アメリカの会社でありながら「魂の半分は日本」と言われたアップル。創業者のスティーブ・ジョブズが憧れていた、日本の起業家がいる。ソニー創業者の1人、盛田昭夫だ。ビジネスで日本を訪れるようになると、たびたび面会を求め、盛田を質問攻めにした。ジョブズと共にアップルを率いた盟友で2人の交流をよく知る人物らにアメリカで取材した。両者に共通しているのが、シンプルで美しいデザインとモノづくりへのこだわりだ。(World News部 佐伯健太郎)※一部敬称略
「スティーブ・ジョブズの日本での経験が彼の人生にとってどれだけ重要だったのか、よく理解しています」 アップル創業者のジョブズが製品に表現した日本との深い結びつきを解き明かす最高の“語り部”にインタビューする機会を得た。今回は、明治後半から戦後にかけて作られた木版画=「新版画」とジョブズとの関係について掘り下げる。(World News部 佐伯健太郎) 「スティーブの家を初めて訪れたときは、とても驚きました。部屋には家具がほとんどなかったのです。『こういうのが好きなのか。それとも、買い物をする時間がないだけなのか』と聞くと、彼は『こういうシンプルな生活が好きなんだ。必要なものさえあればいいんだ』と答えました」 こう話すのは、ジョン・スカリーさん(84)。アップルのCEOを10年間務め、創業者のジョブズと「ダイナミック・デュオ」と呼ばれる非常に親密な関係を築いた。 マーケティングの名手として知
ITの傑作商品を次々と開発して世界を変えたスティーブ・ジョブズ。惜しまれたその死から、ことし10月で10年になる。彼が生み出した製品は、いまも、その機能性と共に、美しく斬新なデザインでも世界を魅了している。 ジョブズの美的センスには日本文化の禅が影響を与えたことが知られているが、実は、禅に触れる以前、子どもの頃に見た日本の「新版画」、特に川瀬巴水(かわせはすい)から大きな影響を受けていた。ジョブズが巴水から学んだシンプルな美への探求をたどる。 文末には、ジョブズが購入した新版画作品のリストも記した。 (国際放送局・佐伯健太郎) スティーブ・ジョブズが川瀬巴水の作品と最初に出会ったのは、彼がまだ10代の頃に知り合ったカリフォルニア州サニーベールに住む親友ビル・フェルナンデスの自宅だった。 2人は互いの家を行き来し、電子機器をいじって遊んでいた。ビルは後年、アップル最初のフルタイムの社員になる
From DIAMOND SIGNAL スタートアップやDX(デジタルトランスフォーメーション)を進める大企業など、テクノロジーを武器に新たな産業を生み出さんとする「挑戦者」。彼ら・彼女にフォーカスして情報を届ける媒体「DIAMOND SIGNAL」から、オススメの記事を転載します。※DIAMOND SIGNALは2024年1月をもって、ダイヤモンド・オンラインと統合いたしました。すべての記事は本連載からお読みいただけます。 バックナンバー一覧 「この職場に来るのが、毎日楽しみなんですよ。大好きなんです、ここが」 ほとんど日本人と変わらない流ちょうな日本語で、ダグラス・ウェバーは言った。そこは福岡県糸島市の海沿いにある彼のオフィスで、時折、外から「コケコッコー」とにぎやかな鳴き声がする。ミニサッカーができそうな広々とした敷地のなかで、鶏が放し飼いされているのだ。 2年前に空き工場を買い取り
ジョブズがマッキントッシュ・コンピューターを発表した1984(昭和59)年1月。スクリーンに現れたのは、テクノロジーとはおよそそぐわない、流れるように美しい黒髪をくしでとかす浴衣姿の官能的な女性だった。 この絵は、橋口五葉(はしぐち・ごよう)という“新版画”の作家が1920(大正9)年に制作した木版画「髪梳ける女」(かみすけるおんな)。当時の関係者は、ジョブズが会社に持ち込んだものを利用したと話している。 ジョブズは、コンピューターを発表する前の1983年6月と、その後の1984年2月に、同じ作品を日本で購入したことがわかっている。ジョブズがとても気に入っていたとみられる。 ジョブズが禅や和食などの日本文化に傾倒していたことは知られているが、“新版画”に熱中していたことは、ほとんど知られていない。 私は、ジョブズがなぜ日本の新版画を採用したのか、以前から不思議に思っていた。そうしたジョブズ
ソフトバンクグループ会長兼社長の孫正義氏が、みずからの半生を赤裸々に明かしながら、2時間以上にわたって語り続けた貴重な講演録。 前回は、孫氏が大学生時代に目にした1枚の写真で人生が大きく変わったという知られざるエピソードや、創業初期に大病を患ったことで「何のために働くのか」「何のために生きるのか」を考えざるをえなくなったという話などを紹介した。 今回はそんな孫氏が、数々の経営の修羅場をいかに生き延びてきたかが明かされる。いまや日本を代表する経営者となった孫氏が、ここまで赤裸々に過去を語るのは珍しい。その言葉を、皆さんはどう受け止めるだろうか――。 資産1兆円を手にするとどうなるか 病気から復活した孫氏を待ち受けていたのがインターネットの夜明け。 2000年直前、ドットコムバブルが到来し、ソフトバンクの株価は絶頂に達するのだが……。 ちょうどアメリカではヤフーが生まれたばかりでした。 まだ社
開発責任者、エンジニア、カーデザイナー、企画担当者、あるいはエネルギーに関わる人々…小沢コージが新たなクルマが生まれる裏側に深く関わる人物に話を聞いていく新連載。前編に続き、マツダの藤原清志常務に迫る。 【いよいよ後編!】 いよいよ佳境に入ってきた、藤原常務が語る「マツダ1人明治維新」の真実。そのきっかけであり、カギはある意味“徳川時代”たるフォード時代にあったことが分かったが、はたしてその後の“明治維新”は、どのように行われ、いかにスカイアクティブ革命はなされたのか? 驚異の高圧縮ガソリンの「SKYACTIV-Gエンジン」や低圧縮ディーゼルの「SKYACTIV-Dエンジン」はなぜ生まれ得たのか? ストレートすぎるオザワの質問に、マジメな藤原常務が赤裸々に語る! マツダ株式会社 常務執行役員/研究開発・コスト革新担当、R&Dリエゾン室長、株式会社マツダE&T代表取締役社長。1960年岡山県
JC08モード36.4km/Lを達成し話題を集める「フィット ハイブリッド」や、新型「アコード ハイブリッド」など、最近のホンダは昔のように、面白いことをしようとしているようにも見える。そこで今回はホンダの四輪エクステリアデザインを統括するグローバル・クリエイティブ・ダイレクター、南俊叙氏に“今のホンダ”について、小沢コージが直撃した。 【コンセプト】ホンダは再びカッコ良くなるのか? 南 俊叙(みなみ・としのぶ)。本田技術研究所 四輪R&Dセンターデザイン室 グローバル・クリエイティブ・ダイレクター。バブル期入社の45歳。日本オンリーのミニバンや軽自動車を手がけたことのない“海外畑組”で、北米中心の「アコード」「シビック」系を担当。手がけたクルマにはスポーツカーも多く、一番最近、デザインを担当したのは、2013年のデトロイトショーでお披露目されたスーパースポーツの「NSXコンセプト」。曰く
前刀氏は、アップルに加わったときから「日本市場を建て直して3年以内に辞める」と決めていたという。どこまでいってもアップルはジョブズの会社。「こんなことやってる場合じゃない」と。 前刀禎明(さきとうよしあき) ソニー、ベイン・アンド・カンパニー、ウォルト・ディズニー・ジャパン、AOLジャパンを経て、1999年に無料ISPを展開するライブドアを創業。2002年にライブドアの民事再生を申し立て、事業をオン・ザ・エッヂに譲渡する。 2004年4月米アップルコンピュータ(当時、現アップル)のマーケティング担当バイスプレジデントに就任。iPod miniの日本国内展開の仕掛け人として大ヒット商品に育てた。2006年7月11日、アップルとアップル日本法人を退職。2007年にリアルディアを創業する。 アップル入社面接で、スティーブ・ジョブズに「日本でMacを売るなら、このような製品が必要だ」と薄型ノートP
エリオット スティーブとは1980年に出会い、その後、6年間アップルにいた。アップルを辞めた後、ネクストやピクサーの時代にも付き合いがあった。 私がアップルを辞めたのはスティーブが辞めた1年後だ。その後はいくつかの事業を始めたが、スティーブとの交流は蘇ったり、途絶えたりを繰り返していた。彼の基調講演にも何度か出向いたことがあるよ。 ただ、アップルにいた6年間は、ほぼ毎日、1日24時間、週に7日、彼とともにいたようなものだね。 ―― 彼とはどのようにして出会ったんですか? エリオット 私は当時、ロスガトスに住んでいて、スティーブもそこに住んでいた。私は近くにあるメキシコ料理のレストランにいて、ラウンジエリアで妻を待っていた。妻はちょっと遅れていたんだ。 ラウンジで私は少し落ち込んでいた。IBMを辞めてインテルに行ったものの、アンディー・グローブとは気が合わず、インテルも好きになれなかった。半
■ 『スティーブ・ジョブズ』を買っていい電子書店はどこか 2011-10-25追記: 講談社の一覧にないビットウェイブックスを追加。DRMフリーと思われます。 2011-10-25追記: 販売を開始したBooksVを追加。残念ながらAndroid専用。 2011-10-25さらに追記: ビットウェイブックスから商品が消滅。 Jobsの伝記が発売だそうで、まぁ(みなさんの予想通り)おれは読む気はないんだけど、講談社という大手出版社が紙と同時に電子書籍も販売開始、それも複数の電子書店から……ということで、日本の電子書籍事情がどうなっているのか俯瞰するにはいいチャンスかも知れない。 以前から書いているように、電子書籍といえども紙と同程度のポータビリティを持つべきだ。たとえ出版社が電子書籍から撤退しようが、著者が販売を差し止めようが、いちど買って読者の手元に届いた本は、そのまま読み続けることができ
ジョブズの遺志をガン無視した犯人、それは講談社さんアンタだよ! ジョブズの伝記の装丁が、日本語版だけひどいと話題になっていました(左が英語版・右が日本語版)。 「帯を外せば問題ない」という人もいるかもしれませんが、ジョブズがマークラから学んだ印象の重要性、 人は“表紙で書籍を評価する”(本書で何度か登場するが、例えば下巻p. 100) からすれば、「Steve Jobs」と「スティーブ・ジョブズ」を両方大きい文字で書いているようでは、よく評価されるのは難しいでしょう。 個人的には、原書が1冊のものを分冊で翻訳することに文句を言いたいのですが、そういう重さの話はまた別の機会に。 真犯人は私たち消費者なのではないでしょうか。私たち消費者の好みに出版社が合わせているだけなのではないでしょうか。 似たような本なのに売り上げが全然違う。その原因を分析して、「デザインが派手だった」とか「帯の文句が目を
今月に入ってずっとマスコミを賑わせ続けた人と言えば、スティーブ・ジョブズ。もうお腹いっぱい、ではあるが、ウォルター・アイザックソンによるバイオグラフィーが世界同時発売ということで、色々と思うところがあったので、それを書いておく。 まずは紙の本での話。アメリカではサイモン&シュスターから出ているハードカバーの希望小売価格が35ドル(約2700円)、アマゾンやバーンズ&ノーブルのオンライン書店ではこれが17.88ドルとほぼ半額となっている。刊行日を前倒しにした「ラッシュ本」とはいえ、これだけ時の人となっている時期に刊行されるベストセラー間違いなしのタイトルなので、卸値価格を考えるとアマゾンもB&Nもハードカバーでの儲けは紙一重の小さいもののはずだ。Eブックの販売も手がけているからこそできる大技。他の書店ではこんなに安売りするわけにはいかない。 これが講談社から刊行された日本語版だと、上下巻で各
ジョブス、ジョブズと両方でてますが、関係者情報によると正しくはジョブズらしいのでこちらで統一します。AOLのニュースもジョブスだったんだけどなぁ〜 自分自身も顧客の商品開発に少しは携わる人間で、自分の立案でヒットした商品はジョブズと比較すると市場で数億単位のマーケットのものが何個かくらいなのでカスみたいなものだが、ジョブズ語録から非常に響くものがあるので本日はそれを紹介してみたい。 トヨタ、ホンダなどの自動車メーカー以外の日本のメーカー、特に黒モノメーカーが海外メーカーに全く太刀打ちできなくなったと言われて5年くらいもたつが、ウォークマンで世界を凌駕したソニーをはじめ、IT関係、家電系は特にその兆候が痛々しい。ネット上でいろんな討論があるが、要は現在の日本の家電(特に黒モノ)メーカーはマーケティング力がめちゃくちゃ弱い、ということは間違いないように感じる。シャープのガラパゴスの惨敗なんてそ
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