あるスキャンダルの覚書 世銀総裁が辞任するまで――フィナンシャル・タイムズ 2007年5月18日(金)18:57 (フィナンシャル・タイムズ 2007年5月16日初出 翻訳gooニュース) 世界銀行は17日、同行のポール・ウォルフォウィッツ総裁が6月末に辞職すると発表した。辞任に至ったスキャンダルの流れを時系列でまとめた。 2003年3月:戦争 イラク侵攻が始まる中、当時、国防総省の副長官だったポール・ウォルフォウィッツ氏は、同省が外部委託する業務内容に、当時から世銀職員だったシャハ・リツァ氏が参加できるよう、「副長官自ら」働きかけた。ウォルフォウィッツ氏とリツァ氏、そして世界銀行の業務が、からみあうこととなる。 2005年3月:総裁指名候補 ジョージ・ブッシュ米大統領が、世界銀行総裁にウォルフォウィッツ氏を指名。激しい賛否両論がまき起こる。 2005年春:利害の対
阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」 2007年4月17日 [アメリカ]ウォルフォウィッツの恋 知人からドラッカーの「私の履歴書」をいただいた。一昨年の11月、亡くなった経営学者である。ウィーンに生まれ、ジャーナリスト出身のこのユニークな存在は、巨大企業GMの組織運営から「マネジメント」という概念を再発見、戦後社会に時代を画した。わが友人にも彼を尊敬する人は多い。 ふと連想したのは、世銀総裁ポール・ウォルフォウィッツのスキャンダルである。コーネル大学で数学や化学を専攻、傑出した頭脳と言われたが、シカゴ大学に移って政治学に転向した彼が「イラク」で失敗し、今また「世銀」で失敗しかけているのは、その「マネジメント音痴」に起因するのではないか。 彼は第一期ブッシュ政権でラムズフェルド国防長官の下の国防副長官をつとめた輝けるネオコンの星だった。が、イラク侵攻の設計者だっただけに、その後の統治失
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