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福島と津波に関するraimon49のブックマーク (16)

  • スーパーも郵便局もなし 双葉町の厳しすぎる現実 「散歩で作業員以外と会ったことない」:東京新聞 TOKYO Web

    東京電力福島第一原発事故による全町避難が唯一続いていた福島県双葉町で30日、帰還困難区域の一部の避難指示が解除された。双葉町の特定復興再生拠点区域(復興拠点)は11年5カ月ぶりに居住可能となったが、住民のさらなる帰還に向けては、除染や生活環境の整備など課題が山積している。(片山夏子) 今年1月から始まった「準備宿泊」で7カ月間、復興拠点内の自宅で生活してきた元競輪選手の谷津田陽一さん(71)は「今のところ帰還しそうな住民は、原発事故前の1%にも満たない。想像以上に現実は厳しかった」と嘆いた。「犬の散歩に行っても除染や解体作業員以外、会ったことがない」 JR常磐線双葉駅から北西に1キロ弱、緑豊かな高台にある自宅周辺は、多くの家屋が解体され、さら地が広がる。近隣住民は戻っていない。同居する(55)は「夜は人がいないから怖い。住んだ当初は特に外の音に敏感になった」と言う。

    スーパーも郵便局もなし 双葉町の厳しすぎる現実 「散歩で作業員以外と会ったことない」:東京新聞 TOKYO Web
  • 東電のハードディスクから掘り起こされた重要メール - level7

    東電福島第一原発事故前に東電社内でやりとりされていた電子メールを集めた捜査報告書を、法務省が2021年10月28日付で開示した[1]。東電から提出されたハードディスク(HD)から、メールデータ61通分を復元し、文書にしたものだ。2008年から2011年にかけて、東電内部で津波のリスクについてどのように認識していたか、そして外部の専門家に根回ししたり、他の電力会社に圧力をかけたりして、津波対策の遅れが露見しないよう工作していた状況がわかる。事故の原因を解明するための第一級の資料だ。そして、これらのメールを東電は政府や国会事故調には提出しておらず、さらに検察の初期の捜査でも利用されておらず、強制起訴された後の2017年になって指定弁護士によって発掘されたらしいことも示している。 デジタルフォレンジックで指定弁護士が発掘 開示された文書は、「捜査報告書(メールデータの抽出印字について)」2017

  • 北澤俊美元防衛相と対談 - 菅直人公式サイト

    「北澤さんは私の先生だった」 菅 私は市民運動出身で、大きな組織を運営した経験はありませんでした。北澤さんには若い頃から、先生のようにいろいろなアドバイスをいただきました。自分自身の活動でも、党内のいろいろなことを考える上でも、ものすごく助かりました。 北澤 私は自民党出身で、事前にいろいろ準備や調整をする政治文化の中)で育ってきましたが、菅さんはいきなり真剣勝負。見ていると小気味がいいんですよ。度胸のある政治家だなと。一方で少し危なっかしいところもあるから、そんな時には意見を申し上げたりしてきました。 菅 震災の時に北澤さんが防衛大臣だったことは、ものすごく大きかったと思います。 東日大震災と「自衛隊10万人」 菅 震災発生翌日の3月12日にヘリで福島原発に行き、現地の吉田昌郎所長に会いましたが、さらにそのヘリで(津波被害を受けた)宮城県の海岸沿いを見てきました。海と陸の境目が見えな

    北澤俊美元防衛相と対談 - 菅直人公式サイト
    raimon49
    raimon49 2021/09/26
    防衛省とアメリカとのやり取り。
  • 「俺はお前らの素材かと悟った」「次に命が助かるのなら、震災は忘れてもらってもいい」東京キー局が続けてきた被災地報道の“罪” | 国内 | ABEMA TIMES | アベマタイムズ

    東日大震災から10年となった3月11日も、テレビ番組では様々な中継や特集企画が組まれた。それらは視聴者、そして被災者にとってどのような意味を持つのか。そして今、当に必要な取材とはどのようなものだろうか。

    「俺はお前らの素材かと悟った」「次に命が助かるのなら、震災は忘れてもらってもいい」東京キー局が続けてきた被災地報道の“罪” | 国内 | ABEMA TIMES | アベマタイムズ
    raimon49
    raimon49 2021/03/14
    取材側が欲しい素材だけ持って行って構成を決めてしまう問題。カウンターメディアとしてのABEMA Primeの良い面が出ている。
  • 「5000万人避難まで想定した最悪の事態」菅直人元首相が振り返る3.11 #あれから私は(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

    マグニチュード9.0の巨大地震とそれに伴う津波で、1万8000人あまりの死者・行方不明者を出した東日大震災。それは未曽有の原発事故も引き起こすことになった。震災当時、総理大臣だったのが菅直人衆院議員(74)。水素爆発も起きるなか、「最悪のシナリオ」として5000万人が避難することも想定していたという。10年後のいま、元首相に振り返ってもらった。(ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース 特集編集部) ──東日大震災から10年です。どんな感慨がありますか。 「あの震災では、津波で多くの人が犠牲になり、避難を強いられ、また、福島第一原発の事故も起きました。地震や津波では物理的な被害で元の住まいに戻ることができず、原発事故では放射線の影響で戻れていません。多くの人が戻れていないことを申し訳なく感じています」 ──菅さんは震災の翌月、諮問機関「東日大震災復興構想会議」を立ち上げ、そこで「創

    「5000万人避難まで想定した最悪の事態」菅直人元首相が振り返る3.11 #あれから私は(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
  • 「水素爆発はしないって言ったじゃないですか」東電が官邸に出していた原発事故“隠蔽”の要請とは | 文春オンライン

    所員の決死の作業によってベントに成功し、格納容器の破損を免れた福島第一原発1号機。しかし、それからおよそ1時間後には水素爆発が起こり、建屋の上部が吹き飛んでしまう事態に見舞われる。当然のことながら、現場にいた作業員の間では爆発の直後、大きな動揺が走ったという。ここにいてどうなるのか、ここにいたら全員が死ぬ……。極限状況下に追いやられる所員、そして、東電と官邸は、その瞬間、どのような対応に走ったのか。 ここでは、船橋洋一氏を中心とした調査委員会による綿密な取材をまとめた書籍『フクシマ戦記 上 10年後の「カウントダウン・メルトダウン」』を引用。当時の様子を子細に紹介する。(全2回の2回目/前編を読む) ◇◇◇ 「頼む。頼むからここに残ってくれ」 12日午後3時36分。福島第一原発の1号機の建屋の上部が轟音とともに吹き飛んだ。 中央制御室(1/2号機)は、ドシャーンと上下に揺れた。天井のルーパ

    「水素爆発はしないって言ったじゃないですか」東電が官邸に出していた原発事故“隠蔽”の要請とは | 文春オンライン
  • 「東電は許せない。しかし…」 震災・原発事故から6年 福島の浜で - Yahoo!ニュース

    東京電力の副社長が泣いていた。2月3日、東京・内幸町の社応接室。福島の、ある被災者に話が及んだ時だった。「すみません…。上野さんの話をすると、つい込み上げてしまって」。福島復興社代表を務める石崎芳行副社長(63)は、鼻をすすって息を整えた。「上野さん」とは、上野敬幸さん(44)のことだ。南相馬市沿岸部の萱浜(かいばま)地区で農業を営んでいる。副社長はなぜ泣いたのか。東日大震災と原発事故から間もなく6年。加害者と被害者という立場だけでは計りきれない事情を知ろうと、人々を訪ね、福島を歩いた。(Yahoo!ニュース編集部) 石崎副社長は、上野さんに初めて会った時のことを鮮明に覚えている。震災から2年後の2013年3月。復興社の代表として、福島に居を移して2カ月が過ぎた頃だった。「知人からぜひ会って欲しいと言われまして」。萱浜を訪ねると、自宅前に上野さんが立っていた。1階は津波で破壊されて

    「東電は許せない。しかし…」 震災・原発事故から6年 福島の浜で - Yahoo!ニュース
    raimon49
    raimon49 2017/03/10
    >去年の熊本地震もそう。岩手や北海道の台風被害もそう。あれだけ警報が出て、なんで避難しないのか。あの震災が教訓として生かされてないな、って。 / ここが1番響いた。避難訓練を真面目にやろうと思った。
  • 福島第一原子力発電所へ。 - ほぼ日刊イトイ新聞

    震災から5年が経とうとするある日、 1通のメールが届きました。 ちいさな縁はつながって、 福島第一原子力発電所のなかを 視察できることになりました。 約3時間の視察。 そこで、見たこと、感じたこと。 すこし長いレポートになりました。 担当は、ほぼ日の永田です。 福島第一原子力発電所がどういう存在であるかは 見る人の立場や考え方によって、 さまざまに変わってくるのだと思う。 事故のあった原子炉として語られることもあるし、 ある思想の象徴としてとらえる人もいる。 そこに好きとか嫌いとかの感情や、 是か非かみたいな主張が交ざると、 さらに複雑な見え方をすることになる。 福島第一原子力発電所は、いわば多面的な存在で、 だからこそ、それについてなにか書くときは、 なんとなく前置きや注釈を添えなければならず、 そこが、すこし、ややこしい。 昨年の11月、糸井重里と、 原子物理学者の早野龍五さんとともに

    福島第一原子力発電所へ。 - ほぼ日刊イトイ新聞
    raimon49
    raimon49 2016/03/11
    いちえふで描かれた世界から続いてるんだなと実感する。
  • あの日。 - Yukibou's Hideout on Hatena

    2016 - 03 - 11 あの日。 雑記 list Tweet 3月9日 宮城県北部でM7.3の地震があった。 え…RT @47newsflash : 気象庁によると、宮城県北部で震度5弱の地震があった。 http://bit.ly/17n4iz — ゆきぼう (@dosei2010) 2011年3月9日 twitter.com うお…RT @47newsflash : 気象庁は、青森県太平洋沿岸、岩手県、宮城県、福島県に津波注意報を出した。 http://bit.ly/17n4iz — ゆきぼう (@dosei2010) 2011年3月9日 twitter.com 会津若松は震度2だった。この揺れに自分は全く気が付かなかった。 会津若松は震度2か。 — ゆきぼう (@dosei2010) 2011年3月9日 twitter.com 何をやっていたのかは覚えていないけど、とにかくTwi

    あの日。 - Yukibou's Hideout on Hatena
    raimon49
    raimon49 2016/03/11
    震度の分布図にゾッとしたの思い出した。確かにこんな絵だった。
  • 福島原発に近い「国道6号線」が開通――そこで何を目にしたのか

    烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)氏のプロフィール: フリーランスの報道記者・フォトグラファー。1963年京都市生まれ。京都大学経済学部を卒業し1986年に朝日新聞記者になる。週刊誌『アエラ』編集部などを経て2003年からフリーに。その間、同誌のニューヨーク駐在記者などを経験した。在社中、コロンビア大学公共政策大学院に自費留学し、国際安全保障論で修士号を取得。主な著書に『Jポップとは何か』(岩波新書)、『原発難民』(PHP新書)、写真ルポ『福島飯舘村の四季』(双葉社)、『ヒロシマからフクシマヘ 原発をめぐる不思議な旅』(ビジネス社)などがある。 今回から数回にわけて、福島第一原発事故の被災地や避難者を訪ねた報告を書く。第1回目は、原発災害の被災地を南北に貫く幹線道路である国道6号線を走ってみた報告である。 この国道はかつての「警戒区域」(=立入禁止区域)である原発から半径20キロの半円形を縦に

    福島原発に近い「国道6号線」が開通――そこで何を目にしたのか
  • 「吉田調書」 朝日新聞

    「吉田調書」をめぐる報道では、「命令違反で撤退」という記述などに誤りがありました。読者と東京電力の皆様に深くおわび致します。 「報道と人権委員会」(PRC)の指摘を受け、第1章1節の「フクシマ・フィフティーの真相」の該当箇所について、訂正しました。(2014年12月1日) (全文公開しています) プロローグ 朝日新聞は、東日大震災発生時の東京電力福島第一原子力発電所所長、吉田昌郎氏が政府事故調の調べに対して答えた「聴取結果書」を入手した。レベル7の大災害を起こした福島第一原発の最高責任者であり、事故収束作業の指揮官であった吉田氏の唯一無二の公式な調書である。吉田氏は事故について報道機関にほとんど語らないまま2013年7月に死去した。調書も非公開とされ、政府内にひっそり埋もれていた。 28時間、400ページ 吉田調書は全7編で構成されている。総文字数はおよそ50万字。A4判で四百数十ページ

    「吉田調書」 朝日新聞
  • 福島第一の原発所員、命令違反し撤退 吉田調書で判明=おわびあり:朝日新聞デジタル

    東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。■所員9割、震災4日後に福島第二へ 吉田調書や東電の内部資料によると、15日午前6時15分ごろ、吉田氏が指揮をとる第一原発免震重要棟2階の緊急時対策室に重大な報告が届いた。2号機方向から衝撃音がし、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったというものだ。2号機の格納容器が破壊され、所員約720人が大量被曝(ひばく)するかもしれないという危

    福島第一の原発所員、命令違反し撤退 吉田調書で判明=おわびあり:朝日新聞デジタル
    raimon49
    raimon49 2014/05/20
    吉田調書 朝日のスクープ
  • 震災遺構デジタルアーカイブプロジェクトを公開します

    メディア関係者向けお問い合わせ先 メールでのお問い合わせ: pr-jp@google.com メディア関係者以外からのお問い合わせにはお答えいたしかねます。 その他すべてのお問い合わせにつきましては、ヘルプセンターをご覧ください。

    震災遺構デジタルアーカイブプロジェクトを公開します
    raimon49
    raimon49 2012/12/08
    これは素晴らしいアーカイブでは。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 書きかけてやめていた、 福島のことを、もう一度。

    震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ

    raimon49
    raimon49 2012/08/15
    >福島県で『復興』っていうと、やっぱり放射能に関してのことでね。津波被害に対しての『復興』っていうふうには、やっぱり、言ってないからね。
  • 福島第一原発事故を予見していた電力会社技術者 無視され、死蔵された「原子力防災」の知見 | JBpress (ジェイビープレス)

    それは私が『原子力防災─原子力リスクすべてと正しく向き合うために』というに出合ったからだ。3.11後、原子力発電所事故に関する文献をあさっていて、このを見つけて読んだとき、椅子から転げ落ちそうになるほど驚いた。 福島第一原発事故、そのあとの住民の大量被曝など、原発災害すべてについて「そうならないためにはどうすればよいのか」という方法が細部に至るまで具体的に書かれていたからだ。逆に言えば「これだけの災害が予想できていたなら、なぜ住民を被曝から救えなかったのか」という疑問が心に焼き付いた。 私がずっとフクシマ取材で「答えが見つからない」「答えを見つけたい」と思っている疑問は「なぜ、何万人もの住民が被曝するような深刻な事態になってしまったのか」「どうして彼らを避難させることができなかったのか」だ。だから「どんな避難計画があったのか」「どんな訓練をしてきたのか」を福島県や現地の市町村に聞いてま

    福島第一原発事故を予見していた電力会社技術者 無視され、死蔵された「原子力防災」の知見 | JBpress (ジェイビープレス)
    raimon49
    raimon49 2012/05/31
    こういう人が当時、政府に進言する立場に居ればなと思わずにはいられない。たられば。
  • / WSJ日本版 - jp.WSJ.com - Wsj.com

    アパラチコラで過ごす優雅な時間 メキシコ湾沿いの入り江に面した米フロリダ州の小さな町アパラチコラ。こじんまりした海辺のホテルに宿泊し、バーで新鮮なシーフードを味わえるほか、地ビールの醸造所もある。綿花や漁業で栄えたこの町には、グリークリバイバル(ギリシャ建築への回帰)様式の優雅な住宅が散見される。数キロの沖合に浮かぶセントジョージ島には白い砂浜が広がる。

    raimon49
    raimon49 2011/05/19
    事実と取材を積み上げて物語を紡ぐとこうなるという例。当事者が民間企業というところにも不幸があったように読める。
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