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ブックマーク / philo1985.hatenablog.com (146)

  • キング牧師は「呼び声」を聞いた:「決意性」の分析に向けて(付:2023年2月27日の追記) - イデアの昼と夜

    「負い目ある存在」の「重荷」としての性格について議論を重ねてきたことで、私たちはようやく「決意性」の概念について論じる準備が整いつつある。もう一つだけ事例を取り上げた後に、ハイデッガーの『存在と時間』に戻ることとしたい。今回扱う事例は1956年1月27日の夜、アメリカのモンゴメリーで祈っていた一人の男性に関するものである。 「そこで私はコーヒーカップの上にうつぶせになった。私はそのことを決して忘れない。私は祈りに祈った。[…]主よ、私は告白しなければなりません。私は今弱いのです。くじけそうです。勇気を失いつつあります。」 祈っている男性は公民権運動の指導者として知られる、マーティン=L=キング牧師その人に他ならない。上の言葉に見られるように、その日の夜のキング牧師は、非常な弱気に取り憑かれていた。 それというのも、彼がリーダーシップを執っていた黒人の抗議運動は、反対勢力からの妨害によって、

    キング牧師は「呼び声」を聞いた:「決意性」の分析に向けて(付:2023年2月27日の追記) - イデアの昼と夜
  • 輝きは、苦しむことを通して生まれ出てくる:「不安」と「幸福」の関係をめぐって考える - イデアの昼と夜

    前回に引き続き、「存在することの重み=舞台上の緊張の重苦しさ」に関するキルケゴールの言葉を題材にしつつ、考察を掘り下げてみることにしたい。同時代の女優であったJ・L・ペーツゲスが体現している「軽やかさ」について、彼は「危機」の中で次のように言っている。 「舞台上の重くるしい緊張の中においてこそ、まさに彼女の領が発揮されるのであり、そこにおいてこそ彼女は小鳥として舞い上がり、まさに重さは彼女に軽さを与え、重圧は彼女に最も高き所への飛翔を約束する。そこには不安の影一つない。彼女は舞台裏ではおそらく不安であろうが舞台上では幸福そのものであり、自由を得た小鳥のように軽やかである。」 この箇所でキルケゴールは、人間存在の力の源泉としての不安について語っている。このことは、「不安」がこの哲学者の探求の根主題の一つであったことを考えると非常に意味深いものであると言えそうであるが、ここで彼が主張してい

    輝きは、苦しむことを通して生まれ出てくる:「不安」と「幸福」の関係をめぐって考える - イデアの昼と夜
  • 「兄弟姉妹よ、今しばらくの辛抱だ」:1784年、イマヌエル・カントは彼自身の「最も固有な存在可能」を、いかにして引き受けたか - イデアの昼と夜

    「単独な現存在を生きること」という主題について掘り下げつつ、後に『存在と時間』の論理に即して「来的な仕方で共同相互存在すること」の可能性を問うための足がかりを作っておくためにも、カントの「啓蒙とは何か」についてもう少し見ておくことにしたい。前回の記事で引いた箇所を、ここに再び提示しておく。 「こうして啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは『知る勇気をもて(サペーレ・アウデ)』だ。すなわち『自分の理性を使う勇気をもて』だ。」 カントがこのテクストを書いて『ベルリン月報』に掲載した1784年という年は、フランス革命が起こるほんの数年前にあたる。いま論じようとしている文脈においては、この時代のヨーロッパの世界においては、二つの異なった流れがせめぎ合っていたと言うことができそうである。 一方には、社会のさまざまな側面において、考えるという行為そのものを押しとどめ、規制の権威や制度に人々を

    「兄弟姉妹よ、今しばらくの辛抱だ」:1784年、イマヌエル・カントは彼自身の「最も固有な存在可能」を、いかにして引き受けたか - イデアの昼と夜
  • 「女優の軽やかさは、どこから来るのか?」:「危機」におけるキルケゴールの言葉から考える - イデアの昼と夜

    「被投性の重み=生きることの重荷」をめぐる問題圏について考えるにあたっては、「実存」の語を現在用いられているような意味ではじめて使用した先人の言葉を参照しておくこととしたい。セーレン・キルケゴールが1848年に発表した「危機」(正式題名「危機および一女優の生涯における一つの危機」)における次の文章を引用するところから、議論を開始してみる。 「彼女のもっているその規定しえないあるものは、最後に、次のことを意味していると言えよう。すなわち、彼女は舞台上の緊張状況とまったく正しい関係にある、ということである。」 このテクストでキルケゴールは、当時のデンマークで有名であった女優、J・L・ペーツゲスの魅力について考察を加えている。ペーツゲスが舞台の上に現れると、観客たちは、彼女の周囲に漂っているいわく言い表しがたいアウラに捉えられてしまう。この魅力、この「規定しえないあるもの」は一体、どこから来るの

    「女優の軽やかさは、どこから来るのか?」:「危機」におけるキルケゴールの言葉から考える - イデアの昼と夜
  • カルナナンダのように、走りきれたら:1964年、東京オリンピックにおける出来事を通して考える - イデアの昼と夜

    今回は、「被投性の重み=生きることの重荷」をめぐる問題圏について考えるために、一つのエピソードを取り上げてみることにしたい。それは今から60年ほど前、1964年に起こった出来事である。 1964年の東京オリンピックにおける10000メートル走で、後々まで人々の記憶に残ることになった一人の選手がいた。その選手こそ、セイロン(現在のスリランカ)のラナトゥンゲ・カルナナンダに他ならない。 といっても、この選手はレースに勝ったというわけではない。反対に、カルナナンダ選手のレースでの成績は最下位だったのである。それというのも、彼はこの日には体調を崩していて、来ならばレースどころではないという位の最悪のコンディションだったのであった。 アメリカ人選手のビリー・ミルズが「やり切った!」という表情で、喝采を浴びながらトップでゴールした時には、カルナナンダ選手は実に4周の遅れをとっていた。どう頑張っても逆

    カルナナンダのように、走りきれたら:1964年、東京オリンピックにおける出来事を通して考える - イデアの昼と夜
  • 「自分自身を愛することの難しさ」:〈使命〉=「最も固有な存在可能」の問題圏について考えるために - イデアの昼と夜

    私たちはこれまで「重荷」という表現を用いてきたが、この言葉はハイデッガー自身が『存在と時間』において用いてもいる。「負い目ある存在」について語られている、次の箇所を引用してみる。 「存在していながら、現存在は被投的なものであり、じぶん自身によってみずからの〈現〉のなかにもたらされたのではないものである。[…]そのような被投的な存在者として現存在は、実存しながら、じぶんの存在可能に対する根拠である。現存在がその根拠をみずから置いたのではないとしても、現存在はその根拠の重みのうちにもとづいている。現存在にとって、気分がこの重みを、重荷としてあらわにするのである。」(『存在と時間』第58節より) 人間は、自分自身が存在することを望んだから存在しているというわけではなく、常にすでに、そのつどの自分自身のあり方のうちへと「投げ込まれている」。被投性とは、この「事実のうちに投げ込まれている」という事態

    「自分自身を愛することの難しさ」:〈使命〉=「最も固有な存在可能」の問題圏について考えるために - イデアの昼と夜
  • 叱責する良心、あるいは、「重荷」から解放されるという可能性:アウグスティヌス『告白』の場面を通して考える - イデアの昼と夜

    ハイデッガーの言う「負い目ある存在」を直観的に理解するために、今回は一つの具体的なケースを見てみることにしたい。アウグスティヌスの『告白』第八巻第七章における次のような場面を元に考えてみることにしよう。 「さて、わたしはこの世の希望を捨てて、ただあなたにのみ従うことを日一日と延ばしているのは、わたしの進路を向けるべき確実なものが明らかにならないからだと考えた。しかしわたしが、わたしに対して丸裸にされて、わたしの良心がわたしをつぎのように面詰する日が来た。『わたしの舌よ、おまえはどこにあるのか。おまえは真理が確実でないために、虚妄のにを捨てることができないといったではないか。見よ、真理はもう確実である。それなのに、おまえはまだその虚妄の荷を負うている。』わたしは、[…]このように内心を責めさいなまれ、恐ろしい羞恥心に心をかき乱されていた。」 この文章はアウグスティヌスが32歳の時、「取って読

    叱責する良心、あるいは、「重荷」から解放されるという可能性:アウグスティヌス『告白』の場面を通して考える - イデアの昼と夜
  • 生きることの重荷と、「幸福」なるものの探求:「負い目ある存在」の分析へ - イデアの昼と夜

    今回の記事から、良心の現象をめぐる分析は新しい領域へと踏み込んでゆくことになる。まずは、次の問いを立てるところから探求を開始してみることにしたい。 問い: 「良心の呼び声」は私たち人間存在に対して、一体何を告げ、理解させるのだろうか? 私たちはこれまで、「内なる呼び声」なるものの性格について分析を加えてきた。「『良心の呼び声』は私たち自身の思惑を超えて、私たち自身に語りかけてくる」がそこでの結論であったが、それでは、そこで語られていることの内実とは一体、何なのだろうか。「〜すべきではないか?」「〜すべきではないのではないか?」といった感覚に襲われるとき、正確に言って、私たちには何が告知されているのか? この点に関するハイデッガーの答えは、以下のようなものである。 答え: 「呼び声」によって告知され、射当てられているのは、人間自身の「負い目ある存在」に他ならない。 死に関する実存論的分析にお

    生きることの重荷と、「幸福」なるものの探求:「負い目ある存在」の分析へ - イデアの昼と夜
  • 「外に出てゆかず、きみ自身のうちに帰れ」:「良心の呼び声」に関する、これまでの分析の総括 - イデアの昼と夜

    今回の記事では、「良心の呼び声」の性格を見定めるというこれまでの作業を総括する意味で、「良心とは気づかいの呼び声である」という『存在と時間』第57節のテーゼを検討しておくこととしたい。 「現存在が呼ぶ者であり、同時に呼ばれる者であるとする命題は、いまやその形式的な空虚さと自明性とを失ってしまっている。良心は気づかいの呼び声としてじぶんをあらわにしている。[…]良心の呼び声すなわち良心そのものは、現存在がじぶんの存在の根拠において気づかいであるというしだいのうちに、その存在論的可能性を有していることになる。」(『存在と時間』第57節より) これまでの実存論的分析の流れの中で、現存在、すなわち人間の根的なあり方はすでに「気づかい」として露呈されていた。この「気づかい」の第一次的な意味とは、「可能性に関わる存在」に他ならない。すなわち、人間存在は自分自身の将来に関わりながら、「あるべき自分自身

    「外に出てゆかず、きみ自身のうちに帰れ」:「良心の呼び声」に関する、これまでの分析の総括 - イデアの昼と夜
  • 「『呼び声』を聞いてしまったら、元に戻ることはできない」:生の本質について考える - イデアの昼と夜

    呼び声の性格を見定める作業から導かれてくる帰結を引き出すという試みも、そろそろ大詰めを迎えつつある。前回に見た「『それ』が呼ぶ」に続く箇所を引用しつつ、考えてみることにしよう。 「『それ』が呼ぶ。期待に反して、否むしろ意志に反してすら呼ぶ。他面では呼び声は疑いもなく、私とともに世界内で存在している或る他者から到来するのでもない。呼び声は私のうちから到来し、しかも私を超えて到来するのだ。」(『存在と時間』第57節より) 「呼び声は私のうちから到来し、しかも私を超えて到来するのだ。」この表現から見えてくるのは、私たちの生は、私たち自身の思惑をはるかに超えて進んでゆくという実存論的事実に他ならないのではないだろうか。 現存在である私たちはそれぞれ、自分自身の人生についての何らかの見通しやプランを持ちながら、日々の生活を送っている。しかし、すでに見たように、「わたしは〜すべきではないのではないか?

    「『呼び声』を聞いてしまったら、元に戻ることはできない」:生の本質について考える - イデアの昼と夜
  • 「事象そのものへ!」:『存在と時間』のテーゼ「『それ』が呼ぶ」の分析を通して、哲学することへの衝動の本質を見定める - イデアの昼と夜

    良心の呼び声の性格をより根源的な仕方で捉えるために、私たちは、ハイデッガーの「『それ』が呼ぶ」という定式に着目してみることにしたい。 「呼び声はそれどころか、私たち自身によって計画されるものではまったくない。準備されるものでも、随意に遂行されるものでもまったくない。『それ』が呼ぶ。期待に反して、否むしろ意志に反してすら呼ぶ。」(『存在と時間』第57節より) まずは、文脈を確認しておくことにしよう。私たちの生においては、あたかも日常性を突き破るようにして、呼び声の経験とでも言うべきものが降りかかってくることがある。すなわち、「あんなことを言うべきでは/するべきではなかった……」とか、「誰から言われているわけでもないけれど、わたしには『あのこと』ができるし、するべきなのではないか?」といった感覚は、それが実際に言葉にして表現されるかどうかは別にするとしても、時折、私たち自身の現存在を襲ってこず

    「事象そのものへ!」:『存在と時間』のテーゼ「『それ』が呼ぶ」の分析を通して、哲学することへの衝動の本質を見定める - イデアの昼と夜
  • 日常の風景が、「問いかけ」の場面へと変わるとき:『存在と時間』第55節が描き出す情景 - イデアの昼と夜

    「呼び声」の分析を進めてゆくために、ハイデッガーの以下の言葉を取り上げつつ、「聞く」ことの可能性について考えてみることとしたい。 「〈ひと〉の公共性やその空談へとみずからを喪失しながら、現存在は、〈ひとである自己〉の言うことを聞くことにあって、じぶんに固有な自己を聞き落とすのである。」(『存在と時間』第55節より) この箇所では、日常における人間存在にとっての「聞く」ことのあり方が問題になっているといえる。「私たちは何を『聞いて』いるのか?」という観点から、事象そのもののあり方にアプローチしてみることとしたい。 ① 私たちの日常は、〈ひとである自己〉の言うことを聞くことによって特徴づけられている。これは具体的には、〈ひと〉の言うことを聞き、「空気を読み」ながら、自分自身のあり方を絶えず規制し、調整してゆくことを意味する。いわば自らの存在を、公共性のフォーマットに落とし込んでゆくわけである。

    日常の風景が、「問いかけ」の場面へと変わるとき:『存在と時間』第55節が描き出す情景 - イデアの昼と夜
  • 「彼方から彼方へと呼び声がする」:呼び声に耳を澄ますという、実存論的分析の課題について - イデアの昼と夜

    「良心の呼び声」の現象に格的に取り組んでゆくにあたって、まずは、この分析が向かって行く方向を前もって見定めておくことにしたい。 論点: 「良心の呼び声」に関する実存論的分析は、「内なる呼び声に耳を澄ますこと」とでも言うべき態度を通して遂行されることになるはずである。 状況を整理しておこう。すでに見たように、良心の現象が最も分かりやすい仕方で問題になっていると言えるのは、「良心がとがめる」といった場合である。つまり、現存在であるわたしが自分のしてしまったことに対して、悔いを感じているという時には、自分自身の良心が問われていることは明白であるといえる。しかし、「呼び声が呼ぶ」という現象の範囲は果たして、こうした場合に尽きているのだろうか。 たとえば、何がどうとはうまく言い表せないのだけれども、自分自身の置かれている状況に対して「何かが違う!」と感じるような時がある。あるいは、自分がそれをした

    「彼方から彼方へと呼び声がする」:呼び声に耳を澄ますという、実存論的分析の課題について - イデアの昼と夜
  • 「ダイモーンの呼び声」:ソクラテスのケースから出発して、私たちの日常的な経験について考える - イデアの昼と夜

    「呼び声としての良心」という主題について考えるにあたっては、私たちはやはり、まずはよく知られた先人の例から出発してみるのがよいだろう。プラトンの『ソクラテスの弁明』において、ソクラテスは次のように語っている。少し長くなってしまうが、引用してみる。 「たぶん、それにしても、おかしなことだと思われるかもしれない。わたしが、[…]公には、大衆の前にあらわれて、諸君のなすべきことを、国民全体に勧告することを敢えてしないというのは、奇妙だと思われるかもしれません。しかしこれには、わけがあるのです。それはわたしから、何か神からの知らせとか、鬼神(ダイモーン)からの合図とかいったようなものが、よく起こるのです。[…]これはわたしには、子供のときから始まったもので、一種の声となってあらわれるのであって、それがあらわれるときは、いつでも、わたしが何かをしようとしているときに、それをわたしにさし止めるのであっ

    「ダイモーンの呼び声」:ソクラテスのケースから出発して、私たちの日常的な経験について考える - イデアの昼と夜
  • 「深淵のただ中において、あなた自身であれ!」:議論の出発点「良心は開示する」 - イデアの昼と夜

    ハイデッガー自身の言葉を取り上げるところから、良心をめぐる分析に入ってゆくこととしたい。 「良心の分析は、その出発点として、良心という現象にかんする中立的な所見を採用する。すなわち、良心はなんらかの様式で、だれかになにごとかを理解するようにさせるという事情にほかならない。良心は開示し、それゆえに開示性としての〈現〉の存在を構成する、実存論的現象の領分にぞくしている。」(『存在と時間』第55節より) 良心は何事かを開示する……とは言っても、そもそも「良心」という言葉自体、日常の言語使用においてはあまり馴染みがないものかもしれない。まずは、良心の経験なるものについて、常識(コモン・センス)の観点からアプローチしてみることとしたい。 たとえば、現存在であるわたしが、Aという行為をなすに至ったとしよう。行為の後に「わたしにはこの件に関して、良心にやましいところがない!」と正面から言うことのできる場

    「深淵のただ中において、あなた自身であれ!」:議論の出発点「良心は開示する」 - イデアの昼と夜
  • 「本来的なわたし」なるものが、果たして本当に存在するのか?:「良心の呼び声」の分析へ - イデアの昼と夜

    『存在と時間』読解は、今回の記事から「良心の呼び声」の分析に入ることとしたい。これまでの議論に対する次のような疑問を提起してみることを通して、格的な分析に入ってゆく上での導入を試みてみることにしよう。 これまでの『存在と時間』の議論に対する疑問: 人間存在にとって、「来的なおのれ自身」などというものが果たしてありうるのか?あるいは、哲学の事柄としてそのようなものについて語ることは、どこまで可能なのだろうか? このブログにおいても、特に最近の記事ではほぼ毎回のように言及してきたが、『存在と時間』というにおいては、「最も固有な存在可能」や「来的な自己存在」のような概念が、議論において非常に大きな役割を果たしている。分かりやすい言い方で言い直すならば、「現存在であるところのわたしが、『当のわたし自身』を見出すこと」が、このの主要なテーマの一つになっていると言うこともできるだろう。 し

    「本来的なわたし」なるものが、果たして本当に存在するのか?:「良心の呼び声」の分析へ - イデアの昼と夜
  • 「今日も明日も、やり続けてみよう」:デカルト哲学における「高邁」の情念について - イデアの昼と夜

    自己を掴み取るとはいかなることであるのかを探るために、もう一人、近代の哲学者の言葉に耳を傾けておくこととしたい。デカルトは『省察』の第三部の冒頭において、「重視」や「軽視」の情念について語り始めたのち、次のように言っている。 「そして、知恵の主要な部分の一つは、どんなやり方、どんな理由で、各人が自分を重視または軽視すべきかを知ることであるから、ここでそれについてわたしの意見を述べてみたい。」 この言葉に続いてデカルトが語るのは、ある意味では彼の全哲学の到達点であると彼自身も認めているところの、「高邁」についてである。以下、彼の語る「高邁」の情念の内実を見てみることとしたい。 ① 私たち各々の人間には、考えるたびに驚きの念を覚えずにはいられない、一つのものが備わっている。それこそが彼の言い方によるならば、自由意志を行使する能力に他ならない。すなわち、私たち人間存在には、あくまでも自分の力の及

    「今日も明日も、やり続けてみよう」:デカルト哲学における「高邁」の情念について - イデアの昼と夜
  • 選択と決断:現存在であるところの人間が、「わたしは、わたし自身の生を生きている」と言うことのできる根拠とは何か - イデアの昼と夜

    さて、私たちは読解を進めてゆくにあたって、なぜハイデッガーが『存在と時間』において「良心の呼び声」なるテーマについて論じたのか、その必然性を理解すべく試みてみることとしたい。その上で押さえておく必要があるのは、以下のような論点なのではないかと思われる。 論点: 『存在と時間』の後半部の議論の主要モチーフの一つとは、「決意によって、自己を取り戻すこと」に他ならない。 ここには、「私たち人間存在にとって、生きるとはいかなることか?」という問いに対して、20世紀の哲学が提出した決定的な応答の一つがあると言うこともできそうである。ハイデッガーの議論を、ここに再構成してみることにしよう。 これまでの読解において示されたところによるならば、現存在であるわたしは、日常性の次元においては〈ひと〉のうちへと喪失されているのだった。すなわち、日常におけるわたしは立ち止まって考える間もないままに、〈ひと〉と同じ

    選択と決断:現存在であるところの人間が、「わたしは、わたし自身の生を生きている」と言うことのできる根拠とは何か - イデアの昼と夜
  • 「それは世にも美しい、驚嘆すべき像であった……。」:『饗宴』において、アルキビアデスはソクラテスという人物のうちに、何を見たのか - イデアの昼と夜

    自己であること、一人の人間が、当の意味で「わたし自身」と言えるような一貫性を持つとは、どのようなことなのだろうか。この点を探るために、今回の記事では、プラトン『饗宴』の最終部分に位置する、アルキビアデスによるソクラテス賛美の箇所について見ておくこととしたい。 「さてこのようなわけで、ぼくも他の人たちも、このサテュロスの笛の曲[ソクラテスの言葉のこと:引用者注]によって、以上のような目にあってきたのだ。しかしその他の点についても、君たちにはぼくの言うことを聞いてもらいたいのだ、この人がぼくのたとえたものにどれほど似ているか、またどれほど驚くべき力をもっているかということを。というのも、いいかね、君たちのだれひとりとしてこの人を知ってはいないからだ。いや、ぼくが明らかにしてみせよう、いったん始めたからにはね。」 『饗宴』のメインテーマであるエロースの賛美が一通り終わってしまった後で宴会の場に

    「それは世にも美しい、驚嘆すべき像であった……。」:『饗宴』において、アルキビアデスはソクラテスという人物のうちに、何を見たのか - イデアの昼と夜
  • 「事象へ現に到達している男」、あるいは、「発狂したアリストテレス」:思索するという行為は、いかなることを意味するか - イデアの昼と夜

    『存在と時間』出版以前のハイデッガーをめぐる状況について、もう少し掘り下げておくことにしたい。まずは、引き続きアーレントの回想の言葉に耳を傾けつつ、当時の状況の方へと遡ってみることにしよう。 「第一次世界大戦後の当時、ドイツの大学には叛乱こそ起きていなかったものの、大学の教育・学習体制への不満はたいへんひろまっていました。[…]哲学はパンを得るための学ではなく、むしろ、飢えている者たちが断固学ぼうとした学であって、まさにそれゆえに彼らはじつに厳しい要求をもっていました。彼らにとって、学びたいのは世間知や人生知ではけっしてなかったし、あらゆる謎の解決策をもとめている者には、世界観だの世界観上の党派だのが選りどり見どりに提供されていて、それを選ぶにはなにも哲学を学ぶ必要はなかったのです。」 ドイツ中を巻き込んで広がっていった「ハイデッガー現象」を理解する上で重要な歴史的事情、それは、この現象が

    「事象へ現に到達している男」、あるいは、「発狂したアリストテレス」:思索するという行為は、いかなることを意味するか - イデアの昼と夜
    Unimmo
    Unimmo 2022/03/22
    ドイツではハイデッガーが、イギリスではヴィトゲンシュタインが。