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描き下ろしイラストを使用した青ブタのパネルと記念撮影をする観光客=大垣市船町、奥の細道むすびの地記念館
慶長5(1600)年9月15日、天下分け目の「関ケ原の戦い」。勝敗が決した直後、敗れた西軍方の島津軍が突然、徳川家康本陣へ前進を始めた。関ケ原から薩摩(鹿児島県)へ―。敵中突破の撤退劇は「島津の退(の)き口」と呼ばれる。通り道となった大垣市上石津町で、島津軍の足跡をたどった。 岐阜県不破郡関ケ原町、島津義弘の陣跡。約600メートル先には敵の総大将・徳川家康最後陣地がある。西軍が総崩れとなった頃、義弘は敵陣先にある伊勢街道を目指す“前進退却”を決断した。残っていた自軍はおそらく200~300程度。一気に家康本陣脇をかすめると、敵の精鋭井伊直政、松平忠吉、本多忠勝の各隊が追った。 上石津町牧田の烏頭(うとう)坂。「島津中務大輔豊久之碑」と記された顕彰碑が立っている。義弘を逃がすため、おいの島津豊久がこの付近に残り、追っ手を迎え撃った。島津独自の待ち伏せ戦法「捨て奸(がまり)」を決行。豊久自身も
仏像や水晶の訪問販売で高齢者の不安をあおって契約を迫ったとして、岐阜県警生活環境課、養老署は23日までに、特定商取引法違反(威迫・書面不交付)の疑いで、名古屋市天白区原、自称無職の男(64)を逮捕、送検した。認否は明らかにしていない。 逮捕、送検容疑は昨年10月15日~今年5月13日ごろ、仏像や水晶の販売で養老郡養老町の無職女性(81)ら岐阜、愛知両県の70~80代の女性3人の自宅を訪ね、「今年の運気は良くない」「息子があと3年で死んじゃうよ」などと不安をあおって契約を迫った疑い。また、売買契約の解除に関する事項などを記載した書面を交付しなかった疑い。逮捕は22日付。 県警生活環境課によると、仏像は縦約6センチ、横約5・5センチ、厚さ約1センチで、水晶は直径約7センチ。養老町の女性は18万円で仏像を契約したほか、愛知県安城市の無職女性(75)は仏像を25万円で、同県西尾市の無職女性(83)
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