪橋(おおくぼばし)は名工 丈八(橋勘五郎)が造ったという話も昔にありましたが、最近の調査では砥用町岩尾野に住んでいた石工「新助」という事が判明したようです。 現地の説明板によると、「寛永2年(1849年)に庄屋 篠原善兵衛、石工 新助により架橋されたそうです。 大窪橋(おおくぼばし)の特徴は橋の円の中心が常水面下であるために両基礎の中心角が157.40度です。そして、中央高が単一拱(町内の眼鏡橋)としては平地架橋では限界のものであります。」 と、書いてあります。 よく分からない内容ですが、ようするに石橋の内径の中心は水面より下にあり、なだらかな傾斜でせり上がっている。これ以上なだらかにすると橋が崩壊する。と、いう事だと思います。 なお、橋の傍には小さな石碑が建っており、「この橋車通る扁から須」と書いてありますから、昔の車と言えば大八車

    kubohashi
    kubohashi 2013/01/26
    寛永2年架橋の石橋。桜の名所。
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    kubohashi
    kubohashi 2013/01/26
    愛媛県、面河渓に架かる吊り橋。「今窪橋」で「なるくぼはし」と読む。
  • 青泥窪橋 - Wikipedia

    青泥窪橋(チンニーワーチャオ、簡体字: 青泥洼桥、Qīngníwāqiáo)は、遼寧省大連市中山区の大連駅近くに広がる繁華街のこと。マイカルなどの大型百貨店やショッピングモールが林立する。また、駅前に広がる勝利広場の地下には地下3層構造のショッピング街(地下商城)がある。勝利広場の南側には歩行者天国になっているところが多い。日語での通称は「あおどろ」で、「せいでいわきょう」と呼ぶ人はいない。 由来[編集] 古くは三山浦といわれていた小さな漁村であったが、 [1] この地には上質な黒い泥(青泥)が取れた。周辺の漁民が家を建てるためにこの青泥を掘り起こしたため、しだいに窪地となり、このため青泥窪と呼ばれるようになったという伝承が残る。現在の青泥窪橋という呼称はロシア統治時代に橋をかけたことが由来である。 大型百貨店[編集] 大連商場、秋林女店(1935年建築の旧大連三越、2002年大連市重点

    青泥窪橋 - Wikipedia
    kubohashi
    kubohashi 2013/01/26
    中国・大連の繁華街の呼び名。青泥窪橋という名前の橋は無い。
  • 猪窪橋

    霧島市霧島永水 猪窪(いのくぼ) 手篭川 橋長:8.2m 橋幅:4.1m 径間:7.0m 拱矢:3.2m 架橋:昭和15年 椨ヶ迫橋より県道2号線に戻り、2.9Km西進、県道60号線との交差点より200m手前を右折 せせらぎソーメン流しの看板に従って1.5Km進むと、この橋が架かっています

    kubohashi
    kubohashi 2013/01/26
    鹿児島県霧島市の石橋。
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