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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/goo0927eh (1)

  • 豊が岸和田競輪に - 『書斎の競馬』元編集長のひとりごと

    武豊が岸和田競輪場を訪れ中野浩一とトークイベントを行った。何を話したのか知らないが、たいへんな盛り上がったそうだ。 競輪と競馬、ファンは異質だと思うが、ぼくみたいなギャンブル好きにとっては、どちらもおもしろい。たぶん競馬の方がキャリアは長いが、まだ後楽園競輪場があったころは日参していたので、ある時期は競輪のほうが密度は高かった。 当時はいまのように三分戦ではなく、12車だてで強い逃げ選手に強いマーク屋がつくという時代で車券は100円台など日常茶飯、大銭ぶちがたくさんいた。 金のないぼくらは準優3レースころがしとか、裏目を買って大手筋の鼻をあかそうと努力したものだ。裏目千両などという時代で、高原永伍、平間誠記など強い選手が2着になるだけで事件だった。 競輪の選手と競馬関係者が近くなったのは、栗東、美浦のトレセンができたころだと思う。栗東には琵琶湖、美浦には取手という競輪場が隣接していて厩舎人

    豊が岸和田競輪に - 『書斎の競馬』元編集長のひとりごと
    goldhead
    goldhead 2010/01/27
    "福永祐一の父親洋一などは競輪、競艇が大好きで車券、舟券も天才的だったらしい。花形騎手では現調教師の南井克巳がよく函館競輪場に出没していた。南井流まくりの奥義は競輪からヒントを得たものだという。"
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