窓の外を見る猫。英ロンドンで(2017年5月19日撮影、資料写真)。(c)AFP/Justin TALLIS 【6月20日 AFP】ネコは古代エジプトを「征服」するはるか以前に、石器時代の農耕民を魅了していたとする研究論文が19日、発表された。DNA分析で明らかになったところによると、これ以降にネコの家畜化と愛玩動物化が世界中に広まっていったのだという。 原産地を出て世界に拡散した最初の野生ネコで、今日の飼いネコの祖先となったのは、リビアヤマネコ(学名:Felis silvestris lybica)であることが今回、研究で明らかになった。小型でしま模様のある中東産の亜種は全世界に生息地を拡大させるまでに上り詰めた。 リビアヤマネコは約6000年前、現代のトルコ周辺のアナトリア(Anatolia)地域から船で欧州に渡った可能性が高い。「リビアヤマネコの世界征服は新石器時代に始まった」と、論
馬から降りて戦った説は鈴木眞哉氏というアマチュア歴史家が言いだした事で、アカデミックな論文で発表されたものでもなく、ただ彼の著作が売れてしまったために世間に流布した奇説・珍説の類いに過ぎません。 現存する日本在来馬の平均馬高は135cm、160cmのサラブレッドに比べ確かに一回り小さいのですが、軍馬として用いるのに不足は特になかったと言われています。 というのが、江戸時代初期ごろにヨーロッパで騎馬による突撃戦法を確立したスウェーデン騎兵の使用した馬の平均馬高が120cm程度と日本の馬より更に一回り小さいからです。 その他モンゴル馬もほぼ日本馬と同等の体格で、馬のサイズに過不足はないわけです。 また、馬が貴重品で高コスト、有力者しか乗れなかったという話も自分には疑問です。 江戸時代に武田氏の旧領甲斐・信濃で活躍した中馬と呼ばれる運送業者が幕府に認可された馬の数が1万8000強で、長篠の武田軍
アルマン・ダヴィド アルマン・ダヴィド(Armand David、1826年9月27日 – 1900年11月10日)は、フランスの宣教師、博物学者である。中国で博物学調査を行い、ジャイアントパンダの存在をヨーロッパに報じた人物である。 生涯[編集] フランス南西部ピレネー=アトランティック県のバイヨンヌ近くのバスク人の村に生まれた。1848年にカトリックのヴィンセンシオの宣教会に入会したときには自然科学に対する興味を持っていた。1862年に司祭になり、その後すぐに北京に派遣されると、自然史博物館のための動物、植物、鉱物や化石の標本を集めた。フランス政府の依頼でパリに送られた標本は注目を集めた。パリ植物園は、より多くの標本収集のために中国各地の採集旅行を依頼した。それまでヨーロッパで知られていなかった動物や植物の標本は、生物の系統的研究や種の地理的な分布の研究に重要な資料となった。 1888
ネコが世界各地に広がっていった旅路が分かるかもしれない。ウイルスの感染によってDNAに組み込まれた痕跡を目印に、移動や品種の起源を探る手法を京都大などが見いだした。ネコの進化の謎を解明する新たな手掛かりとして期待される。(SANKEI EXPRESS) 中東が故郷 ペットとして世界中で飼われているネコ。多様な品種(血統)があるが、全てヤマネコの亜種の「イエネコ」だ。祖先は中東の砂漠地帯で暮らす野生のリビアヤマネコとされる。農耕が始まったことで穀物を食い荒らすネズミの駆除が必要になり、約1万年前に家畜化されたようだ。 地中海のキプロス島では約9500年前の遺跡から、成人とともに埋葬された子ネコの骨が見つかっている。古代エジプトはネコとの関わりが深く、約6千年前の先王朝時代の墓から骨が発掘された。 文明が世界に広がるにつれて、ネコも人間と一緒にアジアや欧州へ移動。大航海時代には新大陸へ渡った。
モンゴルやチベットの牧野へ行くと、しばしば騎馬で牛羊を追う牧人に行きあった。背筋をぴんと伸ばした牧人は凛々しい感じがある。馬の鞍にはあぶみに軽く足を乗せ腰を下ろす座り鞍と、あぶみに足を踏ん張ってまたがる立ち鞍があるが、この姿の美しさはモンゴルやチベットが立ち鞍だからだろうか。 ところが1980年代はともかく、90年代には騎馬放牧はだんだん少なくなり、21世紀の今日まず純牧畜地帯にしか見ることができなくなった。馬がオートバイに変わったのである。オートバイにまたがる若者も険しい地形を走りまわり牛羊を追うことには変りないが。 わたしは青海の草原でチベット馬=河曲馬を見るたび、なんとなく懐かしい感じがする。長野県のわたしの村にも大型の農耕馬や牛に混じってこれに似た姿の馬がいた。背が低く足が太く、おとなしくて子どもにも扱え粗食でよく働く馬だった。われら悪童は丸い体型の背の低い先生に「木曾っ子(すなわ
日本に外国産のウシが導入されたのは明治時代に入ってからのことです。従って、江戸時代の浮世絵27点に描かれたウシは、純粋な在来牛であると思われます。 まず、毛色をみてみると黒毛が最も多く、24点に描かれています。白黒斑のウシは4点、褐毛が1点です。これらから、在来牛は現在の黒毛和種のような黒毛のウシが最も多かったことがわかります。黒毛のウシの中で鼻梁に縦線が描かれているものも9点ありますが、これはウシの毛色ではみられないもので「作」と呼ばれるウマの白徴と似通っています。牛馬の毛色を混同したとも考えられますが、鼻梁が光線によって輝いている様から発展した表現と考えられます。特に黒牛を正面から描いた時の定型化した表現として多く用いられ、歌川派のなかでも初代豊国と師弟関係にある初代国貞(三代豊国)、国芳、芳虎の手によって描かれています。 白黒斑のウシは、4点中2点が車町(牛町)で牛車をひいていた
バスルームの壁の中からほぼ完ぺきな保存状態のネコのミイラが発見されたそうです。このミイラは400年以上前のものと考えられており、魔よけのために設置されたものと考えられているそうです。 詳細は以下より。 Funeral director finds 400-year-old cat | Metro.co.uk イギリスに住むリチャード・パーソンさんは家のバスルームの壁から400年前のものと見られるネコのミイラが発見したそうです。このミイラは非常に保存状態がよく、ほぼ完ぺきな状態だったとのこと。エクスター大学のマリオン・ギブソン博士によると、魔女・凶眼・不幸・ならず者を近づけないためにネコのミイラを置いていた時代があったらしく、今回発見されたネコのミイラも悪霊を防ぐために設置されたものと考えられているそうです。 これがネコのミイラとパーソンさん 隣人のデボンさんによると、前の所有者も20年前に
オープンアクセス誌の中で、無駄に厳しい査読をしないということで、ある意味で心配もされていたPlosOneに、またおもしろい論文が載りました。 The Role of Inbreeding in the Extinction of a European Royal Dynasty 日本語でのニュース報道もあったので、ご覧になった方もいるかもしれません。 スペイン・ハプスブルク家、断絶の原因は「近親婚」か 研究結果 せっかくですので、論文を中心にご紹介してみます。ただし、私は世界史に(も)弱いので、歴史的記述には誤りがあるかもしれませんので、ご指摘願えると幸いです。話の内容は、日本でも結構有名な顎と下唇を持ったハプスブルグ家の家系、特に1700年に途絶えたスペイン・ハプスブルグ家のことです。 これは最後のスペイン国王であるカルロス2世で、Wikipediaによると「先端巨大症のため、咀嚼に影響
ポエニ戦争でローマを苦しめたハンニバルの戦象、チンギスハンや武田信玄の騎馬軍団など、戦争の中で人間のそばには数々の動物の姿があり、そして共に戦って散っていきました。やがて人は動物をなんとか兵器として使えないかと研究を始め「4本足の爆弾」としての試みを実行に移しました。とても平和な時代には考えられないことですが、事実、7つのケースが存在します。 詳細は以下から。 7 Insane Military Attempts To Weaponize Animals | Cracked.com 1.ネズミ爆弾 by Big Fat Rat Creative Commons 1941年はイギリスにとって暗い年で、ヨーロッパの半分はドイツの手に落ちて連日ロンドンは爆撃に晒され、輸送船はUボートに沈められていました。四方八方から攻撃されたイギリスは調査の結果、ドイツは背後がおろそかになっているのではないかと
石を道具にしてアブラヤシの種を割るボッソウの野生のチンパンジー=08年12月22日、西アフリカ・ギニアのボッソウ村、竹谷俊之撮影 アブラヤシの種割りをするオスのチンパンジー・ジェジェ=08年12月28日、ギニア・ボッソウ、いずれも松沢哲郎教授提供ジェジェが割った台石(中央下、褐色)=藤浦写す 石を「道具」に種を割る行動で知られる野生のチンパンジーに、200万年ほど前の人類の祖先が石器の材料にしていたとみられる原石を与えたら、石器づくりをするだろうか。京都大霊長類研究所(愛知県犬山市)と英国・ケンブリッジ大の研究者らが、アフリカのギニアで、こんな実験を進めている。人類の祖先の石器づくりの過程を解き明かすヒントがつかめるかもしれないと、夢は広がる。 ■ひらめきあれば チンパンジーのジェジェ(11歳)が、灰色の直径10センチほどの石を左手に持ち、台石の上に置いたアブラヤシの種にたたきつけ
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