やさしい茶の歴史(二)(橋本素子)日本最古の茶園・大内裏茶園 前回、弘仁6年(815)6月3日、嵯峨天皇は、畿内等で茶を植え、それを毎年献上するように命じたが、実際にそれが行われたかどうかわからないと書いた。また、永忠・最澄・空海ら入唐僧が、帰国後茶をどのように調達していたのかわからないとも書いた。 そのような中で唯一、嵯峨天皇の命以後に作られたことが確認できる茶園がある。それが平安京大内裏茶園である。さしずめ、霞が関官庁街の一角に茶園があった、ということになろうか。そして関連する史料からは、この茶園の茶葉を使い製茶が行われ、その茶を宮中の儀礼で使用していたことが想定できるのである。 大内裏茶園の場所は、一条大路より南、正親町小路より北、大宮大路より西、櫛笥小路より東(現京都市上京区、一条通より南、中立売通より北、大宮通より西、智恵光院通より東)の一町四方で、ちょうど平安京の鬼門にあたる。