武豊が岸和田競輪場を訪れ中野浩一とトークイベントを行った。何を話したのか知らないが、たいへんな盛り上がったそうだ。 競輪と競馬、ファンは異質だと思うが、ぼくみたいなギャンブル好きにとっては、どちらもおもしろい。たぶん競馬の方がキャリアは長いが、まだ後楽園競輪場があったころは日参していたので、ある時期は競輪のほうが密度は高かった。 当時はいまのように三分戦ではなく、12車だてで強い逃げ選手に強いマーク屋がつくという時代で車券は100円台など日常茶飯、大銭ぶちがたくさんいた。 金のないぼくらは準優3レースころがしとか、裏目を買って大手筋の鼻をあかそうと努力したものだ。裏目千両などという時代で、高原永伍、平間誠記など強い選手が2着になるだけで事件だった。 競輪の選手と競馬関係者が近くなったのは、栗東、美浦のトレセンができたころだと思う。栗東には琵琶湖、美浦には取手という競輪場が隣接していて厩舎人