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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (97)

  • 緊急事態宣言の終わり: 極東ブログ

    今日から、緊急事態宣言が解除された。現実的には、段階的な解除ということになるが、町にランドセルの子供も見かける。満員電車には乗らなかったが、そういう風景もあったのではないか。 感慨深いといえば感慨深いのだが、私の場合、この間、自粛で我慢したよなあというより、まあ、自分の予感通りにほぼなったなということだ。3月9日に『新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)についての、たぶん奇妙な予想』(参照)という記事を書いた。 当てずっぽうで思ったそののんきな予想は、日のこの感染がある時期に急速にかつ他国に類もない収束を迎えるかもしれない、ということだ。他国と比較してという意味である。 ……むしろ、結果的に奇妙な国家という特性を示す事例になってしまうのではないか、と。 ほら、私の予想通り、と思うわけではない。なぜなら、これは、ただの直感に過ぎず、なんの根拠も示してなかった。しいて言えば、日の全

    Nahoo
    Nahoo 2020/05/29
    コメントに原発を爆発させなかった菅直人とあるが普通に爆発している気がするが、まぁ、批判することとお疲れ様ですということは両立すると思うけどねぇ
  • 『イエスタデイをうたって』における「イエスタデイ」の意味合い: 極東ブログ

    アニメ『イエスタデイをうたって』の6話『ユズハラという女』がなかなかに、ずしーんと来るものだった。作品としてもこれはすごいなあと思ったが、どうすごいかを書いていいものか、微妙にためらう。きっと、すごいのは「そこじゃないだろ」ということになることはわかっているのだ。と、書いてみて、やっぱし、書こう。ネタバレは当然含まれるし、率直に言って、以下の内容はあんまりお子様向けではない。大人向けでもないが。 さて、たいていはブログ記事では手抜くのだが、物語のつなぎを簡単に書く。 時代設定は、1990年代あたりだろう。スマホはない。主人公・魚住陸生(リクオ)は、東京の大学(早大だろう)を卒業したが就職せず、コンビニのアルバイトをして、東京で生計を立てているフリーターである。25歳くらいの設定だろう。もう一人の主人公は、カラスを手なづけている少女・野中晴(ハル)。高校を中退している。19歳の設定だろう。彼

  • アニメ『イエスタデイをうたって』の一話目でスイッチが入る: 極東ブログ

    アニメ『イエスタデイをうたって』が今季のアニメに入っていて、なんとなく見た。オープニングの時点で、ああ、スイッチが入ってしまった、と思った。僕は、若い頃を甘酸っぱく思い出してその情感に浸るというのはしない。若い頃聞いた曲とかもそれほど聞かない。嫌なのだ。が、なぜ嫌かというと、スイッチが入って懐古モードになってしまうこともあるからだ。だが、入ったなあ。 ウォークマンがいけない。大学は卒業したが就職できずコンビニバイトしているフリーターの魚住陸生がウォークマンをしていた。懐かしすぎる。あれが出たときの感動を思い出す。友人も興奮していた。すごいよ、これしていると、日常生活が映画のシーンみたいになるんだ、と。それは革命的なほど生活の感覚を変えるものだったのだ、当時。いつ? 1979年。40年ほど前というか、昨年復刻モデルとか出てたな。 アニメのそれは体は初期モデルに似ている。ヘッドホンはオレンジ

    Nahoo
    Nahoo 2020/04/11
    物語が始まったころ俺は中学生。ジャンプの広告で気になっていたけど読んだのは大学になってから。20年、10年。時間の流れを思い起こさせるアニメ化だった。
  • 昨今の年金問題の発生源を探してみたら、なんだこりゃ案件だった: 極東ブログ

    6月3日に発表された金融庁審議会の報告書が火元になって、老後の生活費は年金では足りず、老後の30年間のためには各人が二千万円の蓄えが必要だ、という話題になり、国は国民の生活を守らないのかうんぬんプンスカ、という話題になっている。そしてさらに、有識者に報告書作成を依頼する立場の麻生金融担当相が、これじゃ国民に誤解と不安を与えるから報告書を受理しない、とし、なんだその無責任さはプンスカ、という話題にもなった。かくしてネットにはこの話題がいろいろ広がり、まあ、いろいろ意見もあるようだ。 私としては、19年間近くもブロガーやっているので、さーて、こうした炎上案件では第一次資料を見るかなと、見てみた。『金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書』である。副題は「高齢社会における資産形成・管理」である。発表日は令和元年6月3日である。冒頭はこう。 はじめに 近年、金融を巡る環境は大きく変化している。例

  • 東京都と隣接4県での不要不急の外出の自粛の、この時点の感想: 極東ブログ

    昨日26日、小池東京都知事は、隣接する4県、神奈川、埼玉、千葉、山梨の知事とともに市民社会に向け、人混みへの不要不急の外出自粛を要請した。 私はどう思ったか。まあ、週末は気温も下がり雨模様なので最後の桜を楽しむといった天候でもないから、おうちにいるのも無難だろうかとは思った。 もちろん、買い物や散歩(ランニングとかも)まで自粛せよというものではない。一人静かに雨の花見もよいものだろう。俳句の季語でいうなら、「花の雨」「雨の花」といったところだ。 日国政府に目を向けると、安倍首相は、今日27日の参院予算委員会で東京都内の新型コロナウイルス感染者急増を問われ、「仮にロックダウンのような事態を招けば、わが国の経済にもさらに甚大な影響を及ぼす」と答えたようだ。つまり、彼にはロックダウン(都市封鎖)は避けたいという思いはあるらしい。なにより、日は緊急事態宣言にも至っていない。 さて、「東京都内の

    Nahoo
    Nahoo 2020/03/27
    感染率より死亡率、現状はWW1のようだということ、私の思考の裏付けが取れてうれしい。日本で怖いのは経路不明感染の拡大によりPCR検査が効果的になったときに反検査思想が硬直化すること
  • 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で心がけていること: 極東ブログ

    新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で心がけていることをまとめてみた。あくまで個人的な見解で異論もあるだろうとは思うし、デマと批判されるかもしれないなとは思う。いちおうそれぞれに理屈はつけておくので、繰り返すけど、あくまで、ご参考までに。(あと、身近に感染者がいる場合は、話は別です。) マスクをしない 市販のマスクには、インフルエンザや新型コロナウイルス感染症(COVID-19)などの予防効果のエヴィデンス(科学的根拠)は、ない。「水への伝言」と同じ。ただ、今後今回の騒ぎののち、効果が検証されるかもしれないが。 マスクは花粉症の人や抗がん剤治療の日常生活に必要とする人もいるので、そういう人が入手しやすい状況を支援したい意味でも、市販マスクの購入はしない。(参照) マスクをすることで病原体が口に触れるのを防ぐという人がいるが、これらのウイルスは目からも感染するので、だったらなんでメガ

    Nahoo
    Nahoo 2020/03/17
    SNSで荒れてるかと思ったらマスクで荒れてておやまぁと。日本人のマスク信仰って思ったより根強いのね(全然使ってないマスクの箱を横目に
  • 新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)についての、たぶん奇妙な予想: 極東ブログ

    新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)について、詳細かつ最新のニュースを追っているわけではなく、今日のNHKの報道で知っただけなのだが、イタリアでは新たな死者が1日で100人以上増え累計366人、感染者も7000人を超えたらしい。大変な事態である。 その報道を聞いて、個人的にかつさしたる根拠もなく、その勢いから予想したことがある。地続きの欧州大陸ではさらなる蔓延となるのではないか、と。 同時に、これも根拠はないのだがもう一つ予想したことがある。というわけで、以下の話は、ブログにありがちな、当てずっぽうの話ではある。が、悪質なデマなることもないだろうとも思うので、事態の渦中でこんなのんきなことを思っていた日人もいたのかという、一つの証言として書いておきたい。 当てずっぽうで思ったそののんきな予想は、日のこの感染がある時期に急速にかつ他国に類もない収束を迎えるかもしれない、というこ

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    Nahoo 2020/03/10
    台湾はどっちかというと政府対応がよかった。日本では政府というより国民の性質が焦点ということ
  • [アニメ] 魔法少女まどか☆マギカ: 極東ブログ

    『魔法少女まどか☆マギカ』をたらたらと見た。見ろと勧められたというほどでもないが、それに近いようなことがあって、なんとなく見始めて見終えた(映画は見ていない)。この手のアニメのキャラクター・デザインは私は苦手なのと、オタクっぽさを感じさせるアニメはそもそも苦手なんで、こんなの俺が見るかなあ、と思っていたが、たらたらと見ることの利点もあるもので、しだいに面白くなった。というか、これはなるほど重たいテーマなのだなと理解した。 以下、ネタバレを含む。それと、この記事は批評的なものではない。感想というか連想というか、そういうものだ。まあ、どうでもいいという類でもある。 この作品で魅力的なキャラクターは、何と言っても、と言っていいのではないか、キュゥべえだろう。古典的な文学作品の文脈で言えば、悪魔の類型になるのだろうが、悪魔が通常、悪なるものを定義する形で表現されるのに対して、キュゥべえは、悪を止揚

  • 公売の「特殊性」についてのメモ: 極東ブログ

    森友学園に関連する話題が再燃している。 現在の話題の起点は、朝日新聞報道によるものだ。同紙によれば、すでに国会に提出された、森友学園との国有地取引に関する財務省の決裁文書は書き換えられたもの(当時の決裁文書ではない)とする疑いがある、とのことだ。 朝日新聞は、当の、書き換え前とされる文書を公開していてないので、真偽については他報道機関はもとより、一般人も知るよしもない。 朝日新聞の報道を信じるなら、書き換え前の文書には「件の特殊性に鑑み」とか「特例処理について省承認決裁完了」という記載がある、とのことだ。 朝日新聞の報道が正しいとすれば二点問題になるだろう。①国会提出文書は正しいものではない(文書の扱いに不正があった)、②なぜこの部分が削除されたのか(やましい理由があるのだろう)、である。 特に二点目の削除は「特殊性」「特殊」という文言に関わっているため、その「特殊」とは何か、という疑

  • ためらいながらではあるけど: 極東ブログ

    人と限らず多くの人がフィギュアスケートの羽生結弦選手の活躍を賞賛しているなか、こういう意見を述べるのも、悪意のように取られるのではないかと恐れるが、自分としては若い選手の将来を思ってこういう意見もあるという、一つの小さな例として、ためらいながらではあるけど、書いておきたい。繰り返すが、こう思う人もいるというくらいの些細なブログ記事であり、強く望むという大それた主張ではないし、私はたぶん間違っているのだろうという疑念もあるので、そこは理解していただきたいと願う……私は羽生結弦選手は平昌冬季オリンピックに出場しないほうがよかったと考えていた。 理由は、NHKスペシャル『羽生結弦 五輪連覇への道』を見たおり、昨年11月の怪我が深刻なものに思えたからだ。同番組では「自らの限界を超えて五輪に挑もうとする羽生結弦」というトーンで推していたが、そしてそれ自体はスポーツ選手として素晴らしいことではある

    Nahoo
    Nahoo 2018/02/20
    自分も同じことを考えていたので,それをしっかりとした言葉にしてもらえてうれしい。稀勢の里のようにはなってほしくない。彼は,残念ながら,手遅れになってしまった
  • [書評] 歳月がくれるもの まいにち、ごきげんさん(田辺聖子): 極東ブログ

    「神」という言葉に人はいろいろな意味を与える。日人の場合は、西洋キリスト教あるいはイスラム教のような絶対神は、随分と欧風化したはずの若い世代にもなじまない。というか、戦後70年以上も欧風化を続けているはずの日なのに、それが日にはなじまないという歴史を築いて来た。それがいいことか悪いことかわからないし、そもそもそういう問題でもないのかもしれない。他方、日人にとって「神」というのは、八百万の神のように、あるいはギリシア神のように基的に多神教的な神である。さらにネットでの用法では(これは現代米国などでも同じ面があるけど)、「ありえないほど優れた人や、自分にとって奇跡的にベネフィシャルな人」という意味もある。いずれも絶対神的な観点からは、聖人に近いだろうが、「人」にすぎない。それでも、と、私は日人として歳を取ってきて思うのは、そういう日的な神になじむわけでもないが、ある種の人生の知恵

    Nahoo
    Nahoo 2018/01/16
    “若いときに、好きだと思えるものが見つかったらとことん、好きになって、溺れてしまいなさい”
  • [書評] 米中もし戦わば(ピーター・ナヴァロ): 極東ブログ

    ブログに物騒な国際情勢について書かなくなって久しい。いろいろ思うことはあるが、ためらってしまうことも多い。一つ例を上げると、暴動にも見える年明けのイラン大規模デモがある。イランで反政府的な機運が醸成されていることは識者の共通認識だが(後述のユーラシア・グループのレポートでも同じ)、関連の国際情報を当たってみると、この時期にこのような形で勃発するということは、意外にも識者にも想定外であったと言ってよさそうだ。もちろん、起きてしまってから、あるいは収まってしまったかに見える状態ではいろいろな説明が可能だが、この予測不能という状態の質とそれ自体の重要性がよくわからない。この部分に補助線を引くと、多数の死者を出した先日のナイジェリア、ベヌエの衝突が今後何を引き起こすかもよくわからない。 こうした基的なところで不明瞭な事態と、一見説明可能かに見える世界構図と、逆に事後であればいろいろ付く説明との

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    Nahoo 2018/01/16
    “「中国は力の空白を好む」である。単純にいえば、軍事的な対抗力が消えた地域に、中国は自動的に入り込む。”
  • [書評] 人を伸ばす力(エドワード・L・デシ、リチャード・フラスト): 極東ブログ

    明けましておめでとう。そう言ってみて、少し奇妙な感じがする。新年を迎えることに、何か喜ばしいこと、しかもその喜びを共同体に分かち合う(partager:パルタジェ)意味がどこにあるのだろうか。疑念がある。どこにもないんじゃないか。あるいはどこかにあるのだろうか。 あるとすればそれは書籍との出会いにも似ているだろう。誰もが賞賛するような優れたなどというものはないと言いつつ、古典のように来は誰が読んでも価値があるとされるようなも他方存在する。そこで古典にそのような、ある普遍的な価値があるなら、誰もがそれを読むべきだと言えそうにも思える。そうでもない。そう言ってしまえば、冒頭のような少し奇妙な感じが伴う。 私は何を言おうとしているのか。書籍の価値は、それを読んだ人が、密かにある種の確信をもってパルタジェするときに、その行為を含めた過程に生まれるものではないだろうか。古典とはそうしたパルタジ

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    Nahoo 2018/01/04
    五十六メソッドが組織統制のためのものとすれば,これはその逆。陳腐な言い方だが個人の自己実現のための生き方としての成長に必要なのは,他人や報酬に頼らない自分の感情の発露
  • [書評] 「福沢諭吉」とは誰か(平山洋): 極東ブログ

    書名『「福沢諭吉」とは誰か』(参照)が意味するのは、書にも書かれているように、「第二次世界大戦の終結以来議論されてきた、福沢の質は市民的自由主義者なのか、それとも侵略的絶対主義者なのか」という択一を問う意味合いがある。現代のネット的な用語で単純化すれば、福沢諭吉は、①市民主義のリベラル、あるいは、②ネット右翼のような侵略主義者、そのいずれかかということである。 こうした昨今のネット風の単純化は愚かしいかのように思えるが、書第4章「福沢諭吉と慰安婦」を読むと、あながち笑えないものがある。この短い挿話的とも見える章では、まさに福沢諭吉の思想が従軍慰安婦問題と関連付けられる論調への駁論となっているからだ。そもそもそんな議論が必要なのかすら疑問に思える人もいるだろうが、その関連付ける議論の一方は安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』(参照)に依拠している。しいていうならこの安川の書籍が今日のいわ

  • [書評] フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか(香山リカ・北原みのり): 極東ブログ

    フェミニズムあるいはフェミニストについてということかもしれないが、いつもぼんやりとだが思うことがある。私が何か「彼女」と議論をすることがあるとすれば、それは最後に私がフェミニストの敵として糾弾されて終わるのだろうというある確信である。私は女性の敵なのだろうし、私は原罪のようにそうなっているのではないか。つまりその理由は私が男であるからなのではないか。あるいは、何かクレドーを希うべきだろう。 ここで私は自分自身何を言いたいのかわからなくなる。「私は男として常に女性から罪人として糾弾されるに違いない」という奇妙な確信のようなものは何に由来するのだろうか。そして、それがどこかしら後ろめたく、ゆえに表面的に女性に迎合するような主張や行動をしているに違いない、となんとなく思う。そこから先、私は密かに、私はしかし「男」だろうか?と自問する。 現実はどうか。現実としては、フェミニズムやフェミニストと議論

    Nahoo
    Nahoo 2017/12/30
    “市民がレイティング規制を議論してルール形成していけばいいだろう”
  • [書評] PSYCHO-PASS GENESIS 1〜4(吉上亮): 極東ブログ

    アニメの『PSYCHO-PASS(サイコパス)』が私は好きで、シリーズ1と2を通して4回は見た。というか、その世界の前史にあたる小説『PSYCHO-PASS GENESIS』(参照)の読後、1度通して見て、しみじみその深みを味わった。この小説はあくまでアニメ体の外伝として描かれているのだが、それ自体が体の批評的な解釈も緻密に含んでいる。体アニメと非整合性なくさらにその質を掘り下げてくれる。 アニメの『PSYCHO-PASS(サイコパス)』がどのような作品かについては、Wikipediaなどにも解説があるので、まったく知らない人はそちらの情報を当たって欲しい。が、簡単に言うと、SFとして描く、世界全体が危機に陥る百年後の日の物語だ。そこでは各日国民の性格・才能・心理状態が「シビュラシステム」(シビュラ)と呼ばれる壮大なシステムでそれぞれ綿密に計測され、その計測値で各日人の人生

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    Nahoo 2017/12/29
    “現行の暴走しつつある日本のリベラルは日本国憲法というシビュラの忠実な執行官なのではないか”
  • [書評] ようこそ実力至上主義の教室へ 1〜7MF文庫J(衣笠彰梧): 極東ブログ

    当初、アニメで『ようこそ実力至上主義の教室へ』を見ていた。なぜこのアニメを見るようになったかは記憶にない。まあ、1話見たら、面白いんじゃねこれ、くらいの気持ちだった。2話3話と見続けると面白かった。といううちに、アニメの1クール(で1シーズン)を見終えると、ちょっと感動してしまった。 この先の話が知りたいなあ、原作あるんでしょと、原作の既刊を見ると、当初6巻まであり(4.5巻というのもあるが)、どうやらアニメは3巻までらしいので、続きをMF文庫Jというので読んだ(キンドル版ではなく)。面白い。6巻まで読み終えた頃、7巻がちょうど出てこれも読んだ(というか予約していたらある日届いた)。 7巻までが一つの大きな物語の区切りがついたかなという感じもした。それから、そういえば、と、1巻から3巻はアニメと違う感じかなと疑問になり、結局これも読んで既刊は全部読み終えた。ふう(ため息)。ちなみに、一部で

    Nahoo
    Nahoo 2017/12/29
    人間不信と虚無主義をラノベに見出すというか,チ今の若者の中2心を真面目に言うとそうなるのか。カルマ君への言及ワロタ 暗殺教室読み切れてないなぁ
  • [書評] 自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実(スティーブ・シルバーマン): 極東ブログ

    かつての漫画家というべきなのかためらうが、私がよく馴染み、また難病を抱え込んでいるという点でも共感をもってきた漫画家さかもと未明さんが、もう数年前になるが、精神科医から発達障害だと診断され、『まさか発達障害だったなんて』(参照)や『奥さまは発達障害』(参照)という書籍で、いわばカミングアウトに近い形でそうした障害を抱えた自分を受け止めて表現しているのを知り、率直、その点、よかったねさかもとさんという思いと、他方、もにょんとした思いもあった。 まず、難病というのは経験者の側になるととんでもない弱者として世界に置かれたようないいようのない不安に陥る。この感覚はできるだけ自著にも書いたが難しいものだった(自著への揶揄を受けるたびに書かないほうがよかったかとも悔やんだ)。そして一人ではもう生きられないという弱者自覚は、もう自分は他者からの慈愛を請うしかないのだ、もう一人孤独に悪ぶっては生きられない

    [書評] 自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実(スティーブ・シルバーマン): 極東ブログ
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    Nahoo 2017/12/27
    http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20171012/1507784437 シロクマさんのいじわるばあさんを治療すべきか否かエントリは社会からみたもの,これは当事者から見たもの。両方同時必読
  • 都議選は数字上は革命的な結果になりそうだが: 極東ブログ

    今回の都議会選挙の目玉は、知事支援の小池新党とも言える「都民ファーストの会」(以降、都民ファースト)という新しい地域政党の出現だろう。そこで、この党について3つの問いから考えてみたいと思っていた。と、過去形で書くのは、当初この記事はポリタスへ記事としたかったのだが、状況の見極めと、自分の考えをまとめるのに間に合わず、今日の選挙日を迎えた。 とりあえず、その3点だが。 ① 都民ファーストは勝つのか? ② 都民ファーストとは何か? ③ 都民ファーストが勝つことで何が起きるのか? 都民ファーストは勝つのか? まず、「勝つ」を定義しておかなくてはならない。基的は、議会において同党の主張が優位を保てる過半数を超える状態にもっていけることだ。都議会定数が127なので、同党とその連携政党でその過半数を超える64名の当選が、ゆえに「勝つ」ということになる。 前提となるのは、都民ファーストの立候補者は50

    都議選は数字上は革命的な結果になりそうだが: 極東ブログ
    Nahoo
    Nahoo 2017/07/02
    “あたかも生産性の低い企業の意味のない長会議のようなものが続いていく反面、実務の官僚機構はそのまま温存される”
  • [書評] ミクロの窓から宇宙をさぐる (藤田貢崇): 極東ブログ

    米国のハイスクールドラマやSFドラマが好きなのでよく見るが、どうも米国の高校ではアインシュタインの特殊相対性理論のE=mc2について、それがなんであるのかというレベルでは教えているように感じられる。もちろん、米国の初等教育というのは多様だし、理数系の初等教育全体としては日のそれよりは低いだろうから、教えてないところもあるだろうし、ましてなぜE=mc2になるのかについてまでは教えてはいないだろう。まあそれでも、アインシュタインの特殊相対性理論と関連で、E=mc2かあ、くらいの知識は米人の高校生は少なくはないのではないか。 対して、日の初等教育ではどうなんだろう。義務教育で特殊相対性理論について、せめてそれがなんであるか、また、E=mc2というのは、雑駁に言えばどういう意味があるのか、ということについて、教えているのだろうか? どうも教えていないように思える。 どう教えるかという問題はある

    [書評] ミクロの窓から宇宙をさぐる (藤田貢崇): 極東ブログ
    Nahoo
    Nahoo 2017/05/24
    小学校の頃,図鑑を読みながらワクワクしていたあのころの自分を思い出させてくれる良エントリだった